ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

小説

2014年08月12日 19時39分20秒 | 本の中から
年とともに小説を読まなくなった。
小説に寝食を忘れて読みふけるということはなくなった。
小説を読んで感激するのは若い間だけなのだろう。
小説の中に没頭するのでなく、そこからちょっと離れて冷ややかに見つめている自分の存在を感じるようになった。

でも図書館に行かなくなってから、最近小説をまた読むようになった。
手持ちの本で再読したい本やまだ読んでなかった本がたくさんあったから。

最初スウィフト「ガリバー旅行記」を読んだ。

次にフィールディングの「ジョウゼフ・アンドルーズ」を読んだ。
昔同じ作者の「トム・ジョーンズ」を読んでとても面白かったから。
内容は全然覚えていないけど・・・
それで「ジョウゼフ・アンドルーズ」を読む気になった。
この作品は田舎へ帰る旅の出来事を笑劇風につなぎ合わせた作品。
日本で言えば「東海道中膝栗毛」といったところか。
こんな紀行文的な作品は読むのに気楽でいい。
ちょっと読んでは居眠りし、また目を覚ましては本を読む、
最近こんな読み方ばかりしているので一気に読まないと面白さがわからない作品を読むのは辛い。
フィールディングは「イギリス小説の父」と呼ばれているらしい。
フィールディングは1700年代前半の人。源氏物語とはくらべるべくもないけど、「イギリス小説の父」というにはずいぶん時代が新しく意外な気がする。

次に読んだのが、ディケンズの「二都物語」。
ディケンズ特有の暗い無彩色の世界。
昔はこんな作品を夢中で読んで感激してたのけど・・・と半ば白けながら読んだ。
やっぱり読み方は年とともに変わってくる。
やっぱりこの手の小説は若いときに読むにかぎる。

そして今読んでるのがセルバンテスの「ドン・キホーテ」
上巻を読んで今下巻を読んでいる。
昔読んだときよりも今の方がずっと面白く感じられる。
これも紀行文的な作品で「ジョウゼフ・アンドルーズ」のように笑劇風につなぎ合わせた作品と言えなくもないけど、読んだ感じ、重みがまるでちがう。

世界文学といえる作品の特徴といえば、時代を超えてみんなに読み継がれる本。
世代・年齢に関わらず読まれる本。
ハムレットやドン・キホーテ、「赤と黒」のジュリアン・ソレルや「罪と罰」のラスコーリニコフ、オブローモフ、「人間嫌い」のアルセスト・・・など普遍的な人格を描くこと、
だと思うけど、
その中でもは際立っている。
確かツルゲーネフだったかな、「ハムレットとドン・キホーテ」という作品がある。
人間をハムレット型とドン・キホーテ型に分けて論じている。
ハムレットは内省的、熟慮して行動するタイプ。
ドン・キホーテ外交的、まず行動する。
一般的にはハムレットは賢くドン・キホーテは愚か者と思われている。
でもツルゲーネフはそうではないという。
ハムレットは自分のことしか考えない利己的な人間。
ドン・キホーテは他人のために尽くす高潔な人格。
と確か書いてたと思う。
そう、確かにドン・キホーテは自分のために・・・とは考えない。
人のために尽くすことしか考えない。
気分自身はハムレット型の人間だと思うけど、それだけにドン・キホーテ型の人間には魅力を感じる。
でもそれでいてやっぱり違いを感じる、友達にはなれないなぁ・・・とも思う。
でもねハムレット型の人間って熟慮実行タイプ。
熟慮しすぎて平凡な行動しかできない。このぐうたら百姓のように。
でもドン・キホーテ型の人間、実行熟慮タイプの人間こそとっぴな行動をしてしばしば新しい歴史を作る。
ハムレット型の人間は批評家、ドン・キホーテ型の人間は革命家。
歴史はドン・キホーテ型の人間によって作られる。

ところで歴史の不思議というか、バッハとヘンデルが、ショパンとシューマンが、ヴェルディとワーグナーが同じ年に生まれている。
でも世界文学屈指のハムレットとドン・キホーテの作者、シェークスピアとセルバンテスが同じ年・同じ日に死んでいる・・・これこそ歴史の奇跡というべきだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする