ab Cuore 

帰国した時ノンポリだった私が見たのは≒無政府状態の日本。
ショック、怒り、希望をこのブログに書きました。

5/5 中村浩子 And Then  第1話

2024-05-07 13:51:22 | あほ


5/5 中村浩子 And Then  第1話


夏でもないのに暑い日だった。

浩子は昼寝でもなかったけどベッドに横になっていた。

電話がなった。

電話の予定はない。

浩子はでないことにした。

夕方、浩子が買い物から戻り、机に座ったとき電話が鳴った。

男、見知らぬ男だった。

何か言っているけどわけがわからない。

間違い電話ですよ

と浩子が言った。

間違い電話じゃないですよ と男。

男は最初から話し始めたけど、浩子には何の話かまったく理解できない。

それで私はなにをすればいいんですか?

と浩子が男に聞いた。

突然、浩子はもっと大事な聞くべきことを思いだした。

あなた、誰?

男はちょっと黙った、 それから電話を切った。


浩子は今は一人だ。

この春の初めに介護していた母が逝った。

浩子には兄と姉はいたがそれぞれ結婚して日本のあちらこちらにいる。


浩子は数年前、離婚して母一人の家に戻ってきた。

浩子が育った家で、父はもうだいぶ前に亡くなっていた。


浩子に子供はいなかった。


家には野良猫が庭に住みついていた。

その子も一人のようで、オスかもしれない。

ご飯は猫がごはんと言うときだけやっていた。

この冬は時々家に入れてやったが

温かくなったら自分で出て行った。


この家の南側の庭は狭く洗濯ものは南側の廊下に出していた。

軒が深いので外に干せないこともなかった。


部屋は廊下を廊下がグルっと一周してあり6部屋もあった。

廊下を挟んだ向こう側に3畳間と台所、浴室があった。

大きな家で半分は貸してあった。


玄関前に1本のもみじの木があった。

門のあるほうの庭が広かった。


門はもう数か月しまったままで用事のある人は門から数メートル横の

木戸から出入りしていた。


直子は母の介護しているうちから、母が逝ったらこの家を売りたいと

兄と姉に話していた。2人ともここに戻る気はないし、

このだだっ広い家に一人で住む気も浩子になかった。


浩子はまだ29歳で、兄、姉とも30代だった。


この家を売る話を、今の部屋を借り手を見つけてくれた不動産屋に

話してみた。

不動産屋は今の敷地を更地にしてマンションでも建てれば

と言ってくれたけど、兄も姉も浩子も、そして3人合わせても

そんな資金はなかった。


結局売ることにして、今の住人には出て行ってもらった。

浩子の両親の家は都内有数の住宅街のひとつと言うこともあり、

土地付きでその家はあんがい早く売却できた。


浩子はその金でマンションでも買ってと思ってはいたが

さて、それからどうするとい人生設計を考えたとき

マンション案はあっさり却下した。


浩子はフランスにいた。

そこで出会った日本人の男と結婚したけど、

フランスに居ながらにしてフランス語を覚えようとしない男の考え方や、

彼の和食店を手伝うのも次第に嫌気がさした。

それは彼が妻は手伝うものという発想で浩子にただ働きさせていたから。


母の老化による衰えを口実に離婚して帰国したのだ。

母はまだ70歳を超えたところで、帰国して見ると

まだまだ元気だった。


浩子は学生に戻ったかのように好き勝ってをして生活していた。

家事は一切母に任せ、夕食後の後片付けすらやらないでテレビを見たりしていた。


浩子の生活費は無賃で働かせた元夫からの慰謝料でまかなっていた。

慰謝料は毎月送るのは高くつくからと一括払いにしてほしいとの

元夫の言い分で2500万円で手を打った。

弁護士の介入が功をそうした。


そんな母が急に弱り、立つのもままならない状況になった。

それは浩子が夕飯の後片付けを気まぐれに今夜はやるよと

言ってやった翌日に始まった。


浩子の父の死は事故に巻き込まれた結果だが

母は突然弱々しくなったと思ったら3か月ほどで逝ってしまった。

兄も姉も母の最期に会えなかった。

誰も母がそんなに簡単に亡くなるなんて思っていなかった。


浩子は葬儀の後、兄と姉にこれからどうすると聞かれた。

浩子の気持ちは決まっていなかった。

フランスに戻りたい気持ちもあったけど

母が元気なころ、墓守りはどうすると言った。

そのことが気になって、兄と姉に話してみた。

2人とも鼻先で笑って、墓守なんかするためにお寺に金を払っていると

言った。


そうか、私は自由なんだ。

再婚する気もすぐにはないし・・・・・

少し考えるわと浩子は言った。


兄は転勤族だけど、姉はうちの町に来てもいいわと言ってくれた。


浩子はキリスト教徒ではなかったけど

子供のころなぜか浩子だけ日曜学校というのに通っていた。

そのせいか、心のどこかに清教徒精神が根強くあった。

禁欲じゃないけど、あれも駄目、これも駄目と

自分を縛る傾向にあった。


それがひょんなことでパリに行って、解放された気になっていた。

と言ってもフランス人男とたわむれたことはなかった。


だから日本人となんか結婚して、兄からも姉からも

なーに、それ、パリまで行って

という”非難”を浴びた。


家を売った金の3分の一をもらって、

浩子は賃貸のマンション暮らしをしていた。

ここなら束縛されることもなく、引越しは自由だ。


早朝の朝、ベランダから外を眺めていた。

朝日はすでに登り、今日は晴れという空模様だった。

静かと思っていたら、連休でマンションの住人の多くはいなかった。


犬の声が下で聞えた。

下を見たら、散歩中の男と犬が歩いていた。

犬は横切った猫を追いかけようとしていた。

犬と猫って宿敵なんだと浩子が思った。


大吾郎、止めな と人間の声。

ヘー、あの犬、大吾郎って言うんだ。

浩子は小声で だいごろう と呼んでみた。

大吾郎が浩子を見上げた。

同時に飼い主も振り仰いだ。

まあ聞こえたんだ と浩子は思ったが

おはようございますと言ってみた。

飼い主もおはようございますと言って感じのいい笑い顔を見せた。


大吾郎の飼い主はこのマンションに一番近いコンビニの上のマンションに住んでいた。

あの出会いのあと、2人は近所のコンビニで出会ったのだ。

その時、外につながれた大吾郎が浩子をみつけた。


大吾郎は臭いを嗅いだこともないはずなのに

浩子に旧知のように尾を振って歓迎してくれた。

2人で店の前で戯れていたとき、飼い主が出てきた。


飼い主も、あの時の とすぐ浩子に気がついた。

挨拶を済ませて浩子がこの辺にお住いですかと聞くと

沢田啓太はこの上ですとあごでしゃくった。


それから啓太は缶コーヒーを1本くれて、

電話しますと言って建物の中に入って行った。


それから数日後の朝、浩子に電話があった。

出会い早々申し訳ないのですがと切り出した。


急な出張が決まりまして、あのー、エーと

大吾郎を数日預かってくださいますか?

両親は遠方で頼みに行く時間がなくて。


浩子はまあ、ずうずうしくと思わないこともなかったが

いいですよ

と気楽に引き受けてしまった。


こうして犬と浩子の暮らしが始まった。

庭なしの家で動物と暮らすのは浩子にとって初めてだった。



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5/7 このうちは物がよくなくなる 置いたはずのところにない

2024-05-07 13:39:16 | あほ


5/7 このうちは物がよくなくなる 置いたはずのところにない


こげ落としとステンレス磨きを購入して

こげ落としをガス台下に入れておいたのがない。

ステンレス磨きは読むことがあって部屋においておいたので無事。


ドアの鍵が一個しかないから両面テープで鍵穴をふさぎ

このテープをいじったらわかるわけだけど

それでも中に入ったよう。


どこまでうちの家主は盗人根性なんだろうう。


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5/7 初めに現実があった それを文字化してみたのが

2024-05-07 13:38:52 | あほ

5/7 初めに現実があった それを文字化してみたのが

あれはいつだった?になった。


長野は架空の人だけど、

彼が生き延びるのは間違いだと思った。

信兄の言葉なき圧力で長野は自殺を迫られた。


こんなに複雑な話をチョコチョコっと終わらせるのは

もったいないと思った。


シドニーが生きていたら見せたかった。



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5/7 次の首相 でもね、

2024-05-07 08:48:58 | あほ

5/7 次の首相 でもね、

今朝タケロー? 生島さん?を聞いていたら岸田首相にとって最大に怖かった

安部派がなくなって、もう怖いもんなしの岸田さんだってよ。


安部さん、岸田さんに首相なんだから好きにやっていいみたいな

ことを言った。 ニュースで見た。


岸田さん、もう一度首相になるとも思えないのだけど

長いこと首相やっていた人もいたからね。





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5/7 フランスには介護保険なんかなかった 老人病科って知っている?

2024-05-07 08:46:45 | あほ


5/7 フランスには介護保険なんかなかった 老人病科って知っている?


フランスでは日本でいう健康保険でまかなっている、いた。

今は知らない。

なんでその病院に行ったか思い出さない。

でもその病院の看護婦に老人病という科を聞いた。

外科とか、内科のように老人病科ということだ。

帰国して病院に行く機会があるたびに

老人病科というのを見てみたけど

日本にはそういうのないみたい。


フランスでは身よりがあるかないかは関係ないように見えた。

隣のばあちゃんも姪がいたけど

もうかなり寝たきりになってから初めて来た。


他に介護の人は来なかった。

ある夜、隣がうるさい。

なんか工事でもしているようなドンドン音が聞こえていた。

何時間も。

でも、ハッとした。

なんか具合が悪くて私を呼んでいる。

急いでドア越しに声をかけてみたら転んで動けないと言った。

すぐ管理人を呼んだ。

管理人が来るまでの間、ばあちゃんは私が助けてくれると思っていたと

言った。


そして救急車が来て、ばあちゃんはその夜から入院した。

ばあちゃんが入院してから初めて姪に会った。

ばあちゃんの死後、部屋のちの片付けをやって、

やがてそのアパートは売られてしまった。


私が話し相手に行っていたばあちゃんには甥がいた。

2人の話しているところを聞いているとかなり親しい。

でもこのおしゃべりばあちゃんの話相手はしてくれない

そういう印象だった。


夜中に電話してきて、おしゃべりの相手をしてと言われて

困ったことがあった。

ばあちゃんは毎日日曜日だろうけど

当時は私は忙しかった。

電話のコンセントを外して寝た。




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5/7 パリで隣のばあちゃんは90いくつかだった

2024-05-07 08:46:45 | あほ


5/7 パリで隣のばあちゃんは90いくつかだった

今朝、タケローで一人暮らしの老人の話をしていた。


その隣人は独身のマドモアゼルだ。

おばあちゃんに聞いたのだけど、彼女が結婚年齢のころは

戦争で男がいなかった。

だから彼女の世代は独身が多いとか。

でも彼女は若いころ働いていたから社会保険もしっかりあった。


同じ住所で、彼女みたい老女は数人いた。

もうボケボケで日に何度も買い物に行ったり。


私も隣のばあちゃんだけでなく、

おしゃべりをするようになった別棟の老人のところに

時々話し相手に行ったり、

スーパーのおばさんに彼女の伝言に行ったりした。

買い物に行くのが大変というので、そのスーパーは

電話で注文を聞いて、届けるまでやってくれるようになった。

そのスーパーは夫婦でやっている小さいところだから

こういうことができた。

でも、母も近所のスーパーで買い物したものを

夜になるけど、届けてくれる店主がいた。


親切は金と同じで世をまわるのよ。


どこのアパートでもこんにちはくらいは出会えば言ったけど

日本ってここだけじゃない。

挨拶もしない。

日本人ってすごく個人主義!

フランス人の専売特許みたい個人主義は日本では

いきわたっているみたい。



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5/7 自治体が一人老人をケア  タケローで

2024-05-07 08:46:21 | あほ


5/7 自治体が一人老人をケア  タケローで


なんとかコーディネーターって人がいる。

聞きながらメモったままで投稿します。


一人暮らしの老人の食事の世話、買い物等々を手伝ってくれるとか。

社会福祉?・・・・なんだっけ? メモできず。


死後の対応までするとか。

個別対応とまとめて対応があるとか。

身内、親戚がいてもやれない、やらない問題があるからできたらしい。


民間に任せておいたら当人が困るから(民間は有料だからね)

行政がやるとか。


xxxx年には身よりのない老人の一人世帯は887万人世代 

何年か聞き損ねた、ごめん。


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