IT革命・・・と言われだして久しい。
確かにそれは革命だった。
そしていまもなおこの革命が続いている。
どんな革命かというと個人で情報をため込む時代は終わったということ。
情報の媒体産業はもはや過去の遺物だということ。
レコードやカセットやCD、新聞、本・・・写真のアルバムにいたるまで、
情報はいつでも必要な時に引き出せるなら、何も個人でため込む必要はない。
もう本もCDも何年も買ってない。
新聞は15年以上とってない。
今までひたすら買い込んだ情報、ため込んだ情報、
愛着はあるものの、まず読み返すこともない本。
レコードプレーヤーが壊れてもう聞けないのに今でも捨てられずにいるレコード。
おもわずため息が出る。
でもまだ心の中ではCDや本は手放しがたい。
でも新聞は?
もう15年以上とってない、でも少しも困らない。
というより、しばしば意図的に購読者を自分たちの都合のいいように誘導しようという新聞社の意図に惑わされなくて済むのはとってもいい!
情報の供給源としての新聞社の役割はこれからも残るだろうが、新聞紙の販売者としての役割はすでに終焉を迎えている。
でもまだ新聞社はそれに気づいていない、というか気づこうとしていない。
今でも世論を自分たちの都合のいいように誘導できると思っている。
新聞を採っていない人たちを、
新聞を読まない人たちをどう誘導できるというの?
こんな単純なことがわからない、わかろうとしない。
でまあそんあことはどうでもいい、新聞社がつぶれようとこちらにとってはどうでもいい。
ただ.気になるのは本。
もう何年も本を買っていない。
でも端末にダウンロードして読む・・・なんてやっぱりちょっと抵抗がある、
というかなんか目が疲れそう。
やっぱり寝転んで気楽に紙に書かれた文字を読みたい。
というわけで最近はもっぱら図書館を利用している。
もう個人で本をため込む気はなくなった。
書いて読んで返したらいい。
どうせ再読することなんかまずないのだから。
今読んでるのはアンリ・トロワイヤの「ゴーゴリ伝」
ゴーゴリはロシヤ文学で一番好きな作家。
ロシヤ文学というと誰でもまず思うのはトルストイやドストエフスキー、それからチェーホフを思い浮かべる人もいるだろう。
でもこのぐうたら百姓、根が変な人間なのでロシヤ文学というとゴーゴリなのだ。
ロシヤ文学だけでない、
ギリシャの古典というとアイスキュロスやソフォクレス、エウリピデスよりアリスとパネス。
フランス文学というとスタンダールやバルザックでなくモリエール。
イギリス文学というとシェークスピアでなくスウィフト。
根が変な人間なのだ。
というわけで今読んでいるのはたまたま図書館で見つけた「ゴーゴリ伝」
ゴーゴリは好きな作家だけどその生涯全然知らなかった。
それでふと読もうと思って借りたのだった。
出版は昭和58年。
ところが今まで誰も借りた気配がない。
なんと30年以上も誰も読んでない!
こんな本をおいているのは逆に図書館は自慢してもいいのではないだろうか?
本屋ではそうはいかない。
売れない本をいつまでもおいては置けない。
それでとっても図書館をありがたいと思う。
ところでゴーゴリ、
空想癖、あるいは妄想癖があり、ちょっとしたことで有頂天になり、
ちょっとしたことで滅茶苦茶落ち込む。
人見知りで人当たりが悪い。
まるで自分自信を見てるようだね。
まだ4分の1くらいしか読んでないけど、これから楽しみだ。
確かにそれは革命だった。
そしていまもなおこの革命が続いている。
どんな革命かというと個人で情報をため込む時代は終わったということ。
情報の媒体産業はもはや過去の遺物だということ。
レコードやカセットやCD、新聞、本・・・写真のアルバムにいたるまで、
情報はいつでも必要な時に引き出せるなら、何も個人でため込む必要はない。
もう本もCDも何年も買ってない。
新聞は15年以上とってない。
今までひたすら買い込んだ情報、ため込んだ情報、
愛着はあるものの、まず読み返すこともない本。
レコードプレーヤーが壊れてもう聞けないのに今でも捨てられずにいるレコード。
おもわずため息が出る。
でもまだ心の中ではCDや本は手放しがたい。
でも新聞は?
もう15年以上とってない、でも少しも困らない。
というより、しばしば意図的に購読者を自分たちの都合のいいように誘導しようという新聞社の意図に惑わされなくて済むのはとってもいい!
情報の供給源としての新聞社の役割はこれからも残るだろうが、新聞紙の販売者としての役割はすでに終焉を迎えている。
でもまだ新聞社はそれに気づいていない、というか気づこうとしていない。
今でも世論を自分たちの都合のいいように誘導できると思っている。
新聞を採っていない人たちを、
新聞を読まない人たちをどう誘導できるというの?
こんな単純なことがわからない、わかろうとしない。
でまあそんあことはどうでもいい、新聞社がつぶれようとこちらにとってはどうでもいい。
ただ.気になるのは本。
もう何年も本を買っていない。
でも端末にダウンロードして読む・・・なんてやっぱりちょっと抵抗がある、
というかなんか目が疲れそう。
やっぱり寝転んで気楽に紙に書かれた文字を読みたい。
というわけで最近はもっぱら図書館を利用している。
もう個人で本をため込む気はなくなった。
書いて読んで返したらいい。
どうせ再読することなんかまずないのだから。
今読んでるのはアンリ・トロワイヤの「ゴーゴリ伝」
ゴーゴリはロシヤ文学で一番好きな作家。
ロシヤ文学というと誰でもまず思うのはトルストイやドストエフスキー、それからチェーホフを思い浮かべる人もいるだろう。
でもこのぐうたら百姓、根が変な人間なのでロシヤ文学というとゴーゴリなのだ。
ロシヤ文学だけでない、
ギリシャの古典というとアイスキュロスやソフォクレス、エウリピデスよりアリスとパネス。
フランス文学というとスタンダールやバルザックでなくモリエール。
イギリス文学というとシェークスピアでなくスウィフト。
根が変な人間なのだ。
というわけで今読んでいるのはたまたま図書館で見つけた「ゴーゴリ伝」
ゴーゴリは好きな作家だけどその生涯全然知らなかった。
それでふと読もうと思って借りたのだった。
出版は昭和58年。
ところが今まで誰も借りた気配がない。
なんと30年以上も誰も読んでない!
こんな本をおいているのは逆に図書館は自慢してもいいのではないだろうか?
本屋ではそうはいかない。
売れない本をいつまでもおいては置けない。
それでとっても図書館をありがたいと思う。
ところでゴーゴリ、
空想癖、あるいは妄想癖があり、ちょっとしたことで有頂天になり、
ちょっとしたことで滅茶苦茶落ち込む。
人見知りで人当たりが悪い。
まるで自分自信を見てるようだね。
まだ4分の1くらいしか読んでないけど、これから楽しみだ。