日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

神の怒りの杯

2010-01-11 | Weblog
  エレミヤ49章
 
  1~6節 アンモンに向けて
  1節「アンモンの人々に向かって主はこう言われる。イスラエルには息子がいないのか…。なぜ、ミルコムがガドを占領し、その民が、ガドの町々に住んでいるのか」。「ミルコム」はアンモンの神名。アンモンとイスラエルは隣国として長く関わった。ソロモンの政略結婚でアンモン人ナアマを妻に迎え、その子がレハブアムである(列王記上14章21節)。アッシリヤが北イスラエルを占領した時、ガドに侵入し定住したことを指している(紀元前721年)。
  4節「背信の娘よ、なぜ、お前の谷、豊かな谷を誇るのか…」。アンモンの高慢を断罪し、神の審判が降ると告げる(5節)。6節は、48章47節と同じ。

  7~22節 エドムに向けて
  7節「エドムに向かって万軍の主はこう言われる。テマンには、もはや知恵がないのか。知者たちの策略は尽きたのか」。危機に直面し国策が求められるのに、知恵は消えうせたのかと問う。エドムの起源は創世記36章1節にある。
  10節「…このわたしもエサウを身ぐるみはがして隠れがを暴いた。彼は身を隠すことができない。彼の子孫は滅びた。親族も隣人も失われ…。」盗賊がすべてを奪っていくように、主なる神も、エドムを丸裸にし、子孫、親族、隣人すべてを失うという。神の怒りの杯を必ず飲まねばならない(12節)。
 
  23~27節 ダマスコに向けて
  23節「ダマスコに向かって。ハマトとアルパドは、悪い知らせを聞いてうろたえている。安らうことのない海のように、彼らは不安におののいている」。迫りくる神の審判に慄くシリア(首都ダマスコ)である。「ハマトとアルパド」は都市の名前。同じ裁きの預言はアモス1章3~5節にもある。
  26節「…その日には、ダマスコの若者たちは広場で倒れ、兵士は皆、息絶えて静かになる、と万軍の主は言われる」。死の町と化し、兵士の屍が広場に放置される。

  28~39節 ケダル、ハツォル、エラムに向けて
  ケダルとハツォルは防備を失い荒野となり(28~33節)、エラムはもはや強力な軍備も無くなる(34~39節)。自信や慢心、誇りを持つ国々にも神の審判は下る。
 
  本章では、公平と正義の神は、選びの民イスラエルが背反の罪に対して怒りの杯を飲むのに、近隣の国々はその杯を飲まなくてもよいというのか。否、必ず飲まねばならないと告げているのである(12節)。

  ここに罪ある者の代りに怒りの杯を飲まれた方がおられる。神の御子イエスである。
  マルコ14章36節「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」。