日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

致命的な誤り

2010-01-04 | Weblog
  エレミヤ42章
  
  1~6節 エジプトへの逃亡者らはエレミヤに祈りを求める。
  2節「預言者エレミヤに言った。「どうか、我々の願いを受け入れてください。我々のため、またこの残った人々のために、あなたの神である主に祈ってください…」。エジプトに逃亡しようとしていたヨハナン、エザンヤとその許に結集していた残留軍と民は、エレミヤを訪ねてきて、主なる神に祈りを求めた。エレミヤはこれを承諾したのである(3~4節)。
  己の願望を白紙にして神に祈ることなら、それは正解である。
  6節「良くても悪くても、我々はあなたを遣わして語られる我々の神である主の御声に聞き従います。我々の神である主の御声に聞き従うことこそ最善なのですから」ここに祈りの基本がある。

  7~22節 エレミヤ、祈りの解答を告げる
  いを受け入れてくださるよう求めさせたが、そのイスラエルの神、主はこう言われる…。』」。10日後、エレミヤは神の言葉を告げた。これまでの予言と変わらない。それはこの国に留まることである(10節)。
  11節「バビロンの王を恐れているが、彼を恐れてはならない。彼を恐れるなと主は言われる」。ヨハナンと軍の長らは、反バビロン派の首謀者イシュマルを国外に追放はしたが、暗殺された総督ゲダルヤに対するバビロンの報復を恐れていたのである。
  12節「わたしはあなたたちに憐れみを示す。バビロンの王もあなたたちに憐れみを示して、この土地に住むことを許すであろう」。エレミヤは神の憐れみ(ミシュパト)を伝える。
  彼らは「良くても悪くても…主の御声に聞き従います。…主の御声に聞き従うことこそ最善なのです」と誓いながら、心底はそうではないことをエレミヤは見抜いて、エジプト逃亡に対して警告している(13~17節)。
 へ行けば、わたしの怒りと憤りが…あなたたちにふりかかる。あなたたちは…恥辱の的となり、二度とこの場所を見ることはできない」。警告が繰り返される。
20節「あなたたちは致命的な誤りを犯そうとしている…」。致命的とは、神と預言者を偽り、神の言葉に従わないという二重の罪である。

  どんな事でも御心に従いますと祈りを依頼しながら、その答えを聞く前に既に結論を出していて都合の良い方を選び、願望を変えない。これほど高慢で、神の聖意を無視する祈りはない。これが致命的な誤りである。