展示会場の入口に挨拶文・・・というものがある。
その中に「戦争があったって、金が無くたって、食ってくものさえあれば生きていける」という年寄り達の笑いじわに生きるすべを見る。と書いている。
我が家の年寄りが言った言葉だったが、その言葉に噛み付いて来た人がいた。
この『戦争があったって』・・・というのは違うでしょう。どういうこと・・・みたいに。
戦争という物を深く見つめようとしない、過去形にしている自分がいた。
千葉で、しびれる手でサインをした未来君の『沖縄哀歌』を読み終え、そんな自分が恥ずかしく思えた。
終戦から未来君よりもずっと近い年の自分が、20歳になったばかりの息子のような未来君のこの本を読んで、深くため息が出た。
今回初めて出した、からっぽの碑という作品も、写真だけしか見ていないので、広島かと思っていたが、その写真のおばあさんの後ろには石碑郡が連なっているので、これは平和の礎だったんだと、光景が重なる。
過去の何万人もの無念の死をしっかり受け止め、時には涙し、時には震えながら、平和を願い、二度と戦争・・という痛ましい世の中にならないように、祈りを込めて書き上げた、この沖縄哀歌は未来君や家族にとって、戦争で無念の死を遂げた人への
恩返しであると共に、豊かな世の中ボケになっている人へのメッセージだと思います。
本当にがんばりましたね!
ハンディのある未来君の傍らで、いつも支えていたお父さん、お母さん、弟達。
これだけの本にまとめるにはどれだけ沖縄に飛んだのでしょう。歩いたのでしょう。きっと、一途そうな貴方だから、妥協せず・・・と見ましたよ。
これからも、一緒に人形展と旅しましょう。一等賞の旗。沖縄哀歌。
私の名前も入れてくれてありがとうね!
その中に「戦争があったって、金が無くたって、食ってくものさえあれば生きていける」という年寄り達の笑いじわに生きるすべを見る。と書いている。
我が家の年寄りが言った言葉だったが、その言葉に噛み付いて来た人がいた。
この『戦争があったって』・・・というのは違うでしょう。どういうこと・・・みたいに。
戦争という物を深く見つめようとしない、過去形にしている自分がいた。
千葉で、しびれる手でサインをした未来君の『沖縄哀歌』を読み終え、そんな自分が恥ずかしく思えた。
終戦から未来君よりもずっと近い年の自分が、20歳になったばかりの息子のような未来君のこの本を読んで、深くため息が出た。
今回初めて出した、からっぽの碑という作品も、写真だけしか見ていないので、広島かと思っていたが、その写真のおばあさんの後ろには石碑郡が連なっているので、これは平和の礎だったんだと、光景が重なる。
過去の何万人もの無念の死をしっかり受け止め、時には涙し、時には震えながら、平和を願い、二度と戦争・・という痛ましい世の中にならないように、祈りを込めて書き上げた、この沖縄哀歌は未来君や家族にとって、戦争で無念の死を遂げた人への
恩返しであると共に、豊かな世の中ボケになっている人へのメッセージだと思います。
本当にがんばりましたね!
ハンディのある未来君の傍らで、いつも支えていたお父さん、お母さん、弟達。
これだけの本にまとめるにはどれだけ沖縄に飛んだのでしょう。歩いたのでしょう。きっと、一途そうな貴方だから、妥協せず・・・と見ましたよ。
これからも、一緒に人形展と旅しましょう。一等賞の旗。沖縄哀歌。
私の名前も入れてくれてありがとうね!
閲覧だったが 戦争があったって の行に
もしかして とよぎった記憶が
僕は この場合 塗りつぶす必要はないと思う。
アフガニスタンだかで 壁画の破壊と同じで
比喩する言葉まで消したりすることこそ
反省や教訓を否定する 愚かなことと思います。
この記事をみて もう一度
やはり まゆまゆは 託せる人形作家だと
嬉しく感じました。共に成長させて戴きたく思います。
折しも 本日 「敬語の指針」が答申された。
ぼんくらの僕には 特別問題を感じなかったが
教育基本法の改正、憲法の改正、と軌を一とするならば
新たな 怒りの基と成らざるを得ない。
いい本です。
今日は劇団こまつ座の「私はだれでしょう」という舞台を観てきました。井上ひさしの「父と暮らせば」「夢のカサブタ」等と同じ一連の反戦劇です。
浅野あつ子、佐々木蔵之介、川平慈英などの歌あり踊り有りの舞台で、内容は色々考えさせられる物が有りましたが、楽しい舞台でした。
1月14日が初日でしたが、遅稿で有名な井上ひさしの新作書き下ろしという事で、今日のチケットを買ったのですが、大正解!1回初日が20日に延期になり、再度22日に変更になりました。
舞台の袖で原稿を書いたとか、初日にまだ、筋が決まってなくて、俳優が結末を知らないで演技していたとか、公演途中で筋が変わったとか、そんな話はいくつも有ります。
戦後のNHKの「尋ね人」の番組を担当している3人の女性と、放送局を管理しているGHQの担当官、組合運動のリーダー、校正・査閲係の男性、記憶喪失の男という7人がおりなす、番組編成室内だけでの4時間の舞台は内容が濃く、チョット長くて、ここに書きようがない。
記憶を取り戻した川平慈英が「自分が誰だったか?」を探す旅をしていたが、これからは「自分がどんな人間になるか?」という旅に出かけるという所で終わる
ああ疲れた!
戦争でも、今も、被害に会うのが、平和を愛する沖縄の人達だということに、納得がいかないです。
私は、せめて沖縄行きの飛行機(交通)は、政府が半額負担して、振興を図る義務があると思う。それでこそ謝罪(政治)ということじゃないかと。
沖縄の人達が幸せにならなければ、日本人なんて、信じるに足りない。
そして、基地は東京に作るべきだと、僕は思う。
比喩する言葉まで消したりすることこそ・・・
そうですね。おばあちゃん達がつぶやいた、戦争があったって・・・は肯定している言葉ではないのです。疎開してきた人の多い長野県では、生きていく為の食べ物のありがたさを良く知っているんです。
憲法第9条・・・は変えてはいけないと思います。
暇なおじさんへ
自分がこれからどんな人間になるか・・・・
昨日、キャプションを書いてくれている伊藤さんから送られた冊子の中にこんな言葉がありました。
お金は皆平等ではないけれど、時間は皆平等のもの。その与えられた時間に最大の投資をしましょう・・・と。良いこというなぁ~
雑男さんへ
沖縄は私も仕事で一度行っただけ。
米軍基地の周りには鉄線が張られ、島民はシャットアウトみたいに、二分されているような不思議な光景でした。
しかし、島の人たちは明るくて、気さくで、言葉がやさしい。さんしんの音色は、まさしく平和を愛する人たちの哀悼歌です。
沖縄は行ったことがないけれど、行ってても未来さんのように沖縄の悲哀を見つめられなかった。(お恥ずかしい)
沖縄のことはいろいろ聞いてはいたけれど、本を読んで改めて辛い過去と、現在までも続く重荷とを知らされました。
展示会場の挨拶文、私はよく読みませんでした。
読んで意見を言う方がいるというのは、それだけ意味のある展示会だということです。
その文だけ見ると、「戦争なんてたいしたことない」とも読めるのかもしれませんね。
でも、まゆみさんはコメントにも書いてあるように、
対面してその言葉を受け、
「戦争は辛かった。貧乏も辛かった。でも食べることさえ出来れば命を繋ぐことができるし、人間として生かされた以上、生きねばならん」
「それに、食べることすら出来なかった人たちに比べたら、有難いことだよ」
という言外のメッセージを受け止めたのだと思います。
だから、例えば、
「戦争があったって、金が無くたって、食ってくものさえあれば生きていける」という年寄り達だが、その言葉にむしろ戦争の辛さや貧乏の悲しさを思わせる。それらの過去を笑いじわの奥に包み込む彼らに、生きるすべを見る
みたいな感じで言葉を補えば、誤解されないのでは?
と思いました。
下手な文章で添削みたいなことしてすみません。
貴方は何て素敵な人なんでしょう・・・・
自分の口足らずな所、無神経な所・・・出れば出るほど、言われてしまう現状です。
しかし、自分の本心は間違ってはいない・・・という自信が持てましたよ。でもそんな不安定で作品を作ってもダメですよね。
弱気な自分も私です。人間だから・・・
今日、碌山の恋・・・という番組を見ました。
ハングリーで、全ての精神を注ぎ込んだ創作。
刺激になりました。
うちの隣の電気屋のおじさんは、運良く硫黄島で死に損ないました。壕の中にいて火炎放射器で焼かれ、戦友の死体と一緒に積み上げられていたそうです。数日して助けられたと、昔うちの母から聞きました。
だから、若い時から白髪で赤い顔をしていました。それでも80歳近くまで元気でした。
硫黄島というと私との接点は隣のおじさんでしたが、戦争の事は余り話したがらなかったようです。
私の父は中国にもいましたが、終戦当時は小田原で本土決戦に備えて、ざん壕を掘っていたそうで、二宮から小田原あたりの山は蟻の巣のごとく掘ってあると話していました。
もし8月15日の敗戦がなければ、小田原でも沖縄と同じ悲劇が繰り返された訳です。
戦争は狂気のなせる業です。平和な世の中では人を殺すと殺人罪で捕まるのに、戦争中は沢山敵の人間を殺すと「偉い!」と勲章をくれるのですから、完全に狂ってます。
それを今でもアメリカが先頭に立ってやっているのだから、あの国もしょうがない国です。
そして、その後をシッポを振って付いていく国もどうなんでしょうか?
蕎麦屋の純子です!
まゆみさん先日はご馳走様でした。納豆巻きのお菓子美味しかったです。我が家でもバカ受け!大笑い!
今日は節分。家のおばあさまが、代表で豆まきをしておりました。あちらこちらで追い出された鬼は何処へ行くのでしょうか?近所のスナックで?!豆まきが終わるのをじーっと待っているとか。ママさんは「あーらおにーさん(鬼)いらしゃい!」そう迎えて下さる。やさしいママさんだね~
うちのダンナも飲みにいく時はそんな感じなのかな~。あはは!
それから、
この前の話題沸騰の「パンツの件」正解は(鬼のパンツ)でした~。
鬼はパンツ履くけど、トラは、、、はかない。
どうせなら うるせい奴らのラムちゃんみたいなのを履かなきゃ!
皆さんもいかが!?私は遠慮。
この前子供たちに小言を言った。
ナカナカ効き目がない!
なんで、言う事を聞いてくれないのかな~!。
そこで私は、「おこずかいなんてあげないからね!」
世に言う、、、経済政策
「お弁当だってもう作らないからね!」
世に言う、、、食料援助中止
話し合いで解決出来なくなったら、、、、、、。
行動に移す。これも何だか、、戦争みたい、、、。
怒ると怖いからね~
もう少し勉強したら皆の話題について行けるかなぁ~
あ、もちろん私も遠慮しますね。(犯罪に等しいから)
ファミレスのサラダ等で、ゆで卵のスライス(丸い月見状の物)が乗っているのを見たことが有るでしょう?
良く見ると大きさが同じなのです。家族で来るファミレスでは兄弟の注文した同じ料理に差が有ってはいけないのです。「お兄ちゃんの玉子が大きい」は×なのです。
玉子は普通「卵型」しています(当たり前だ!)それを茹でると当然黄身の大きい所と、端の白身だけの部分が出来ます。
それはまずいのです!そこで、どこで切っても同じ大きさのゆで卵が必要になります。(結構理屈っぽいぞ!)
私の知人が○○食品という玉子を取り扱っている会社にいます。その会社には黄身だけ1キロとか白身だけ2キロとかという注文が来ます。
卵を割る手間も無く、殻をゴミとしてシールを貼って出さなくても良く(東京だけか?)
メレンゲを作るのに白身だけほしいプロには白身だけ、黄身だけ使う菓子職人には黄身だけ納めているのです。
そこで、賢明な皆様は想像できると思いますが、ちくわ状の白身に黄身を詰めた(チーカマの様な)ゆで玉子が有るのです。当然どこで切っても同じ大きさのゆで卵のスライスが出来るのです。
今度、くだらない事ですが、ちょっと気にしてファミレスに行ってみて下さい。
長崎でカステラ製造の会社の為に、玉子を割る機械を発明した会社が有りますが、何百万円出してそんな機械を買うほどでもない所では需要が有る様です。
ところで峰猫さん
まゆみ先生がラムちゃんは無理でしょう?
まゆみ先生はジンギスカンのラム肉ちゃんの方がいいのでは?(これ絶対に絶対に本人には内緒だよ!)