ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

葬式(2)

2013年12月14日 22時16分08秒 | 田舎暮らし
集落の葬式が終った。
ちょうど忙しいときだったので、一日ばたばたと走り回った。

ここら辺は浄土真宗それも本願寺派が圧倒的に多い。
昔本願寺派の僧侶がここら辺を熱心に布教したのだろうか?
それとも江戸時代に強制的に決められたのだろうか。
いままでいろいろ葬式に出たけど、1軒を除きみな本願寺派だった。

まあそんなことはどうでもいいのだけど、
今度の坊さんは隣の村のお寺の住職でやたらと元気がいい。
浄土真宗のお経を聞いていると、ぬるま湯につかっているような、ゆりかごに揺られているようなそんな気分になるものだけど、ゆりかごよりも太鼓が似合いそうで、宗旨を間違えたんじゃない?とついつい思ってしまう。

なんてこともどうでもいいのだけど、本題は香典の話。
今までいろいろんな人に香典を上げてきたのだけど、不思議なことにまだ一度ももらったことがない。
これはとっても不公平ではないだろうか?
いったい死んだ人にあげてどうするつもりだろう?
生きてる人間にやってこそ有効な金の使い方ではないだろうか。
正直な話、葬式はする気は無いけど、香典はもらってもいいかなぁ、それも生きているうちに。
それで生前葬なんていいんじゃないかな・・・と思う。
そうして香典をひとつひとつチェックして、「えっ、1000円?!けちなやつだなぁ、こんな奴極楽なんかにいけるわけ無いよ」とか、
「3000円?まあまあかな。無難な額だ。そういえばこいつも無難なあまり面白みの無い人間だったなぁ、、、でもこで純米酒が呑める。よしとするか・・・」
「えっ、5000円?うんうん、今までこの人いやだったのだけど、本当はといってもいい人だったんだ!」なんてつぶやく。
そこで生前葬なんていいんじゃないかなぁ・・・
香典をやるのはあまり好きじゃないけど、もらうのは大好きだから!
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葬式

2013年12月14日 07時10分13秒 | 田舎暮らし
今度は同じ隣保の人の葬式。
昨日はお通夜今日は告別式。
冠婚葬祭の中でも村では葬式は最重要の儀式。
村八分の中の残り二分の一つでみんな参加しないといけない。
仕事があってもそんなこと関係なく。

今ではみな斎場でするけど、ここに来て一度だけ公民館での葬式を経験した。
そしてすっかりカルチャーショックを受けた。
と同時にみんなで銀行や役場などのいろんな手続きに走り回り女の人は料理などをして少しでも安く上げるように少しでも遺族の負担を軽くするような工夫に感心もした。
詳細は以前書いた・・・ような気がするので省くけど。

今では斎場でするので隣保の人はあまりやることは無い。
男の人は(不思議なことに)受付。
女の人は(不思議なことに)やることが無いのでもっぱら雑談。
それでも一家に二人は出ないといけない。
とても不思議な世界だ。

自分では決めている。
・葬式いらない
・法事もしない
・戒名いらない
・墓いらない
ただこれをしようとすると、死んでいく本人はいいけど、残された家族が大変だ。
それで事前に周りの人に納得させておく必要がある。
まあこれは時間をかけてゆっくりやることにしよう。

あるいは、どうしても葬式が必要と言う人のために、ネット葬式見たいなのはどうだろう?
ネット上で、このブログかホームページでいいけど、葬式をする。
まあ写真1枚とお別れの言葉でものせといたらいい。
戒名は「ぐうたら百姓」でいい。
するとお通夜も葬式もみんな自分の家で酒でも飲みながら参加出来る。
そしてパソコンに向かって両手を合わせかるく頭を下げてクリックする。
「いいね!」(?)
うむ、いいね!しかない。
これはちょっとどうかなぁ・・・と思われる人のために「いいね」だけでなくもう少し種類がほしい。
「残念でしたね」「ご愁傷さま」「悲しいです」「嬉しいです」「ざまぁみろ!」
でもきっとみんな「いいね!」か「ざまぁみろ!」しかクリックしないだろうな。


コメント (2)
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