5月10日(日)
母の日に想う
(子供たちへの自史記録の一部として記す)
公園を散歩してると近くの花屋の前に子供たちがカーネーションを求めている姿を見た。
そうか今日は 母の日か・・
母を想うことは時々あるが、いつも心配や迷惑ばかりかけ最後まで何もしてやれなかったと言う後悔ばかりで辛い。
もう60余年前の高校生の時、夕方帰宅したら何の理由か忘れたが父親にひどく怒られたが、その勢いで何も持たずに家を飛び出した。 持っていた通学定期券で国鉄大阪駅へ そこへ来た列車に飛び乗った。 ただ遠くまで行きたかっただけだが・・ その汽車は東京行きの夜行列車で早朝に東京へ着くとの案内をボンヤリと聞いた。
ふっと気が付くと前から検札に車掌が回ってきた・・ 当時は無賃乗車が多かったから必ず検札に回り切符の確認をするのだ。 オレは無賃乗車だった。 慌てて席を立とうとしたが逃げ場もなく動けない・・
仕方なく財布を探ったが朝もらった500円の小遣いがあった。 これで行けるところまで行けばいい・・ と来た車掌に これで行ける駅まで・・ と聞いた。 車掌は首を傾げ乍らも知らない駅の切符を渡してくれた。
もう検札には来ないだろうと思い乗り続けて深夜の名古屋駅に着いた。 とにかく列車を下りて駅のベンチに横になったが、腹減ったな~ 金はゼロ・・ とにかく寒い・・ 駅の水で飢えをしのぐが、ここから祖母や親族の多い松本へ行くにも切符がないし・・
朝になり来た列車にまた飛び乗ったら大阪行きの鈍行列車だった。 座席が暖かい・・ 疲れて腹も減りヘトヘトになってたのかすぐに爆睡だったようで着いたら昼の大阪駅だった。 今日は検札に来なかったのか? とにかく大阪に戻ってしまったが気力も失い定期券で改札をでた。
梅田界隈を当てもなく歩いたが疲れ果て夕暮れとなった。 ボーといつも通学で家路につく大阪駅前の阪急交差点を渡っている時だ・・ ラッシュ時の凄い人並みのどこかからオレの名を呼ぶ声が聞こえる・・ なに?? 空耳か?
はっちゃ はっちゃ! 目の前に飛び込んできたのは紛れもなく涙ぐむ母親の姿だった。 まさか・・?
母は昨夜から梅田近辺を探し回り、今朝からはこのすごい人込みの中で私を探していたという・・ それにしても・・ 私の腕をしっかりとつかんだまま母は 一緒に帰ろうね・・ と。 私は嬉し涙と共にうなづいた・・ 嬉しかった。 父は何も言わなかった。 そしてもう二度と母に心配をかけるような事はしないぞ・・ と心に誓った。
あれから幾年かの歳月が流れたのに、オレはあの日の恩や感謝を忘れ最後まで母に心配ばかりかけ何もしてやれなかった悔いばかりが残る。 「親孝行したい時には親はなし」 後悔先に立たずが身に浸みる。
「母の日」はオレにとって母の愛を実感として思い出すだけに感謝と共に辛い日でもある。 生きていれば今年100歳になる。 ’20 5/10
南公園の散歩道から そういえば母はこんなパープル系の花が好きだったなー