これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

痴ほう症 (その2)

2018-12-22 20:56:40 | 社会問題
 私は、中学を卒業するまで山村の20軒ほどの集落で育ちました。 今でも、ほぼ全ての家の家族構成を記憶していますが、痴ほう症になった人はいませんでした。 叔父・伯母も沢山いましたが、皆さん死ぬまで頭はしっかりしていました。 昔は痴ほう症は少なかったのでしょうか?

【家の前の道路で助けを求めているお婆さん】
 私の散歩コースだったのですが、向い合せの家で大きな犬を飼っている家があり、その前を通ると二匹が”けたたましく”吠えるので、その道は通らないことにしていました。二匹とも死んだと聞いたので、久しぶりにその道を通ることにしました。

 お婆さんが道で、「助けて! 助けて!」と悲しそうな顔をして叫んでいるので、どうしたか尋ねると、「息子が、私を置いて出て行った!」と言いました。 とりあえず家の中に入れましたが、私から離れようとしません。 隣の家のインターホーンを押すと、若い奥さんが出て来られて、赤ちゃんを“あやす“様に、慣れた手付きでお婆さんを家の中に入れました。

 奥さんの話しでは、息子と二人住まいで、息子さんは毎日仕事に出掛けていて、このお婆さんは時々「息子がいなくなった!」と言って外に出てくるのだそうです。

 それからは、その道は避けていたのですが、二か月程して”うっかり”通ってしまいました。 目の前に、例のお婆さんがいて「助けて!」と叫んでいました。 隣の奥さんを煩わせる訳にはいかないので、お婆さんのズック靴を脱がして、部屋まで連れて行き、逃げる様に玄関のドアを閉めて帰りました。 あれから1年以上たちますが、施設に入ったと言う話を聞きません。

 ここまで痴ほう症が進んだら、公共の施設が面倒を見てくれるのなら、介護保険料が少し高くなっても、国民は納得するのでは? 息子さんが会社を辞め無くても良い、福祉社会になることを期待しています。

【木の棒を持って殴る痴ほう症のお爺さん】
 2メートルほどの木の棒を左右に振りながら、道路の中央を歩くお爺さんがいました。 棒が届く範囲内に人が入ると、思い切り殴るのです。私も一回足を殴られて、青あざが出来たことがあります。 近所の奥さん達は「痴ほう症だ」と言っていましたが、気が触れていたのかも知れません。

 客の多いいスーパーの前の道を、毎日一回以上徘徊するのです。私は、殴られるのを何回も見ました。 子供は賢いですね、彼の近くは避けていました。子供が殴られるのは見たことがありませんでした。

 二三年後に、そのお爺さんを見掛けなくなり、「亡くなったか、施設に入ったんだろう」と近所では話していました。

【奥さんの痴ほう症が進んできました】
 息子一人の三人家族で、奥さんが60歳頃に痴ほう症の気が出てきました。 最初の症状は、旦那さんを信じられなくなったことです。 旦那さんは今でも働いていて、高額な所得があります。 奥さんの年金は、私の1.5倍ほども有ります。 奥さんの年金は全て貯金していたのですが、「旦那さんが、取った!」と言うのです。 一年間ほど言い続けていましたが、病状が進んで言わなくなりました。 旦那さんは辛かったと思います。 通帳を見せて説明しても、何日かすると、「取った!」と言われるのですから。

 奥さんが70歳になった頃に、一人息子が立派な結婚式を挙げました。 その頃の出来事の一部は、今でも記憶にある様ですが、息子の結婚式の事は全く覚えていません。 息子は独身だと今でも思い続けています。

 息子は嫁さんを連れて、毎年二三回帰省していますが、嫁さんの顔を覚えることが出来ません。 知らない女性が「何故かいる」くらいにしか思えない様です。 「正月に息子さんが帰省されました?」と聞かれても、「帰ってこなかった」と答えるそうです。

 一年ほど前から、買い物は旦那さんと一緒にされる様になりました。 時々、旦那さんがいない時、奥さんが一人で買い物に出掛けます。 必ずキャベツを一玉買ってきて、千切りにして、大きなボールに入れ、冷蔵庫に保管します。 二週間もすると、大きな冷蔵庫の中が千切りキャベツで一杯になるようです。

 部屋が沢山有る大きな家に住んでいるのですが、痴ほう症の人が、物を置いた場所を本人が思い出すのはほぼ不可能ですが、正常な人が見付けるのも難しいです。 常識では考えられない所に置くからです。 この前の秋の衣替えの頃、沢山有った奥さんの秋の洋服が殆ど無くなっていて、デパートで十着ほど買って来たそうです。

 奥さんは田舎の家庭料理が大変上手で、私が行ったら必ず作ってくれました。 一年ほど前から、塩加減があやしくなり、塩辛くて食べられない時がある様です。 料理を作る家政婦さんを雇う様になりました。 最近、家政婦さんの作った料理を、「私が作ったのよ!」と言う時があります。

 今年のお盆過ぎから、病状が悪化して、数分前の記憶が完全に無くなってしまいました。 旦那さんが休みの日に固定電話に掛けると、奥さんが出られ、「主人は昨日から帰って無いのよ!」と言われました。 携帯に掛けると、旦那さんは隣の部屋にいました。

 最近、知人がその家に行った時、1時間ほど前に奥さんがバイクで買い物に出ていたらしいのですが、3時間経っても帰られません。 探しに行こうとしたら、帰って来られて、「バイクのキーが見つからなかったのよ!」と言われたそうです。ハンドバックに入れたキーを2時間以上探していた様です。

 先日、会った時、さりげなく「お金さえ出せば良い施設が有る様ですね!」と言ったら、「帰って来た時、家に誰もいなかったら寂しいから」と言われました。 夫婦の会話は難しくなっていますが、奥さんを大切に思っているのだと感じました。

【姉の痴ほう症】
 私の一番上の姉は、相思相愛で結婚し、仲の良い夫婦でした。 姉が80才頃に、義理の兄が亡くなったのですが、葬儀のあと少し物忘れが酷くなって来ました。 私の家からは遠いいので、一年に一度しか様子を見に行っていません。 3年ほどすると、「明日、遊びに行く」と電話しても、直ぐに忘れてしまい、玄関にはいると、「電話してくれたら良かったのに!」と言う程になりました。

 幸いな事に、姉には息子が二人いて、同じ市に住んでいます。 毎日、交代で、家で作った料理を持って様子を見に行き、買い物もしてくれています。 至る所に、息子達が書いたメモ紙が貼ってあります。 姉の年齢まで書いた紙が有りました。 近年、私は行く前に、息子(甥)の一人に電話する事にしていますが、何日に私が来ると書いたメモを貼っています。 私の為に用意してくれた、「お菓子をどこに置いている」と書いたメモが必ず貼ってあり、家内が読んで、家内がコーヒーを作って三人で頂きます。

 姉は痴ほう症が進むと外出したがらなくなり、殆ど一日家にいます。 皆で勧めても、散歩しません。 運動しなくても足腰は今の所、異常がない様です。 幸いな事に、最近三年間程は病状は膠着状態になりました。

 昔の事は良く覚えていますが、義理の兄が最後を迎えた頃の記憶には、間違っている記憶が幾つかあります。 不思議なことに、会うと必ず間違った話をします。 最初の頃私は、「それは違うよ!」と言っていましたが、最近は「そうだったね!」と言う事にしています。

 姉はもうすぐ90歳になります。 家は、2所帯が十分暮らせる広さなので、甥夫婦が同居してくれたらと、(私は勝手に)祈っています。


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