ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

新聞

2012年01月10日 09時15分52秒 | 雑感
もう10年も新聞をとってないけど、困ることはほとんどない。
新聞の中でもっとも役立っているテレビ番組はデジタルテレビになってから別になくてもよくなった。
天気予報はとっくに不用になっている。
デジタルテレビでもネットでもいつでも、それも地域の詳細な予報を見ることができる。
ニュースもテレビやネットで十分。特にネットではいつでも即座見ることができる。
変な偏った解説記事を読まなくて済むのもいい。
解説記事だけではなくニュースの記事そのものがしばしば偏っている。
これは購読料以上に広告収入に支えられている新聞紙の宿命だろう。
今まで新聞は家庭の中では1社がほぼ情報を独占してきた。
でも今では情報の選択肢がある。
新聞にだけ頼る必要はない。
それにどれだけの人が新聞をちゃんと読んでいるのだろう?
たいていの人は見出しだけ、興味のある記事だけぱらぱらと読むだけだろう。
そしてただ惰性でとっているだけ。
それなら新聞を止めてみるとよい。
最初は朝、なんかものたりない、落ち着かない気持ちになるけどすぐになれる。
そして少しも困らないことに気づくだろう。
新聞とはその程度のものなのだ。
今、購読料はいくらか知らないけど、きっと購読料で焼酎3本くらいは買えるだろう。
そう考えると誰だって焼酎3本のほうを選ぶに違いない。

しかしそうは言っても。
新聞がまったく無価値だと思っているわけではない。
全国紙は別としてローカル紙の地域に密着した情報は役に立つこともある。
それに全国紙だって少しは役に立っている。
というよりも実はとっても役に立っていることを認めないわけにはいかない。
新聞紙は。
新聞紙は包み紙にしたり荷造りに使ったり焚き付けに使ったりと、とっても重宝している。
それで時々知り合いからもらったりしている。
というわけでせっかくの白い紙をインクで汚したりしないで、新聞紙だけを販売したらどうだろう?
インクは安全か?とついつい気になる。
それで何もプリントしていない新聞紙を販売したらきっと読者(?)に喜ばれるだろう。
これこそ今後の新聞社の生きる道ではないだろうか?
「古紙販売業」これこそ新聞社の未来にふさわしい業種ではないだろうか?

コメント
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