
【責めず、否定せず、淡々と生きる】5239
小林正観さんの心に響く言葉より…
心の不健康は、「他者を責める」か「自分を責める」か、そのどちらかによって生まれます。
他者を責めれば、攻撃的になり、時には人を殺したり、傷つけたりします。
自分を責めれば、うつ状態になります。
そのどちらも、現象を否定しているところから始まり、やがて、「なぜ?」「誰のせい?」と問いかけるようになります。
聖書の中に「汝(なんじ)、なぜかなぜかと問いかけることなかれ」という言葉があります。
よく相談や質問をされる方は、「なぜ、なぜ」とおっしゃいますが、問いかけた瞬間に、問いや相談の形をとって、その現象を否定しているのです。
自分の身に降りかかってくることについて問いかける必要はありません。
それはそれでよし、と思い、「夕行・たんたん ナ行・にこにこ ハ行・ひょうひょう マ行・もくもく」で生きていくとラクです。
例えば、不登校の子どもがいたときに、「これは誰のせいか」と追及し始めてしまうとキリがなくなります。
夫が怒鳴っているから、夫婦関係が悪いから、甘やかして育てたから・・・・・・。
原因を求めても問題は解決しません。
誰も責めず、現象を否定せず、「風に吹かれて、川に流されて」生きていけば、 それでいいのです。
「淡々と生きる」ということです。
好きだから、嫌いだから、という生き方の他に、三つめの生き方として「やるハメになったらやる」というのがあります。
それが「風に吹かれて、川に流されて」という意味です。
私は毎日、しゃべりたくて講演会をやっているわけではありません。
頼まれてしょうがなくなり、やるハメになったから、ただ素直に「ハイよ」と言ってやっているだけです。
それだけでけっこう面白い人生が展開していきます。
『神さまに好かれる話』知的生き方文庫
https://amzn.to/3R1hcUV
人は肯定的になったときだけ、元気が出る。
夢を見ることができ、冒険的になれる。
しかし、否定的になったとき、力がなくなる。
他人のことを許容できなり、守りに入る。
肯定には、「笑い」や「許し」がある。
そして、面白がったり、楽しんだり、喜んだり。
否定には、「不機嫌」や「不寛容」、「怒り」がある。
そして、物事にとらわれ、執着し、責める。
否定の対極にあるのが、「行雲流水」という言葉。
空を流れる雲や、川を流れる水は、一箇所にとどまることはないし、常に表情を変え、変化している。
流れる雲や水のように、物事に執着せず、自然のなりゆきに任せて行動すること。
また、雲水(うんすい)とは、この行雲流水の略だが、諸国を修行してまわる禅僧のことをいう。
ひとつところにとどまらず、行脚(あんぎゃ)するさまを言う。
行脚は、根無し草のようにただフラフラと歩きまわることではなく、何事にも、飄々(ひょうひょう)として、こだわらず、淡々と生きることだ。
責めず、否定せず、淡々と生きる人でありたい。
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心の不健康は、「他者を責める」か「自分を責める」か、そのどちらかによって生まれます。
他者を責めれば、攻撃的になり、時には人を殺したり、傷つけたりします。
自分を責めれば、うつ状態になります。
そのどちらも、現象を否定しているところから始まり、やがて、「なぜ?」「誰のせい?」と問いかけるようになります。
聖書の中に「汝(なんじ)、なぜかなぜかと問いかけることなかれ」という言葉があります。
よく相談や質問をされる方は、「なぜ、なぜ」とおっしゃいますが、問いかけた瞬間に、問いや相談の形をとって、その現象を否定しているのです。
自分の身に降りかかってくることについて問いかける必要はありません。
それはそれでよし、と思い、「夕行・たんたん ナ行・にこにこ ハ行・ひょうひょう マ行・もくもく」で生きていくとラクです。
例えば、不登校の子どもがいたときに、「これは誰のせいか」と追及し始めてしまうとキリがなくなります。
夫が怒鳴っているから、夫婦関係が悪いから、甘やかして育てたから・・・・・・。
原因を求めても問題は解決しません。
誰も責めず、現象を否定せず、「風に吹かれて、川に流されて」生きていけば、 それでいいのです。
「淡々と生きる」ということです。
好きだから、嫌いだから、という生き方の他に、三つめの生き方として「やるハメになったらやる」というのがあります。
それが「風に吹かれて、川に流されて」という意味です。
私は毎日、しゃべりたくて講演会をやっているわけではありません。
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人は肯定的になったときだけ、元気が出る。
夢を見ることができ、冒険的になれる。
しかし、否定的になったとき、力がなくなる。
他人のことを許容できなり、守りに入る。
肯定には、「笑い」や「許し」がある。
そして、面白がったり、楽しんだり、喜んだり。
否定には、「不機嫌」や「不寛容」、「怒り」がある。
そして、物事にとらわれ、執着し、責める。
否定の対極にあるのが、「行雲流水」という言葉。
空を流れる雲や、川を流れる水は、一箇所にとどまることはないし、常に表情を変え、変化している。
流れる雲や水のように、物事に執着せず、自然のなりゆきに任せて行動すること。
また、雲水(うんすい)とは、この行雲流水の略だが、諸国を修行してまわる禅僧のことをいう。
ひとつところにとどまらず、行脚(あんぎゃ)するさまを言う。
行脚は、根無し草のようにただフラフラと歩きまわることではなく、何事にも、飄々(ひょうひょう)として、こだわらず、淡々と生きることだ。
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