日本書紀を読んだ流れから、今、「葬られた王朝」(梅原猛・著)を読んでいる。
かって梅原猛氏に夢中になり著作を読みあさったことがあった。
とりわけ「水底の歌」と「隠された十字架」はとっても鮮烈だった。
わざわざ島根の辺鄙な土地、粕淵まで鴨山まで旅をした。
そしてとっても鄙びた湯抱温泉の旅館に泊まった。
温泉とはいえ一般の観光客相手ではなく、昔ながらの湯治客相手の旅館が数軒。
ここにあるとき斎藤茂吉が柿本人麻呂が死んだのがここの鴨山!
なんて強引に言い出した。
でもとってもそれは無理がある。
なんで都から「収税士」がこんな片田舎までやってくる?
なんで梅原説では犯罪人をこんな片田舎までやってきて首を切る?
犯罪者だったらもっと手近なところで首を切るよ。
法隆寺の七不思議も梅原説だとすべて納得できる。
というわけで「水底の歌」と「隠された十字架」にすっかり納得した。
ただそれ以外の著作には何かしら釈然としないものがあった。
その一つに「神々の流竄」があった。
出雲の神々は大和の旧大和の神々が流竄されて出雲に流されたのだという説。
これにはなんともしっくりこなかった。
そして「葬られた王朝」を.読んでやっとはっきりした。
やっぱり出雲王朝はあったんだと、.とってもとっても「大国の命」と言われるような大和や山陽、四国までもその勢力が及んでいた大きな大きな主だったんだと。
まあまあ、それはそれ。
日本書紀を全否定しては何も生まれない。
まずは肯定してその裏を読み取る。
底から新しい世界が広がる。
日本の歴史ってとってもとっても奥深いんだよ。