エレミヤ51章
本章も長いバビロンに対する滅亡予言。岩波訳小見出しに倣うことにする。
1~10節 イスラエルもユダも神から見捨てられない
1節「主はこう言われる。『わたしはバビロンに対しレブ・カマイ(カルデア)の住民に向かって滅びの風を巻き起こす』」。口語訳「…『見よ、わたしは、滅ぼす者の心を奮い起して、バビロンを攻め、カルデアに住む者を攻めさせる』」。新共同訳は「レブ・カマイ」を固有名詞にしているが、エレミヤ特有の字隠し語で「立ち向かう者の心」が原意。口語訳はこれを採用している。彼らはバビロンをふるいにかけ、もみ殻のように吹き飛ばすのである(2節)。弓を射る者に全軍を聖絶せよと命じる(3節)。
10節「主は我々の正しさを明らかにされた。さあ、我々はシオンで我らの神、主の御業を語り告げよう」。神の義(ツェデク)がバビロンを滅ぼすことで、イスラエルとの関係を回復させる。
11~23節 バベルの最期
11節「矢を研ぎ澄まし、盾を用意せよ。主はメディアの王たちの霊を奮い起こさせる。バビロンに対する主の定めは滅ぼすこと…」。バビロンの滅亡は主の定め。
20節「お前はわたしの鎚、わたしの武器であった。お前によって、わたしは国々を砕き…」。「お前によって」が十回繰り返される。それは神が用いる鉄鎚である。
24~46節 バベルへの報復
24節「しかし、わたしはバビロンとカルデアの全住民に対し、お前たちの目の前で報復する。彼らがシオンで行ったあらゆる悪に対してと、主は言われる」。
33節「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。娘バビロンは、麦の打ち場のようだ。今や、彼女は踏みつけられ間もなく、彼女を取り入れる時が来る」。
47~58節 報復の神がバベルに報いる
47節「それゆえ、見よ、その日が来ればわたしはバビロンの偶像を罰する。全土はうろたえ殺された者は皆、国のただ中に倒れる」。「その日が来れば~」とは神の審判の時を指す。これは52節にもある。
56節「滅ぼす者がバビロンに攻めて来た。勇士たちは捕らえられ、弓は折られた。まことに主は仇を返される神、主は必ず報復される」。滅ぼす者が攻めてくるとあるが、歴史的には11節の「メディア」を指し、後のペルシャ支配の時代が到来する預言である。
59~エレミヤ、バベルへの象徴行為を命じる
29章にネブカドレツァルに書き送った巻物とは別に、このバビロン滅亡預言の巻物をセラヤに託してバビロンに持ち運び、石を結びつけてユーフラテス川に投げ込んだ。そして「バビロンは沈み、災いのゆえに再び立ち上がることはない」と預言した。
二つの巻物は相反する内容となる。先の巻物はバビロンでの定住であるが、ここではやがて神の滅びが起こるという警告である。
これは神の義(10節)と、嗣業の民への神の憐れみの両面を示すものである(19節)。神の正義(ツェデク)と公平・慈しみ(ミシュパト)とは切り離せない(22章15節、23章5節)。詩85篇11節see
本章も長いバビロンに対する滅亡予言。岩波訳小見出しに倣うことにする。
1~10節 イスラエルもユダも神から見捨てられない
1節「主はこう言われる。『わたしはバビロンに対しレブ・カマイ(カルデア)の住民に向かって滅びの風を巻き起こす』」。口語訳「…『見よ、わたしは、滅ぼす者の心を奮い起して、バビロンを攻め、カルデアに住む者を攻めさせる』」。新共同訳は「レブ・カマイ」を固有名詞にしているが、エレミヤ特有の字隠し語で「立ち向かう者の心」が原意。口語訳はこれを採用している。彼らはバビロンをふるいにかけ、もみ殻のように吹き飛ばすのである(2節)。弓を射る者に全軍を聖絶せよと命じる(3節)。
10節「主は我々の正しさを明らかにされた。さあ、我々はシオンで我らの神、主の御業を語り告げよう」。神の義(ツェデク)がバビロンを滅ぼすことで、イスラエルとの関係を回復させる。
11~23節 バベルの最期
11節「矢を研ぎ澄まし、盾を用意せよ。主はメディアの王たちの霊を奮い起こさせる。バビロンに対する主の定めは滅ぼすこと…」。バビロンの滅亡は主の定め。
20節「お前はわたしの鎚、わたしの武器であった。お前によって、わたしは国々を砕き…」。「お前によって」が十回繰り返される。それは神が用いる鉄鎚である。
24~46節 バベルへの報復
24節「しかし、わたしはバビロンとカルデアの全住民に対し、お前たちの目の前で報復する。彼らがシオンで行ったあらゆる悪に対してと、主は言われる」。
33節「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。娘バビロンは、麦の打ち場のようだ。今や、彼女は踏みつけられ間もなく、彼女を取り入れる時が来る」。
47~58節 報復の神がバベルに報いる
47節「それゆえ、見よ、その日が来ればわたしはバビロンの偶像を罰する。全土はうろたえ殺された者は皆、国のただ中に倒れる」。「その日が来れば~」とは神の審判の時を指す。これは52節にもある。
56節「滅ぼす者がバビロンに攻めて来た。勇士たちは捕らえられ、弓は折られた。まことに主は仇を返される神、主は必ず報復される」。滅ぼす者が攻めてくるとあるが、歴史的には11節の「メディア」を指し、後のペルシャ支配の時代が到来する預言である。
59~エレミヤ、バベルへの象徴行為を命じる
29章にネブカドレツァルに書き送った巻物とは別に、このバビロン滅亡預言の巻物をセラヤに託してバビロンに持ち運び、石を結びつけてユーフラテス川に投げ込んだ。そして「バビロンは沈み、災いのゆえに再び立ち上がることはない」と預言した。
二つの巻物は相反する内容となる。先の巻物はバビロンでの定住であるが、ここではやがて神の滅びが起こるという警告である。
これは神の義(10節)と、嗣業の民への神の憐れみの両面を示すものである(19節)。神の正義(ツェデク)と公平・慈しみ(ミシュパト)とは切り離せない(22章15節、23章5節)。詩85篇11節see