【はじめに】
前稿では「若い男女の結婚についての考え方が、現在既に大幅に変化している」と書きました。私は後期高齢者ですが、私の年代には「男女関係の考え方」が変化し始めていました。私の知り合いに収入が十分有ったのに、結婚しなかった方が結構沢山いました。
岸田総理は、「結婚する数が増えたら→→少子化問題は解決する」と安易に考えている様です。価値観が多様化している現在では、若者が結婚出来る”お膳立て”を揃えても、岸田総理の期待通りに結婚数が増加するとは思えません!
【独身だった例】
私の知り合いに生涯独身だった男性が10人以上いました。その内二人は、「家族に縛られないで趣味に時間と金を使いたい」と考えていた様でした。(収入が多くても結婚しなかった例です。)
ケース1 :皆さん御存知の某優良企業の男性社員(F氏)の話です。F氏は、スマートで結構男前で、何時も高価そうな洒落たブーツを履いて、趣味の良いブレザーを着ていました。F氏は、2000年頃60歳で定年退職されましたが、一生独身だったと思います。
F氏の趣味はスキューバーダイビングでした。国内だけではなく、年に2回、10日間ほどインドネシアの決まった村に行って潜っていた様でした。「サンゴ礁に熱帯魚がウヨウヨいて、何回潜っても飽きない」、「村の人達は、僕を住人の様に接してくれる」・・・と楽しそうに話していました。
ケース2 :東京勤務だった時(1980年~84年頃)、30歳台後半の派遣社員の男性(T氏)と親しくなりました。T氏は非常に優れた設計技術者で、正社員が担当するべき仕事をしていました。友人3人で会社を起こして、その会社から派遣されている体裁にしていました。 多分、年収は500万円は有ったと思います。
T氏は独身でしたが、友人二人は結婚されていて、それぞれ子供が二、三人いました。
T氏の趣味はサーフィンで、休日には結構遠くまで出掛けていました。T氏は無口なタイプでしたが、「先週は何処に行きました?」、「波はどうでした?」と話し掛けると、結構色々と話しました。
(余談 :尊敬した若い女性) 1985年頃の話です。実験データを整理して貰うために、パートの女性を雇う事になりました。元気溌溂の23~24歳ほどの女性(Sさん)が応募して来て、私が面接しました。履歴書に4~5歳の子供がいる事になっていました。
19歳の時に、かなり年上のプロの登山家と結婚して、直ぐに子供が出来たそうです。2~3年後に旦那さんが海外の山を登山中に亡くなられ、スポンサーが掛けてくれていた生命保険金(1億数千万円)を受けとっていました。以来、パートの仕事をしながら一人で子育てしてきたのです。
「働かなくても食べて行けるでしょう!」と言うと、「ブラブラするのは嫌いです」と言う様な話をしました。 私は総務部に大きな貸しが有ったので、Sさんが給食弁当をタダで食べられる様に段取りしていました。一回だけ食べて、「こんな美味しくない弁当は食べられません」と言って、次の日から自分で作った本格的な弁当を持参しました。時々、覗いてみましたが、栄養たっぷりで、美味しそうでした。(何処で料理を習ったのか?不思議に思いました。)
面接の時、Sさんは条件を2点出しました。❶子育て優先なので残業はしません。❷年に2回ほどヨーロッパのアルプスに登るので、10日ほど休暇を頂きたい。
当時、Sさんは別のプロの登山家と交際していた様で、二人でアルプスに出掛けました。多分、その後再婚されたのでは?と思います。Sさんは、人生を楽しみながら、前向きに生きている様に見えました。
【子供が要らない夫婦】
二人に肉体的な問題が無くて、十分な収入が有って、子供を育てるのに十分な広い住まいが有って、結婚しても、「子供は要らない」と考えるケースも有ります。
1980年~84年頃、横浜市の大学卒社員用の150所帯ほど入れる大きな社宅に私は住んでいました。間取りは6畳2間、4.5畳とDKでした。多分、入居者の平均年収は800万円ほど有ったと思います。
40歳前後の子供のいない夫婦(D氏夫婦)が住んでいました。二人とも人並み以上に背が高く、がっしりした体格で、元気溌溂でした。 大型バイクを2台所有していて、休みの日は、(少々の雨でも)別々のバイクでツーリングを楽しんでいました。
D奥さんは専業主婦でしたが、ウイークデーに奥さん一人でツーリングに出掛ける事は無かった様です。 「家で一人で楽しめる趣味を別に持っているのだろう」と勝手に想像しました。
大抵の家に子供がいて、奥さん達は庭で子供を遊ばせながら、仲良く井戸端会議をしていました。D奥さんは『はっきりした性格』の方でしたが、子供が居なかったので、奥さん達の井戸端会議には参加出来なかった様でした。
【独身だった人格者】
私が勤務した会社の現場組織は、課長の下に『職長』、その下に『班長』がいました。課長は原則として大学卒で、職長以下は高卒でした。(会社によっては『職長』の事を『棒芯(ぼうしん)』と呼びます。) 外国に機械装置を据付けに行く必要が有ったので、殆どの職長は英会話が出来ました。
私が入社して直ぐに知り合いになった、人望の厚い方(M氏)は若くして職長になりました。M氏は独身でしたが、神戸市の新長田駅に近い場所に一戸建ての家を買いました。 (寒い真冬の)1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災で,新長田駅近辺の木造住宅は消失してしまいました。
M氏の家も焼けてしまい、震災後2週間ほど経っても会社に連絡が有りませんでした。後でM氏から聞いた話しでは、パジャマとスリッパだけで、一円も持たずに命からがら逃げて、避難所生活を始めたそうです。「お金が無いし、靴下もコートも無かったので電話を掛けられ無かった」と言っていました。
M氏には被扶養者がいない事になっていたので、会社では「M氏は独身で、一人住まいだ」と言われていましたが、妹さんか(?)(Nさん)と暮らしていたことがバレてしまいました。 Nさんは、若くして結婚され→→直ぐに離婚されたので→→M氏と二人で暮らしていたのです。
M氏は生涯独身で、Nさんは再婚されなかったので、お二人にはお子さんがいませんでした。
【家庭/仕事両立政策】
厚生労働省は、『仕事と家庭の両立支援制度』に力を入れている様にPRしています。理想は「パート勤務の女性を含め、全ての女性を対象にすべき」と思いますが、(世論の反発を覚悟して、)先ずは大企業に勤務する専門職社員の女性を支援すべきです。
日本でも女性の高学歴化が進んで来ているので、次の条件に合うケースについては、国は真面目に『家庭/仕事両立政策』を推進すべきだと思います。現状では、中小企業にこの政策を押し付けるのは無理です!
❶大学卒の女性、❷大企業で専門職についている女性(病院勤務の女医さんを含む)、❸子育てに親の支援が受けられない場合。
【社会福祉と少子化】
社会福祉が充実して来たら→→少子化が進む様に私には思えます。 その根拠の一例を書きます。
2006年頃、機械を設計製造する小さな会社(N社)に再就職しました。N社では、設計で使い勝手の悪い、特殊な二次元CADを導入したところでした。顧客に提出する図面は、紙に印刷した物では無く、オートキャド(AutoCAD)データで要求される様になっていました。N社が採用したCADデータをオートキャドに変換すると、『バケ』が沢山発生しました。
社長と相談して、CADオペレーターをハローワークで募集しましがが、応募者が有りませんでした。知り合いの人材派遣会社の担当者に、「優秀なCADオペレーターを探して欲しい」、「気に入ったら、〇カ月分の派遣費を支払うから、正社員にさせてくれ!」と申し込みました。
直ぐに、40歳程の独身の女性(Aさん)を紹介してくれました。Aさんは期待以上に優秀で、何種類かのCAD、エクセル、ワードが使用出来、英語の読み書きがマアマア出来ました。N社が使用していた、特殊なCADを1週間ほどでマスターしました。
私はポケットマネーで、チョット高級な料理屋にAさんを誘い、「正社員に迎えたい」と話しました。Aさんは、同年配で独身のCADオペレーターの友人(Bさん)を連れて来ていました。
AさんとBさんは、働けなくなったら生活保護を受けると言う『綿密な生活設計』を立てていました。生活保護を受ける資格について事細かく勉強していました。私は、生活保護について全く知識が無く、彼女達から種々教えてもらいました。彼女達の話が正しいか?その後・調べて見ましたが、間違っていませんでした。
中途半端に人生を送るよりも、「老後は生活保護を受ける」と言う前提で暮らした方が人生を楽しめます。その後、更に生活保護は充実したので、彼女達が考えていた以上に豊かな老後が送れると思います。 生活保護を受けていたら、眼鏡代を出して貰えます。介護施設に入居が必要な状態になったら、自治体の担当者が施設を探してくれます!(市や区には、生活保護受給者に介護施設を斡旋する担当者がいます。)
彼女達は国民健康保険にだけ入っていました。国民年金、介護保険などなどの社会福祉保険料は一切払っていませんでした。社会福祉保険料を支払って無くても、生活保護が受けれれるのです。
税金と社会福祉保険料を差っ引いても、手取りの月給が2万円強アップすると言う条件を提示したら、Aさんは渋々了解しました。
前稿では「若い男女の結婚についての考え方が、現在既に大幅に変化している」と書きました。私は後期高齢者ですが、私の年代には「男女関係の考え方」が変化し始めていました。私の知り合いに収入が十分有ったのに、結婚しなかった方が結構沢山いました。
岸田総理は、「結婚する数が増えたら→→少子化問題は解決する」と安易に考えている様です。価値観が多様化している現在では、若者が結婚出来る”お膳立て”を揃えても、岸田総理の期待通りに結婚数が増加するとは思えません!
【独身だった例】
私の知り合いに生涯独身だった男性が10人以上いました。その内二人は、「家族に縛られないで趣味に時間と金を使いたい」と考えていた様でした。(収入が多くても結婚しなかった例です。)
ケース1 :皆さん御存知の某優良企業の男性社員(F氏)の話です。F氏は、スマートで結構男前で、何時も高価そうな洒落たブーツを履いて、趣味の良いブレザーを着ていました。F氏は、2000年頃60歳で定年退職されましたが、一生独身だったと思います。
F氏の趣味はスキューバーダイビングでした。国内だけではなく、年に2回、10日間ほどインドネシアの決まった村に行って潜っていた様でした。「サンゴ礁に熱帯魚がウヨウヨいて、何回潜っても飽きない」、「村の人達は、僕を住人の様に接してくれる」・・・と楽しそうに話していました。
ケース2 :東京勤務だった時(1980年~84年頃)、30歳台後半の派遣社員の男性(T氏)と親しくなりました。T氏は非常に優れた設計技術者で、正社員が担当するべき仕事をしていました。友人3人で会社を起こして、その会社から派遣されている体裁にしていました。 多分、年収は500万円は有ったと思います。
T氏は独身でしたが、友人二人は結婚されていて、それぞれ子供が二、三人いました。
T氏の趣味はサーフィンで、休日には結構遠くまで出掛けていました。T氏は無口なタイプでしたが、「先週は何処に行きました?」、「波はどうでした?」と話し掛けると、結構色々と話しました。
(余談 :尊敬した若い女性) 1985年頃の話です。実験データを整理して貰うために、パートの女性を雇う事になりました。元気溌溂の23~24歳ほどの女性(Sさん)が応募して来て、私が面接しました。履歴書に4~5歳の子供がいる事になっていました。
19歳の時に、かなり年上のプロの登山家と結婚して、直ぐに子供が出来たそうです。2~3年後に旦那さんが海外の山を登山中に亡くなられ、スポンサーが掛けてくれていた生命保険金(1億数千万円)を受けとっていました。以来、パートの仕事をしながら一人で子育てしてきたのです。
「働かなくても食べて行けるでしょう!」と言うと、「ブラブラするのは嫌いです」と言う様な話をしました。 私は総務部に大きな貸しが有ったので、Sさんが給食弁当をタダで食べられる様に段取りしていました。一回だけ食べて、「こんな美味しくない弁当は食べられません」と言って、次の日から自分で作った本格的な弁当を持参しました。時々、覗いてみましたが、栄養たっぷりで、美味しそうでした。(何処で料理を習ったのか?不思議に思いました。)
面接の時、Sさんは条件を2点出しました。❶子育て優先なので残業はしません。❷年に2回ほどヨーロッパのアルプスに登るので、10日ほど休暇を頂きたい。
当時、Sさんは別のプロの登山家と交際していた様で、二人でアルプスに出掛けました。多分、その後再婚されたのでは?と思います。Sさんは、人生を楽しみながら、前向きに生きている様に見えました。
【子供が要らない夫婦】
二人に肉体的な問題が無くて、十分な収入が有って、子供を育てるのに十分な広い住まいが有って、結婚しても、「子供は要らない」と考えるケースも有ります。
1980年~84年頃、横浜市の大学卒社員用の150所帯ほど入れる大きな社宅に私は住んでいました。間取りは6畳2間、4.5畳とDKでした。多分、入居者の平均年収は800万円ほど有ったと思います。
40歳前後の子供のいない夫婦(D氏夫婦)が住んでいました。二人とも人並み以上に背が高く、がっしりした体格で、元気溌溂でした。 大型バイクを2台所有していて、休みの日は、(少々の雨でも)別々のバイクでツーリングを楽しんでいました。
D奥さんは専業主婦でしたが、ウイークデーに奥さん一人でツーリングに出掛ける事は無かった様です。 「家で一人で楽しめる趣味を別に持っているのだろう」と勝手に想像しました。
大抵の家に子供がいて、奥さん達は庭で子供を遊ばせながら、仲良く井戸端会議をしていました。D奥さんは『はっきりした性格』の方でしたが、子供が居なかったので、奥さん達の井戸端会議には参加出来なかった様でした。
【独身だった人格者】
私が勤務した会社の現場組織は、課長の下に『職長』、その下に『班長』がいました。課長は原則として大学卒で、職長以下は高卒でした。(会社によっては『職長』の事を『棒芯(ぼうしん)』と呼びます。) 外国に機械装置を据付けに行く必要が有ったので、殆どの職長は英会話が出来ました。
私が入社して直ぐに知り合いになった、人望の厚い方(M氏)は若くして職長になりました。M氏は独身でしたが、神戸市の新長田駅に近い場所に一戸建ての家を買いました。 (寒い真冬の)1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災で,新長田駅近辺の木造住宅は消失してしまいました。
M氏の家も焼けてしまい、震災後2週間ほど経っても会社に連絡が有りませんでした。後でM氏から聞いた話しでは、パジャマとスリッパだけで、一円も持たずに命からがら逃げて、避難所生活を始めたそうです。「お金が無いし、靴下もコートも無かったので電話を掛けられ無かった」と言っていました。
M氏には被扶養者がいない事になっていたので、会社では「M氏は独身で、一人住まいだ」と言われていましたが、妹さんか(?)(Nさん)と暮らしていたことがバレてしまいました。 Nさんは、若くして結婚され→→直ぐに離婚されたので→→M氏と二人で暮らしていたのです。
M氏は生涯独身で、Nさんは再婚されなかったので、お二人にはお子さんがいませんでした。
【家庭/仕事両立政策】
厚生労働省は、『仕事と家庭の両立支援制度』に力を入れている様にPRしています。理想は「パート勤務の女性を含め、全ての女性を対象にすべき」と思いますが、(世論の反発を覚悟して、)先ずは大企業に勤務する専門職社員の女性を支援すべきです。
日本でも女性の高学歴化が進んで来ているので、次の条件に合うケースについては、国は真面目に『家庭/仕事両立政策』を推進すべきだと思います。現状では、中小企業にこの政策を押し付けるのは無理です!
❶大学卒の女性、❷大企業で専門職についている女性(病院勤務の女医さんを含む)、❸子育てに親の支援が受けられない場合。
【社会福祉と少子化】
社会福祉が充実して来たら→→少子化が進む様に私には思えます。 その根拠の一例を書きます。
2006年頃、機械を設計製造する小さな会社(N社)に再就職しました。N社では、設計で使い勝手の悪い、特殊な二次元CADを導入したところでした。顧客に提出する図面は、紙に印刷した物では無く、オートキャド(AutoCAD)データで要求される様になっていました。N社が採用したCADデータをオートキャドに変換すると、『バケ』が沢山発生しました。
社長と相談して、CADオペレーターをハローワークで募集しましがが、応募者が有りませんでした。知り合いの人材派遣会社の担当者に、「優秀なCADオペレーターを探して欲しい」、「気に入ったら、〇カ月分の派遣費を支払うから、正社員にさせてくれ!」と申し込みました。
直ぐに、40歳程の独身の女性(Aさん)を紹介してくれました。Aさんは期待以上に優秀で、何種類かのCAD、エクセル、ワードが使用出来、英語の読み書きがマアマア出来ました。N社が使用していた、特殊なCADを1週間ほどでマスターしました。
私はポケットマネーで、チョット高級な料理屋にAさんを誘い、「正社員に迎えたい」と話しました。Aさんは、同年配で独身のCADオペレーターの友人(Bさん)を連れて来ていました。
AさんとBさんは、働けなくなったら生活保護を受けると言う『綿密な生活設計』を立てていました。生活保護を受ける資格について事細かく勉強していました。私は、生活保護について全く知識が無く、彼女達から種々教えてもらいました。彼女達の話が正しいか?その後・調べて見ましたが、間違っていませんでした。
中途半端に人生を送るよりも、「老後は生活保護を受ける」と言う前提で暮らした方が人生を楽しめます。その後、更に生活保護は充実したので、彼女達が考えていた以上に豊かな老後が送れると思います。 生活保護を受けていたら、眼鏡代を出して貰えます。介護施設に入居が必要な状態になったら、自治体の担当者が施設を探してくれます!(市や区には、生活保護受給者に介護施設を斡旋する担当者がいます。)
彼女達は国民健康保険にだけ入っていました。国民年金、介護保険などなどの社会福祉保険料は一切払っていませんでした。社会福祉保険料を支払って無くても、生活保護が受けれれるのです。
税金と社会福祉保険料を差っ引いても、手取りの月給が2万円強アップすると言う条件を提示したら、Aさんは渋々了解しました。