日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

石の心を除き肉の心を与える

2010-01-30 | Weblog
エゼキエル11章 

 1~13節 神の裁きの宣言
 1節「霊は…わたしを…神殿の東の門へ運んで行った。門の入り口に二十五人の男がおり、その中に民の指導者アズルの子ヤアザンヤと、ベナヤの子ペラトヤがいるのをわたしは見た」。彼らは民の指導者で、神の審判が告げられるべき者たちである。
 3節「彼らは、『家をすぐに建てる必要はない。この都は鍋で、我々は肉だ』と言っている」。人々が当時口にした聖都不落説である。主はこの過信に対して確かに都は鍋だが、その肉とは積み上げられた死体の山だと告げる(7節)。剣を逃れた者もイスラエルの国境(リブラ)で捕らえられ裁かれる(10節)。 
 これが主の宣言であることを、繰り返して強調している(5、7、8、10、12節)。
 12節「…お前たちはわたしの掟に従って歩まず、わたしの法を行わず、かえって周囲の国々のならわしに従ってきた」。周囲の国々の法に従い、神の法に従わなかったことが主の審判の理由である。
 13節「わたしが預言していると、ベナヤの子ペラトヤは死んだ。…」。エゼキエルと指導者らは目前でペラトヤ(“残りの者を救う”という意味)の死の事実を見る。

 14~21節 捕囚の民に対する主の宣言
 15節「…エルサレムの住民は、…あなたの親族である兄弟たち、…イスラエルのすべての者に対して言っている。『主から遠く離れておれ。この土地は我々の所有地として与えられている』」。捕囚されないでエルサレムに残留していた者らが、ここは自分たちの所有だと主張している。それが違うことはペラトヤの死で明らかだ。
確かに主はイスラエルを捕囚の民としてバビロンに送った(16節)。しかし彼らに次の事が約束されている。
 先ず「わたしは彼らの為にささやかな聖所となる」(16節)。
 第二に「再び呼び集められた土地では全ての偶像は取り除かれる」(18節)。
 第三に「彼らの石の心を除き、肉の心を与える」(19節)。
 第四に「彼らは主の掟に従って歩み、主の法を守り行う」(20節)

肉の心とは何か。「一つの心をあたえ、彼らの中に新しい霊を授ける」とある。これを知る手掛かりは詩51編にある。それは
「神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください」(12節)。「神の求める生贄は、打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心」(19節)である。

 悔い改めなくしては与えられることはない(21節)。