4月15日(水) 6/20℃
公園はいっぱい!?
お昼を済ませ、前の南公園へ散歩に出かけた。
4月15日(水) 6/20℃
公園はいっぱい!?
お昼を済ませ、前の南公園へ散歩に出かけた。
4月14日(火) 9/16℃
社会保障それぞれ
会社をしている頃、小学生の子供を連れてコペンハーゲンへ出張したことがあった。 ところが子供が旅の疲れか急に腹痛になりホテルでどうしたらいいのか慌てた。 現地駐在員に頼み朝一番で病院へ連れて行ったが異国で不安だった。 とにかく早く治してもらいたく必死だったが、診察してくれた大きな病院の女医は親切丁寧に時間をかけて診察し、治療してくれて大事に至らなくて安堵した。 薬も貰いさて支払いは?
外国での医療費は桁違いに高いからと思って覚悟していたが、聞いたらみんな笑って手を振った。 何なに!? デンマークでは外国旅行者も含めて医療費は全て無料だとの事。 ちなみに老後の施設も全て無料・・ その為に国民は毎月多額の税金を納めているのだ・・ と。 社会保障制度が充実していて老後の心配がいらないからその為の貯金をしなくてもいいのだとか。 なんとも羨ましい限りで感激した。
翌年、同じように仕事を兼ねニューヨークへ行ったが、現地案内人を頼みアーチストらの創作作品を探しに下町の倉庫地区を巡った。 そこで見た光景は貧富の差を見せつけられ医療もまともに受けられない貧しい人々と不潔な生活環境だった。 現在、新型コロナウイルスによる感染者数、死者数が世界最多というニューヨークだが変に納得できる。
国の社会保障制度の重要性を認識したが、さてこの日本は・・
今朝の千里南公園から・・
4月13日(月) 8/12℃
あるがままに
「あるがままに生きる」これは森田正馬博士の森田療法の真髄だが、この言葉を当初聞いたときは自分の理想の生き方だと思った。 しかし心のままに好き勝手に生きて良いと言うことでなく、すぐに自分のそれはグータラ病の怠け者だからそれをカバーするための言い訳に過ぎないと自省した・・ トホホ!
一般に考える自然体で生きるのとは違い、自分の体の気分や症状、生活環境、過去の出来事、他人の気持ちなど今変えることのできないものはあるがままに受け入れ、いじらず、抗わず、逃げずに、しかしやるべきことを目的本位にやるという意味であると言う。
それに自分の性分から毎日の決めたローテーションを守り、元来の怠け者グータラ病を抑制することを意識しないと、水と同じで常に低きに流れてしまう。
今更足の短いダックスフンドがシェパードになりたいと言ってもダメ、皺を~、ハゲを~、あの時の〜、ダメなものはダメ! 嘆いても悩んでも恨んでも後悔しても変わらないものは変わらない。
あるがままに生きる・・ 受け入れる。 そして生き甲斐のある自分の老楽の夢を追う・・ 希望を持って今を生きる・・
な~んて理想の言葉が並ぶけど~ ホントそうありたいものだ。
・あるがまま自然体とはまた違う
・あるがまま人間らしくあるべきと
・受け入れるその決断があるがまま
・夢一つ人を動かす生き甲斐に 頑爺
人影のない雨の南公園を散歩する 桜散りツツジ花咲きホーホケキョ
4月12日(日) 8/9℃
目の手術から
スマホに一年前の今日の写真が自動UPされるが、一年前は丁度(目の手術)をしていた頃だと思い出した。 10余年も街の眼科医院に通いダメで、医院も変えてみたが視力は回復せず、メガネばかり変えていたが自分の意思も通らず不便で不安だった。
しかし自分の殻を破り籠の鳥から大空へ飛び出したのを機会に、大きな眼科専門病院を受診した。 医師、看護師、検査師ほか160余人のスタッフに各種の最新医療機器が並ぶ。 国際的にも評価の高いという院長の診断によりすぐに手術となり執刀もしてもらった。 それまでの診断と違い手術に不安はあったが覚悟し、右目次いで左目と間隔をあけ各一週間ほどの入院で退院した。 予想費用の半分以下で済んだ。
あれから一年・・・ 今家で過ごすのにメガネさえ不要で裸眼で全く不自由しないから不思議だ。 それまでのあの長い年月の不自由さは何だったのだろうか?
・目の手術見えなくなるとなお怖い
・診断も最新機器のデータから
・マンネリを打破し自分を変えてみる
・老い楽に裸眼生活貴重なり 頑爺
雨の南公園の桜は落下盛んだが、遅咲きの八重桜が花を咲かせ始めた
4月11日(土) 5/15℃
4月10日(金) 8/16℃
復活の日
小松左京・原作の角川映画「復活の日」をTVで見た。 40年前の映画だが、東西米ソの細菌兵器研究から洩れた細菌で全世界が死滅した。 次いで大地震により米ソ双方の核爆弾自動発射装置が作動し世界は二度全滅する。
しかし極寒の南極観測隊に少しの男女の隊員が生き残り人類が復活する兆し... といった物語だが、今世界をめぐる新型コロナウィルスとの戦いに真っ最中なだけに背筋が寒くなった。
小松左京は小説「日本沈没」など数々のSF名著を残したが、その墓が箕面の瀧安寺にあり箕面の森の散策時によく立ち寄ったものだ。 また箕面市立中央図書館にも小松左京のコーナーがあり時々立ち寄り想像の世界に浸ったものだが、そのSFと今の現実世界とが重なり震撼することばかりだ。
「復活の日」はあるのか⁉️
・ウィルスは人類滅ぼす兵器なり
・コロナとの戦いありて団結を
・左京さんこれから先を教えてよ
・SFも現実を見て想像す 頑爺
新緑の若葉が冬枯れの公園に希望と復活の日を与えてくれる
4月9日(木) 7/18℃
歴史散策・小田原城跡!
今日は本を読もうと書棚から一冊選びラウンジチェアーに寝そべる・・ 淹れたての珈琲をテーブルに何という幸せな時間~
東海道歩き旅で印象に残ったお城の一つに小田原城があった(3月16日ブログに掲載分) 昔々の日本の戦国時代に唯一の城郭都市で盤石だった北条氏の小田原城が、なぜ豊臣秀吉によって1590年代 無血開城を余儀なくされ落城したのか? 策略、戦略、判断のミスや人の弱さ、油断驕り、間違った自信、人心の動揺等など・・ そんな歴史を知り興味が湧くが、改めて美しい小田原城跡公園や、秀吉が小田原城攻略を指揮した箱根湯本の早雲寺を訪ねた時の事を思い出しながら歴史に浸る一日だった。 歩き旅を終え、そんな歴史を改めて辿るのも面白いものだ。
・歴史本 訪ねて知るは臨場感
・いつの世も判断ミスは命取り
・珈琲とラウンジ寝そべり歴史みる
・失敗は人間だもの当たり前 頑爺
小田原城跡(3/16ブログより)
4月8日(水) 7/20℃
植物との対話
毎朝起床すると、部屋の18個の観葉植物一つ一つに声をかけて様子を観察する。
もうかなり昔の事だが、箕面の近くに住んでいた往年の漫才師でその後演劇界でも活躍したミヤコ蝶々さんが、「・・なあにいちゃん! 植物は生きてんねんで! 声かけて育ててみー このトマトな こっちは毎朝声掛けて、おはようさん! 元気やな! きれいやで! 今日も一日がんばりや! と。 しかしこっちのトマトは全く声も掛けんと水だけやってたら見てーな これ! こんだけ成長が違うし出来たトマトも全くちゃうやろ・・ 植物も動物とおんなじ生き物なんやで・・ 人間も一緒やろ! 植物への声かけは肥えかけと同じでな、肥料や栄養なんやでー」 と。
動物はよく知られているが、以前 箕面山麓にあった乳牛舎の前に大きなハナモモの木があって山歩きの時によく見に行ったが、いつも牛舎からモーツアルトの曲が流れていた。 乳牛たちが寛いでいる様子が印象的だったが、やはり乳の出具合が全く違うと聞いた。
それ以来、自分も特に部屋の植物には毎朝声を掛け様子を見てきたが、ミヤコ蝶々さんが言う通り、毎日のようにその変化に驚く。 今は帰宅しても一人で ただいま!! と声を出し植物に語り掛ける。 植物も動物と同じ生き物・・ 確かにそうだな。
・植物も生き物だから声かけて
・声掛けは肥えかけと同じ効果あり
・植物に語り掛けると返事あり
・物言わぬ生き物対話生き甲斐に 頑爺
千里南公園の花壇から すごくきれいだよ!!
4月7日(火) 5/18℃
緊急事態だが
先ほど新型コロナウイルスの感染拡大に関し安倍総理の会見があり、七大都道府県に「緊急事態宣言」が発出されたが、世界の状況を見るたびにこの先どうなるのかな? と不安になる。
目に見えない細菌、ウイルスの怖さを改めて知るが、かつての映画で見るような悲惨な状態が現実化していることが恐ろしい。
今日はかかりつけ医へ薬をもらいに行ったが、いつも時間がかかるのに人が少なくすぐに診察が出来た。 帰りにスーパーで食材を買ってきたが、いつになく人は少なかったが落ち着いた状況だった。
南公園では池で鯉釣りをする人、少ないがベンチでお喋りをする人などいつもの風景をみる。 大阪府の吉村知事も不要不急の外出自粛、制限の要請があるものの、散歩やジョギング等は健康上制限されるものではなくむしろ老人は推奨されるとの事。 しかし自分自身もあの東海道53次歩き旅から帰阪後に外出が極端に減り、この閉塞感はみんな同じだと思うが、これがパンデミックを防ぎ早期に終息させる最善の策だとの事でお互いに頑張るしかないと思う。
こんな時は家に居てこれからの人生、生活設計、生き甲斐などの夢を描き、具体的に書き出して計画的なシュミレーションを描くいい機会かもしれない・・ と思い、新しいノートを取り出した。 日本は「緊急事態宣言」下だが、家に居る機会に自分の夢、生き甲斐を描く大切な活用時間としたいもの。
・コロナ禍に国の指導者 真問わる
・細菌は味方でもあり敵もある
・日本人 団結絆は経験す
・閉塞感これ乗り越えて夢描く 頑爺
今日の南公園にて
4月6日(月) 6/16℃
自己流と短編小説
箕面(みのお)の山歩きからヒントを得て短編小説なるものを書いてみた。 今まで20編以上書いたもののどれも小学生並みの作文だが、自分の思いが詰まっているものもあり老いの記念に一冊にまとめてみたいと思い、その方法をnetで探してみた。
いろいろ検索する程に恐れ多くなりやめたが、結局今まで通りblogに書いて自己満足することにした。 「みのおの森の小さな物語」(頑爺) 自分の体験は貴重だし、創造や夢を盛り込める短編やエッセイを書いてみることは、特に老いの頭の活性化にはもってこいだと思う。
毎日川柳風とブログに書いているのも即興で、川柳とはかけ離れた自己流の五七五標語みたいなものかもしれないが、憧れた山頭火の句を見るたびにその時々の気持ちを素直に自由に表現する事でいいんだと拘るこだわりを捨てた。
自己表現は人に理解を求めるものでなし、短編やエッセイも句と共に老楽の大きな励みや生き甲斐になるものだと、自己流の楽しさを実感する。
・短編を書いてみたとて幼稚なり
・人生を書く表現で省みる
・老い頭 刺激与えて描いてみる
・書くことは自己満足で生き甲斐に 頑爺
時々 南公園でメモ紙を手に空を見上げ句を捻る人を見る 公園内には多くの句碑もあり、創作の励みになるようだ
4月5日(日) 8/15℃
野草の名前に一言!
コロナのニュースが大半を占める連日の閉塞感から、少し気分を切り替え散歩がてら公園の野草花を探しにでかける。
本当は今咲くきれいな野草花を楽しみたいのだが、最初に目に入ったのは私の好きな 星の雫 星の瞳 と別名で呼ぶ本名・オオイヌノフグリ(和名・大犬の陰嚢)、果実の形が犬の陰嚢(いんのう)に似てるからとの事だが、余りにもひどい名前に毎年腹を立てる。 更に下は正式名・タチイヌノフグリ(和名・立犬の陰嚢)とあり、なぜ陰嚢にこだわるのかと首を傾げる!?
<*写真はいずれも図鑑から>
このきれいな野草花は正式名・ヘクソカズラ(和名・屁糞蔓)、最初知った時は屁と糞とは余りにも汚い名前に頭が沸騰したものだ 確かに匂いはするが、もっとメルヘンの名前はないものなのか・・?
せめて博士には研究に専念してもらい、名付けは詩人にでも付けてもらいたかったと思う。 何しろ毎年花を咲かせながら幾世代にも渡り呼ばれ続けるのだから変な名前の草花は気の毒だ・・ と思いながら自分なりに別名を付けて楽しむことにした。
・野草花 ひどい名前が可哀そう
・名付け親センスのなさに呆れ果て
・一括り雑草という名の草はない
・陰嚢を星の瞳と変えて呼ぶ 頑爺
南公園で野草花探し・・
4月4日(土) 10/19℃
アメリカの現場から
世界は今新型コロナウイルスとの闘いの真っ最中だ。 アメリカに住む知人は大学病院に勤務する医療従事者だが、現場からのメールにその現実と現状を知る。
専門用語は分からないが、今医療機器や用具が不足し最前線の野戦病院のような厳しい緊張感と恐怖の中で日々従事しているようで心配が尽きない。
大学病院は最後の砦として重篤患者が搬送される為、日々最善を尽くしてもそれでも救えない死者を次々と目の当たりにし、メンタルな面でも限界状態で仕事をしている事が伺える。
トランプ大統領はこれから数十万人の死者を予想しているようだが、医療崩壊が起きないかと心配だ。
これから日本でも同様に感染爆発が予想されるのに、呑気に歩き旅をしているなんてと呆れられたが、一人一人が自覚して行動しないといけないと改めて現実感に乏しい自分を自戒する。
ノンキな父さん! では済まされない怖い事態だ
・アメリカの野戦病院想像し
・現場での厳しさ増して見えぬ敵
・コロナ禍にノンキな父さんではすまぬ
・アヒガンが日本の薬で安堵する 頑爺
早くこの青空の下でみんなで思い切り深呼吸したいもの
(今朝の千里南公園から)
4月3日(金) 5/15℃
4月2日(木) 8/15℃
遊行期から林住期へ
昨日「青春とは」でサムエル・ウルマンの本を見たが、その隣に五木寛之著「林住期」があったので手に取った。 10年ほど前のベストセラーだが、古代インドでは人生を四つの時期に区切り、それぞれの生き方を示唆する思想だが、自分がいつの間にか林住期(50歳~75歳)を過ぎて最後の遊行期(75歳~)に入った事を知った。
しかし自分の生まれた昭和20年の日本人の平均寿命は49・8歳との事。 それを考えると現在は7掛けと言われているので、75歳x70%=52.5歳だ。 まさにこれからが人生黄金期の林住期だ! と、改めて本を読んだ。「苦」の世界の中で「歓」を求め、真の「生き甲斐」を探すのが「林住期」だとも。
800年以上前に「方丈記」を書いた鴨長明は50歳を過ぎて京の町を離れ、自然の中に1人住んだが、彼がそこに求めたのは俗世間の掟に縛られない精神の自由だったとのこと。 まさに人としての責任と義務を果たした老後は、人生の最後に自分らしくあるがままに生きたいと願う私自身が求めた精神そのものだった。
それにしても今の世界の状況は新型コロナの影響で閉塞感そのもの・・ こんな時こそ自分の夢を顧み、自分らしく生き甲斐のある生き方をしたいもの。
・林住期いつのまにやら過ぎていた
・7掛けと言われ52これからだ
・あるがまま生きる生き甲斐 林住期
・見る桜散る桜とて明日をみる 頑爺
TVでは「この時期、新型コロナによる外出自粛の老人は、せめて一日一回位は近くの公園に散歩に出て外気に触れ足や体を動かして下さい・・」との報道が・・ 南公園でもそんな散歩に一休み中の老人をみかける
4月1日(水) 11/16℃
青春とは!
雨の天気もコロナ禍も含め何かと鬱陶しい新年度の始まりだ。 仕事をしている人は大変なスタートの時期。 リタイアし仕事をしてない老人はそれなりに・・? でも結局は暇だ! と聞いた。
一概に老人と言っても、オレは老人じゃないシニアだ、ゴールデンエイジだと胸を張り活動する人もいるし、TVで聞く若者が蔑むような目で見るという元気なのに菜っ葉の萎れたようなヨタヨタ状態の老人も見る(かく言う自分もこの一週間はその状態だったなー) 何が違うのか!? 考えたがそれは夢があるかないかだと。
また歩き旅の話だが、大坂城から江戸城まで東海道53次を一人で歩くと宣言した時、周りはみんな75歳の老人がそんな夢はムリだ! と、誰一人実際に行動するとは思わずに笑った。 でも大阪・箕面から千葉・浦安まで40日かかったが歩けた。 若者も老人も生き生きと生きるためには生き甲斐を必要とするが、それは夢があるか、生き甲斐とする目的があるかだと思った。
昔から愛読する本の一つを書棚から出してみた。 青春とは・・ となれば誰もが知るサムエル・ウルマンの詩だが、彼が78歳の時の作品を再度読んで心に刻む。 そしてこの詩を新生活をスタートする若者に贈りたい・・
「青春とは人生のある期間でなく、心の持ち方を言う・・・ 年を重ねただけで人は老いない 理想を失うときに初めて老いる・・・ 歳月は皮膚に皺(シワ)を増すが、熱情は失えば心がしぼむ・・・ 20歳だろうと人は老いる 頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、80歳であろうと人は青春にして己(や)む・・」<抜粋>
自分は今その夢と理想の青春をとらえて生きているか? と自省する
・青春に込めた思いはまだ消すな
・青春の夢と希望は老いてなお
・老い楽は心の持ち方生き甲斐に
・生き甲斐に目的あれば頑張れる 頑爺
先日、東海道歩き旅で通った深川の富岡八幡宮の境内にある伊能忠敬に青春を見る 碑には「寛政12年(1800年)4月19日、55歳の伊能忠敬はこの地から全国測量の旅に出発した・・」と、220年前の事だ。 江戸時代の平均寿命は40歳ほどとされる頃、72歳になるまで今の北海道から九州までくまなく歩き測量して初の日本地図を完成させたのだからまさに青春だ。
深川の富岡八幡宮にて <千葉へ向かう3月22日の朝通る>