先日、知る場カレッジで料理とよせ植えをした。
みんなで野菜中心の5種類の料理を作った。
どれもわりと簡単に出来るものだったけど、
メンバーはほとんど男ばかり。
レシピを見ては首をかしげる。
これがなかなか難しいのだ。
銀杏切り・・・?
イチョウの葉の形に切るのだろうか?
これは難しいぞ。
乱切り・・・。
これはわかるような気がする。
要するに滅茶苦茶に切ればいいんだな。
千本切り・・・。
さすがにちょうど千本になるように切らないといけない、とは思わないけど、
はたして何本以上でないと千本切りとはいえないのだろう?
あまり少ないと不当表示ということにならないだろうか・・・。
短冊切り・・・。
まさか、短冊の大きさにしないといけないとは思わないけど、どうも大きさがよくわからない。
「短冊切りとはおおむね、1.2センチX3.5センチ(面積4.2平方センチ)のものをいう」とでも決まってたらわかりやすいのに・・・。
どうも料理の分量もわかりにくくていけない。
「塩、少々」・・・なんて何グラムからが少々で、何グラムだったら少々ではないのか。
「お好みのより」・・・とは作る人の好みか食べる人の好みか、食べる人の好みがみな違うときはどうするのか。
なんて考えだすと何も出来ない。
どうも料理の基本は「適当に」らしい。
そう考えると気楽でいい。
今までだってず~っと「適当」に生きてきたし、これからだって適当に生きていくだろう。
料理だって何ならいためる代わりに、野菜を丸ごと食べて、油やバターをなめて、胃に押し込んでも良いのではないか?
わざわざ胃のために丁寧に料理してやることもあるまい。
胃も食べるだけではなくて、たまには自分で料理でもしたらどないやねん!
とはいえ、みんなでやると怖くは無い。
少々失敗しても人のせいにすることが出来る。
こうして他のグループに先を越されてなるものかと思いながら、やっぱり一番最後までかかって、5種類の料理が何とか出来上がった。
そして皆で食べてみるとこれがなかなかいけるのだ。
いつもは一杯しか食べないご飯もお代わりした。
これはひとえに、このぐうたら百姓の料理の腕によるものだろうと、一人で合点した。
といっても自分でやったことといえば、芋を切り、柿をむき、小松菜を切っただけなのだけど・・・。
そう、きっときり方がよかったのだろう。
食事が終わり、今度は寄せ植えをした。
裏と表でクリスマス用と正月用の飾りになるという、優れもの、というかせこいというか、そんなよせ植えだった。
これはとても上手く出来た。
うんうん、さて回りは・・・と、余裕を見て見回すと、みな大差ない。
な~んだ。まあこんなもんか・・・。
というわけで、料理と寄せ植え。
どちらも満足して、不安げに帰ったのだった。
というのも、今度は家で料理して、とか寄せ植えして、とかいわれかねないと思ったからだ。
みんなで野菜中心の5種類の料理を作った。
どれもわりと簡単に出来るものだったけど、
メンバーはほとんど男ばかり。
レシピを見ては首をかしげる。
これがなかなか難しいのだ。
銀杏切り・・・?
イチョウの葉の形に切るのだろうか?
これは難しいぞ。
乱切り・・・。
これはわかるような気がする。
要するに滅茶苦茶に切ればいいんだな。
千本切り・・・。
さすがにちょうど千本になるように切らないといけない、とは思わないけど、
はたして何本以上でないと千本切りとはいえないのだろう?
あまり少ないと不当表示ということにならないだろうか・・・。
短冊切り・・・。
まさか、短冊の大きさにしないといけないとは思わないけど、どうも大きさがよくわからない。
「短冊切りとはおおむね、1.2センチX3.5センチ(面積4.2平方センチ)のものをいう」とでも決まってたらわかりやすいのに・・・。
どうも料理の分量もわかりにくくていけない。
「塩、少々」・・・なんて何グラムからが少々で、何グラムだったら少々ではないのか。
「お好みのより」・・・とは作る人の好みか食べる人の好みか、食べる人の好みがみな違うときはどうするのか。
なんて考えだすと何も出来ない。
どうも料理の基本は「適当に」らしい。
そう考えると気楽でいい。
今までだってず~っと「適当」に生きてきたし、これからだって適当に生きていくだろう。
料理だって何ならいためる代わりに、野菜を丸ごと食べて、油やバターをなめて、胃に押し込んでも良いのではないか?
わざわざ胃のために丁寧に料理してやることもあるまい。
胃も食べるだけではなくて、たまには自分で料理でもしたらどないやねん!
とはいえ、みんなでやると怖くは無い。
少々失敗しても人のせいにすることが出来る。
こうして他のグループに先を越されてなるものかと思いながら、やっぱり一番最後までかかって、5種類の料理が何とか出来上がった。
そして皆で食べてみるとこれがなかなかいけるのだ。
いつもは一杯しか食べないご飯もお代わりした。
これはひとえに、このぐうたら百姓の料理の腕によるものだろうと、一人で合点した。
といっても自分でやったことといえば、芋を切り、柿をむき、小松菜を切っただけなのだけど・・・。
そう、きっときり方がよかったのだろう。
食事が終わり、今度は寄せ植えをした。
裏と表でクリスマス用と正月用の飾りになるという、優れもの、というかせこいというか、そんなよせ植えだった。
これはとても上手く出来た。
うんうん、さて回りは・・・と、余裕を見て見回すと、みな大差ない。
な~んだ。まあこんなもんか・・・。
というわけで、料理と寄せ植え。
どちらも満足して、不安げに帰ったのだった。
というのも、今度は家で料理して、とか寄せ植えして、とかいわれかねないと思ったからだ。