エレミヤ46章
46章~51章諸国民に対する預言
2節「エジプトに向かって。…エジプトの王ファラオ・ネコの軍隊に対する言葉。バビロンの王ネブカドレツァルは、ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの第四年に彼らを撃ち破った」。ユダ王国はエジプトとバビロンの二大国に挿まれ、これに翻弄され滅亡の道をたどることになる。
ユダがエジプトに支配された時期と、エジプトをバビロンが攻撃して替った時の王が2節のヨアキムである。その著しい政変記事が列王記下23章28~24章7節にある。
3~12節 エジプトは辱められる
5節「何故、彼らは隊を乱して退くのか。勇士らはちりぢりに逃げ去るのか。彼らは振り向くこともしない。恐怖が四方から迫る、と主は言われる」。エジプト軍の敗走記事は、列王記下24章7節にある。
12節「諸国民はお前が辱められるのを聞いた。お前の悲鳴は地を満たす。勇士は勇士と共によろめき、もろともに倒れる」。エジプトの辱めとともに戦勝のニュースは諸国民に伝えられる。
13~24節 エジプトは撃たれる
18節「『わたしは生きている』とその御名を万軍の主と呼ばれる王は言われる」。エジプトやバビロンの王ではなく、彼らは神の手の中で戦っていることを示す。
20節「エジプトは美しい雌の子牛だ。あぶが北から襲いかかる」。岩波訳「美しく美しい雌の子羊だったエジプトは。だが虻が北から、来るわ、来るわ。」語呂合わせに訳している。「北からの襲来」はエレミヤの預言の主要テーマであった。
25~26節 エジプトに対する最後の預言
25節「万軍の主、イスラエルの神は言われた。『見よ、わたしはテーベの神アモンを罰する。またファラオとエジプト、その神々と王たち、ファラオと彼に頼る者を罰する』」。テーベはエジプトの首都。万軍の主は、命を求める者の手にファラオを渡すと告げる(26節)。
27~28節 イスラエルの帰還
27節「わたしの僕ヤコブよ、恐れるな…」。30章10~11節と同じである。
28節「…わたしはお前を正しく懲らしめる。罰せずにおくことは決してない。」新改訳「公義によって、あなたを懲らしめ…」。「正しく」とはエレミヤが繰返した神の公平(ミシュパート)である。これは正義(ツェデカー)と共に記される(33章15節、22章3節口語訳)。
二つの国が滅ぼされてもイスラエルの罪は消されない。神の公平と正義が裁くというのである。そこで神は「あなたを無罪とはしない」(岩波訳)と宣告する。
ここでキリスト者に「安価な恵み」(ボンヘッファー)を語っていないかが問われてくる。
46章~51章諸国民に対する預言
2節「エジプトに向かって。…エジプトの王ファラオ・ネコの軍隊に対する言葉。バビロンの王ネブカドレツァルは、ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの第四年に彼らを撃ち破った」。ユダ王国はエジプトとバビロンの二大国に挿まれ、これに翻弄され滅亡の道をたどることになる。
ユダがエジプトに支配された時期と、エジプトをバビロンが攻撃して替った時の王が2節のヨアキムである。その著しい政変記事が列王記下23章28~24章7節にある。
3~12節 エジプトは辱められる
5節「何故、彼らは隊を乱して退くのか。勇士らはちりぢりに逃げ去るのか。彼らは振り向くこともしない。恐怖が四方から迫る、と主は言われる」。エジプト軍の敗走記事は、列王記下24章7節にある。
12節「諸国民はお前が辱められるのを聞いた。お前の悲鳴は地を満たす。勇士は勇士と共によろめき、もろともに倒れる」。エジプトの辱めとともに戦勝のニュースは諸国民に伝えられる。
13~24節 エジプトは撃たれる
18節「『わたしは生きている』とその御名を万軍の主と呼ばれる王は言われる」。エジプトやバビロンの王ではなく、彼らは神の手の中で戦っていることを示す。
20節「エジプトは美しい雌の子牛だ。あぶが北から襲いかかる」。岩波訳「美しく美しい雌の子羊だったエジプトは。だが虻が北から、来るわ、来るわ。」語呂合わせに訳している。「北からの襲来」はエレミヤの預言の主要テーマであった。
25~26節 エジプトに対する最後の預言
25節「万軍の主、イスラエルの神は言われた。『見よ、わたしはテーベの神アモンを罰する。またファラオとエジプト、その神々と王たち、ファラオと彼に頼る者を罰する』」。テーベはエジプトの首都。万軍の主は、命を求める者の手にファラオを渡すと告げる(26節)。
27~28節 イスラエルの帰還
27節「わたしの僕ヤコブよ、恐れるな…」。30章10~11節と同じである。
28節「…わたしはお前を正しく懲らしめる。罰せずにおくことは決してない。」新改訳「公義によって、あなたを懲らしめ…」。「正しく」とはエレミヤが繰返した神の公平(ミシュパート)である。これは正義(ツェデカー)と共に記される(33章15節、22章3節口語訳)。
二つの国が滅ぼされてもイスラエルの罪は消されない。神の公平と正義が裁くというのである。そこで神は「あなたを無罪とはしない」(岩波訳)と宣告する。
ここでキリスト者に「安価な恵み」(ボンヘッファー)を語っていないかが問われてくる。