ab Cuore 

帰国した時ノンポリだった私が見たのは≒無政府状態の日本。
ショック、怒り、希望をこのブログに書きました。

8/15 人体実験 気になるこのニュース

2018-08-15 14:29:49 | 医療関係


8/15 人体実験 気になるこのニュース


本当かしら?

医学をやっているのは誰でも、これを本心ではやりたい。


でも人の命を救うことファーストでやっている医者が幸いにして大半。

このニュースはJチャンになっているけど

フォローしてね。

すごい話だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8/15 清水先生 そのバッタを野に出さないでね

2018-08-15 14:29:18 | 医療関係

8/15 清水先生 そのバッタを野に出さないでね


このバッタ単為生殖ができる。

メスだけでどうやって増えるのかな?



バッタだから農作物を餌にしているのでは?


そんなのが増えたら悲惨です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8/15 清水先生 このバッタ雌だけで増える

2018-08-15 14:28:43 | 医療関係

8/15 清水先生 そのバッタを野に出さないでね


このバッタ単為生殖ができる。

メスだけでどうやって増えるのかな?



バッタだから農作物を餌にしているのでは?


そんなのが増えたら悲惨です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8/15 ムクドリ、どうしようもない鳥

2018-08-15 14:27:42 | 医療関係

8/15 ムクドリ、どうしようもない鳥

チーコとよく喧嘩したのはムクドリのことでだ。


チーコが養子?にしたチームクと私が名付けムクドリがいる。

雀に囲まれて座っているムクドリの子。


チーコたちは私のところにキジバトやカラスまで連れてきたけど

思えば彼らは途方にくれたまだ子供だったのだ。


もっと後になって、親がおっぽり出されたカラスの子の面倒をチーコは見ていた。

チームクがチーコに引き取られたいきさつはわからない。


でも私が気がついたとき、チームクは雀と行動をともにしていた。


私はすでにムクドリが嫌いだったので、チームクに注意していた。

1羽来れば、他のも来るに決まっている。


呼ばれなくても来るのがムクドリなのだ。


私はチーコにムクはあかんと言った。

雀にムクドリが混ざっていると、さったと皿を下げた。

そうなると他の雀が文句をいう。

ムクドリが周辺にいると私は手を泳がせた。

チーコが何か言う。

ムクドリは飛び去った。

その子もと私がチームクを指した。

するとチータンはチームクの横にしっかりくっついて

「この子は別」と体を張って守った。

私は許可はしなかったけど、おんだせ とは言えなかった。


昨夕のNスタではムクドリはリーダーがいないと言ったけど

小さいグループでは「います」。


チーコが何か言うと上記したけど、そうすると、ムクドリの中の誰かが

「行こう!」とリーダーシップをとるからだ。それが飛びだせば他のも続く。


ムクドリと共存は難しい。

ムクドリはやさしい面もあるけど、大ざっぱなのだ。

向こう(人間)が文句言わないのだからいいよ

って感じでなんでもやる。


たまむすびでたまちゃんがカラスは言えばわかるって言ったけど

ムクドリはどうかな?


集まれば怖くないでやっているから、あの大量のムクに何か言っても

カエルの面にションベンにもならないだろう。


私の周辺はチーコが注意しているからああいう群は見たことがない。

傷つけない程度に脅して、そこに来るな を教え込むしかないと思う。


市街地に天敵がいないというなら、野生の鷹とかフクロウでも数羽一度に放したらどうだろう?

鷹匠に飼われている鷹ではダメ。

鳥同志で話し合うからね。

人間にはわからないけど、鳥同志はちゃんとコミュニケーションが取れることを

知っておかないとどういう対策も大した功をなさない。


カラスに鷹をしかけたことある。

カラスと鷹がしばし側に一緒にいた。

そのうち、鷹匠の鷹が逃げたといううニュースを聞いた。

戻った話は聞いていないから、自由を求めたのかもしれない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8/15 今日は8月15日 スーさん、長峰さんが戦中派って?

2018-08-15 14:26:47 | 医療関係

8/15 今日は8月15日 スーさん、長峰さんが戦中派ってどういうこと?


戦中派って、戦争中に生きていた人だと思っていた。


私はスーさんの親になれる年だけど、戦中派だとは言わない。

戦後に生まれたからね。


戦中派は私の両親。

父は軍隊生活を時々話したけど、今思い返すと苦しい感じには言わなかった。

母は戦争中、病院勤務をしていたから空襲の話なんかもした。


すごく断片的で(私の記憶が断片的というより)、話の順の追い方がわかりにくかった。

だいたい病院の場所がわからない。

病院は焼けなかったけど、空襲明けの朝、自宅に戻る必要があったそうだけど

その位置関係もわからないというか、話にはない。たぶん母は言わなかった。


歩くしかなかった。 それは想像がつくけど、何キロ、何十うキロを歩く必要があるのか

それもわからない。

わかったのは、そこら中焼野原で、死体がゴロゴロしていて・・・・


そんなところよく通れたと当時私の感じたことを今でも思い出す。


食べ物がなかったそうだけど、母やその兄弟たちの食べ物の話は楽しかった。

食事の代わりに大福を食べたとか、おはぎを食べたとか。

よくそんなものあったね!!

スーさんたちはスイトンに芋とかキャボチャで、今でも嫌いという人の話があったけど

そんな話は出てこなかった。


ただ父は高野豆腐が頻繁に出て嫌いな食べ物だと母が言っていた。

作り方によると思う。煮方が足りないとおいしくないよ、あれは。

そのせいで最近まで私も食べず嫌いだった。



私の乳児期、母の母乳がでなくて、重湯のもっと薄いのとか食べさせられたらしいけど

別に病むわけでもなくちゃんと成長した。


スーさんたちも使った配給という言葉、私も聞いたことがある。

でも具体的にはなにも覚えていない。砂糖は配給だったかもしれない。

配給って券というか、手帳というか、もらえる量が決まっていた、

並ぶ必要があったと記憶しているけど並んだことなんかないから

これは後からどこかで得た話かもしれない。


小学校に入った年、教室が足りなくて、午前のとき、午後からのときがどのくらいか

続いた。これが私の戦後の思い出だ。校舎が焦げていたような気がする。


母はそういう話をするのが好き?だったから

丁寧に聞けばメモできてしっかりした記録になったかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする