エゼキエル8章
エルサレムの偶像礼拝
1~4節 エルサレムに運ばれる
1節「第六年の六月五日のことである。わたしは自分の家に座っており、ユダの長老たちがわたしの前に座っていた…」。これは彼の召命(1章1節)から一年後=紀元前592年頃となる。
3節「彼が手の形をしたものを差し伸べて、わたしの髪の毛の房をつかむと、霊は…幻のうちにわたしをエルサレムへと運び、北に面する内側の門の入り口に連れて行った。~」。エゼキエルが自宅に座していると超人的な手が髪をつかんでエルサレム神殿に運ばれるという幻である
5~6節 激怒を招く像
5節「彼がわたしに、『人の子よ、目を上げて北の方を見なさい』と言ったので、北の方に目を上げると、門の北側に祭壇があり、入り口に…激怒を招く像があるではないか」。口語訳「…妬みの像があった」。岩波訳「…嫉妬の像があった」。
7~13節 壁に彫り込まれた甚だしい数の偶像
8節「彼がわたしに、「人の子よ、壁に穴をうがちなさい」と言ったので、壁に穴をうがつと、そこに一つの入り口があるではないか」。彼は庭の入口に連れていかれ壁に穴があるのを見る。そしてその穴をうがてと命じられ、穿つと入口があり、そこに入れと言われた(7~9節)
10節「入って見ていると、周りの壁一面に、あらゆる地を這うものと獣の憎むべき像、およびイスラエルの家のあらゆる偶像が彫り込まれているではないか」。その前でイスラエルの長老七十人がヤアザンヤを中心に香炉を手にしていた(11節)。この忌まわしい偶像礼拝を行うイスラエルを主は遺棄される(12節)。
14~15節 神殿の北面の門で女たちのタンムズ神礼拝
14節「彼はわたしを、主の神殿の北に面した門の入り口に連れて行った。そこには、女たちがタンムズ神のために泣きながら座っているではないか」。タンムズ神とはシュメール神話にある豊穣男神で、女神イシュタルと対になり、草木が枯れる夏に黄泉にくだるのを悲しむ儀式である。
16~18節 神殿内の聖所で25人程の太陽礼拝
16節「彼はわたしを主の神殿の中庭に連れて行った。…主の聖所の入り口で、廊と祭壇の間に、二十五人ほどの人がいて、主の聖所を背にし、顔を東に向けていた。彼らは東に向かって太陽を拝んでいるではないか」。二十五人は祭司と思われる。聖所を背にして太陽礼拝におぼれている有様。
北門の祭壇から、次に庭の入り口の壁に穴を開けて壁面、神殿の北入口、神殿の中庭へと引き回され、夥しい偶像を見せられる。預言者エゼキエルは神殿で「邪悪で甚だ忌まわしいことを見る」(6、9、13、15、17節)のである。
5節「激怒を招く~」とあるが、この激怒(キナーハ)は、モーセの十戒・第二戒「わたしは熱情の神」の熱情と同じ原語(出エジプト記20章5節)である。ここで偶像礼拝に対する神の激怒が示される。
エルサレムの偶像礼拝
1~4節 エルサレムに運ばれる
1節「第六年の六月五日のことである。わたしは自分の家に座っており、ユダの長老たちがわたしの前に座っていた…」。これは彼の召命(1章1節)から一年後=紀元前592年頃となる。
3節「彼が手の形をしたものを差し伸べて、わたしの髪の毛の房をつかむと、霊は…幻のうちにわたしをエルサレムへと運び、北に面する内側の門の入り口に連れて行った。~」。エゼキエルが自宅に座していると超人的な手が髪をつかんでエルサレム神殿に運ばれるという幻である
5~6節 激怒を招く像
5節「彼がわたしに、『人の子よ、目を上げて北の方を見なさい』と言ったので、北の方に目を上げると、門の北側に祭壇があり、入り口に…激怒を招く像があるではないか」。口語訳「…妬みの像があった」。岩波訳「…嫉妬の像があった」。
7~13節 壁に彫り込まれた甚だしい数の偶像
8節「彼がわたしに、「人の子よ、壁に穴をうがちなさい」と言ったので、壁に穴をうがつと、そこに一つの入り口があるではないか」。彼は庭の入口に連れていかれ壁に穴があるのを見る。そしてその穴をうがてと命じられ、穿つと入口があり、そこに入れと言われた(7~9節)
10節「入って見ていると、周りの壁一面に、あらゆる地を這うものと獣の憎むべき像、およびイスラエルの家のあらゆる偶像が彫り込まれているではないか」。その前でイスラエルの長老七十人がヤアザンヤを中心に香炉を手にしていた(11節)。この忌まわしい偶像礼拝を行うイスラエルを主は遺棄される(12節)。
14~15節 神殿の北面の門で女たちのタンムズ神礼拝
14節「彼はわたしを、主の神殿の北に面した門の入り口に連れて行った。そこには、女たちがタンムズ神のために泣きながら座っているではないか」。タンムズ神とはシュメール神話にある豊穣男神で、女神イシュタルと対になり、草木が枯れる夏に黄泉にくだるのを悲しむ儀式である。
16~18節 神殿内の聖所で25人程の太陽礼拝
16節「彼はわたしを主の神殿の中庭に連れて行った。…主の聖所の入り口で、廊と祭壇の間に、二十五人ほどの人がいて、主の聖所を背にし、顔を東に向けていた。彼らは東に向かって太陽を拝んでいるではないか」。二十五人は祭司と思われる。聖所を背にして太陽礼拝におぼれている有様。
北門の祭壇から、次に庭の入り口の壁に穴を開けて壁面、神殿の北入口、神殿の中庭へと引き回され、夥しい偶像を見せられる。預言者エゼキエルは神殿で「邪悪で甚だ忌まわしいことを見る」(6、9、13、15、17節)のである。
5節「激怒を招く~」とあるが、この激怒(キナーハ)は、モーセの十戒・第二戒「わたしは熱情の神」の熱情と同じ原語(出エジプト記20章5節)である。ここで偶像礼拝に対する神の激怒が示される。