エゼキエル1章
1節「第三十年の四月五日のことである。わたしはケバル川の河畔に住んでいた捕囚の人々の間にいたが、そのとき天が開かれ、わたしは神の顕現に接した」。エゼキエルはヨアキン王捕囚の時バビロンに連れて行かれた祭司で、その5年後に召命を受けたという(2節)。
4~25節 神の顕現の異象
6節「それぞれが四つの顔を持ち、四つの翼を持っていた」。その四つの顔は正面が人、右に獅子、左に牛、後ろに鷲の顔(10節)で、翼の二つは上向き、二つは顔を覆っていた(11節)。生き物は輝き、稲妻のように行動する(13節)。
15節「…四つの顔を持つ生き物の傍らの地に一つの車輪が見えた」。車輪の描写が21節まで記される。四面体の生き物は一つの「車輪」の中にあって自由自在に連動する
22節「生き物の頭上には、恐れを呼び起こす、水晶のように輝く大空のようなものがあった。それは生き物の頭上に高く広がっていた」。輝く大空の描写が25節まで記される。これが神の臨在する大空の舞台設定である。
26節「生き物の頭上にある大空の上に、サファイアのように見える王座の形をしたものがあり、王座のようなものの上には高く人間のように見える姿をしたものがあった」。大空の上の輝く王座におられる主なる神に臨在にふれることになる(27節)。
28節「わたしはこれを見てひれ伏した。そのとき、語りかける者があって、わたしはその声を聞いた」。預言者エゼキエルの召命が示される。それは「ひれ伏した」、「語りかける者があって、…その声を聞いた」ということである。
主からの召命は色々な状況で、目と心を奪われるが、ひれ伏して主のみ声を聴くことである。イザヤもエレミヤも召命の時に幻を見た。
漁師ペトロがガリラヤ湖畔で召命を受けた時は、大漁の奇蹟体験した後であった (ルカ福音書5章1~11節)。彼もイエスの足もとにひれ伏した。
モーセの場合も同じでる。彼はホレブの山で燃える芝の中から御声を聞いた(出エジプト記3章1~10節)。モーセも拝跪した。
イスラエル旅行で、エルサレムのモスクに入った時、靴を脱ぎ信徒たちが拝跪している光景を見、彼らの敬虔な姿に学ぶところがあった。
1節「第三十年の四月五日のことである。わたしはケバル川の河畔に住んでいた捕囚の人々の間にいたが、そのとき天が開かれ、わたしは神の顕現に接した」。エゼキエルはヨアキン王捕囚の時バビロンに連れて行かれた祭司で、その5年後に召命を受けたという(2節)。
4~25節 神の顕現の異象
6節「それぞれが四つの顔を持ち、四つの翼を持っていた」。その四つの顔は正面が人、右に獅子、左に牛、後ろに鷲の顔(10節)で、翼の二つは上向き、二つは顔を覆っていた(11節)。生き物は輝き、稲妻のように行動する(13節)。
15節「…四つの顔を持つ生き物の傍らの地に一つの車輪が見えた」。車輪の描写が21節まで記される。四面体の生き物は一つの「車輪」の中にあって自由自在に連動する
22節「生き物の頭上には、恐れを呼び起こす、水晶のように輝く大空のようなものがあった。それは生き物の頭上に高く広がっていた」。輝く大空の描写が25節まで記される。これが神の臨在する大空の舞台設定である。
26節「生き物の頭上にある大空の上に、サファイアのように見える王座の形をしたものがあり、王座のようなものの上には高く人間のように見える姿をしたものがあった」。大空の上の輝く王座におられる主なる神に臨在にふれることになる(27節)。
28節「わたしはこれを見てひれ伏した。そのとき、語りかける者があって、わたしはその声を聞いた」。預言者エゼキエルの召命が示される。それは「ひれ伏した」、「語りかける者があって、…その声を聞いた」ということである。
主からの召命は色々な状況で、目と心を奪われるが、ひれ伏して主のみ声を聴くことである。イザヤもエレミヤも召命の時に幻を見た。
漁師ペトロがガリラヤ湖畔で召命を受けた時は、大漁の奇蹟体験した後であった (ルカ福音書5章1~11節)。彼もイエスの足もとにひれ伏した。
モーセの場合も同じでる。彼はホレブの山で燃える芝の中から御声を聞いた(出エジプト記3章1~10節)。モーセも拝跪した。
イスラエル旅行で、エルサレムのモスクに入った時、靴を脱ぎ信徒たちが拝跪している光景を見、彼らの敬虔な姿に学ぶところがあった。