

体重



体重
5月15日(金) 14/26℃
5月14日(木) 12/27℃
バンの子育て
南公園の牛ヶ首池には沢山の野鳥が集うが、今日はバンの子育てを垣間見た。
紅い口ばしにキジバトに似てるがひょうきんな顔に見える。 警戒心の強い鳥だが、今ヒナが誕生して一週間ほどのようだ。
横にいた爺さんが教えてくれたが、少し前ヒナを横取りしようとして襲ってきたカラスに親鳥が猛烈に抵抗し、とうとうカラスを池の中に引き落とし、カラスは慌てて逃げだしてたわ・・ と。
生き物は鳥とて母親は強しや・・ それでも生んだ半分ぐらいしか生き残れんからな・・ 自然界は生存競争が激しいわ・・ とも。
もう少ししたらあの先でカルガモの親子が観れるけど、それにしても雄鳥は産みっぱなして子育ても何にもせんな・・ オスは人間と同じなんかな? 全く役に立たんわ・・ と一人呟いていた。
身に浸みるお言葉です・・ トホホ!
・雌鳥の子守り必死にカラス逃げ
・幼鳥も母鳥後に続くなり
・雄鳥は産みっぱなしで手伝わず
・人間も雄鳥と同じ役立たず 頑爺
南公園のバンの子育てから
半値
5月12日(火) 16/27℃
自分史講座
友人が自分史講座に通っているという。 自分も近くの市の高齢者講座で「自分史」があったので資料だけもらったが結局行かなかった。
要は自分の人生の自慢話しで終わり、自分に不都合や問題のあった事は伏せて書くか美化して書くので自己満足に過ぎないから・・ と。
友人の話では、実際書き上げてそれを高いお金をかけて本にして200冊ほど自費出版(一冊当たり8000円にもなったとか)した人がいて、サインしてあちこち無料で配ってみたが子供たちも含め誰一人として最後まで読んだという人はいなかった・・
更にショックは別の町の古本屋で自分の本が100円で売られていた事だった・・ と。 気になってその後その古本屋に出かけてみたが、何カ月も埃をかぶったままで遂に自分で100円で買って帰ったが涙が出たとか。
そんなようなもので自分史など結局は自分一人だけのものだが、しかし効能は自分の人生を振り返り、良くも悪くも整理して一冊にまとめる間の時間は多分至福のひと時なんだろうな・・
それでいいじゃないか・・ ボーとして一日を過ごすよりどれだけ脳の活性化を図れるか分からないからな・・ それに自己満足は誰も相手にしてくれない老人の大きな生き甲斐になるからな・・ との二人の結論に達し、改めて友人は通っているようだ。
完成したらオレに一冊くれるようだが、オレもお前の自分史なんかゴミになるからいらんわ!
オレには誇れない自分史は山ほどあるが、せめてブログの中の自己満足の世界でせいぜい今を楽しむだけで十分だな!
・自分史は自己満足の誇りもの
・自分史は人に興味のないものと
・自分史を書いてみたとて古本屋
・生き甲斐は自分史眺め満足す 頑爺
今日の南公園の散策から 夏の日差しだ
5月11日(月) 19/27℃
5月10日(日)
母の日に想う
(子供たちへの自史記録の一部として記す)
公園を散歩してると近くの花屋の前に子供たちがカーネーションを求めている姿を見た。
そうか今日は 母の日か・・
母を想うことは時々あるが、いつも心配や迷惑ばかりかけ最後まで何もしてやれなかったと言う後悔ばかりで辛い。
もう60余年前の高校生の時、夕方帰宅したら何の理由か忘れたが父親にひどく怒られたが、その勢いで何も持たずに家を飛び出した。 持っていた通学定期券で国鉄大阪駅へ そこへ来た列車に飛び乗った。 ただ遠くまで行きたかっただけだが・・ その汽車は東京行きの夜行列車で早朝に東京へ着くとの案内をボンヤリと聞いた。
ふっと気が付くと前から検札に車掌が回ってきた・・ 当時は無賃乗車が多かったから必ず検札に回り切符の確認をするのだ。 オレは無賃乗車だった。 慌てて席を立とうとしたが逃げ場もなく動けない・・
仕方なく財布を探ったが朝もらった500円の小遣いがあった。 これで行けるところまで行けばいい・・ と来た車掌に これで行ける駅まで・・ と聞いた。 車掌は首を傾げ乍らも知らない駅の切符を渡してくれた。
もう検札には来ないだろうと思い乗り続けて深夜の名古屋駅に着いた。 とにかく列車を下りて駅のベンチに横になったが、腹減ったな~ 金はゼロ・・ とにかく寒い・・ 駅の水で飢えをしのぐが、ここから祖母や親族の多い松本へ行くにも切符がないし・・
朝になり来た列車にまた飛び乗ったら大阪行きの鈍行列車だった。 座席が暖かい・・ 疲れて腹も減りヘトヘトになってたのかすぐに爆睡だったようで着いたら昼の大阪駅だった。 今日は検札に来なかったのか? とにかく大阪に戻ってしまったが気力も失い定期券で改札をでた。
梅田界隈を当てもなく歩いたが疲れ果て夕暮れとなった。 ボーといつも通学で家路につく大阪駅前の阪急交差点を渡っている時だ・・ ラッシュ時の凄い人並みのどこかからオレの名を呼ぶ声が聞こえる・・ なに?? 空耳か?
はっちゃ はっちゃ! 目の前に飛び込んできたのは紛れもなく涙ぐむ母親の姿だった。 まさか・・?
母は昨夜から梅田近辺を探し回り、今朝からはこのすごい人込みの中で私を探していたという・・ それにしても・・ 私の腕をしっかりとつかんだまま母は 一緒に帰ろうね・・ と。 私は嬉し涙と共にうなづいた・・ 嬉しかった。 父は何も言わなかった。 そしてもう二度と母に心配をかけるような事はしないぞ・・ と心に誓った。
あれから幾年かの歳月が流れたのに、オレはあの日の恩や感謝を忘れ最後まで母に心配ばかりかけ何もしてやれなかった悔いばかりが残る。 「親孝行したい時には親はなし」 後悔先に立たずが身に浸みる。
「母の日」はオレにとって母の愛を実感として思い出すだけに感謝と共に辛い日でもある。 生きていれば今年100歳になる。 ’20 5/10
南公園の散歩道から そういえば母はこんなパープル系の花が好きだったなー
5月10日 17/28℃
5月9日(土) 13/25℃
サイクリストの事故
散歩を終えて家に向かう途中のこと。 満開のつつじの先に自転車が横倒しになっていて人の足が見える・・ 休憩中かな?
近づくと頭から血を流し、顔が血まみれの人が倒れていてビックリ! 大丈夫ですか!? こりゃ大変だ! すぐ救急車を・・ と思ったら携帯を耳に当てたまま・・ 私は大丈夫です! スイマセン 本当に大丈夫ですから・・ と誰かと会話をしている。
しばらく様子を見ていたが、何度も大丈夫ですから・・ と言うので心配だったが携帯の邪魔になっては・・ と思い、救急サイレンも聞こえてきたので心引かれながらもその場を後にした。
自損事故のようだが見れば私と同年輩の様子で、完ぺきなウエアーに最新のヘルメットに高級車と本格的なサイクリストの様子だ。 最近は若者に交じり公道を年配者が気持ちよく疾走する姿を見かけるが正直 そのスピード危ないなー と何度も思ってきた。
話は違うが、2月の「東海道一人歩き旅」の時、道路の縁石に両足をひっかけ重いリュックとともに地面に顔面から叩きつけられたことがあった。 メガネは割れ路面に血が滴り落ちる・・ 脳震とうかしばらく動けなかった。 歳をとるといつしか咄嗟の動作が鈍くなるものだと実感した。
自分は大丈夫だ! と思っていたが、突然何があるか分からないものだ。 確実に体力は衰え、瞬発力、判断力が鈍くなっているようで過信を自戒した。
健康寿命を延ばすためにも、怪我と風邪には気をつけたいものだ。
・サイクリスト危険と隣り合わせなり
・ママチャリの事故で亡くなる人もいる
・自転車は便利楽しむ でも車
・怪我なくし健康寿命延ばすべし 頑爺
南公園の散歩から 季節の花が咲く
池畔で野鳥観察をする人々
5月8日(金) 11/25℃
ロータリアン
ロータリアンとは、ロータリークラブ会員のことで決して 老たりあん でも 脳足りん でも ロリータやんけ とも違う。
ロータリークラブは1905年、ポール・ハリスによって設立され、現在世界170カ国に約3,4万の地域クラブと122万人の会員を擁する非営利の「国際職業奉仕団体」である。 日本では10万余人が所属し、その顔触れは日本の政財界人を含むあらゆる層に渡っている。
私が2名の著名人から推薦されて審査をパスして会員になったのは38歳の時で最年少だった。 同じ地域クラブには98歳の高名な日本画家が現役でおられ、60歳差の会員がいるクラブと全国広報誌で紹介されたものだが、正直全くの場違いの所に入れてもらったものだと後悔した。
でもその活動は多岐にわたり大いに勉強になった。 芸術家や文化人、医師、弁護士、政財界の重鎮、教授や学者、あらゆる層の高名な会員との交わりは夢の世界だった。 大阪クラブでは晩年の松下幸之助さんとも出会い話を聞いたりして異世界の交りの中で四年間活動した。
自らと余りにもかけ離れた世界なので申し出て退会させてもらったがいい社会経験になった。 長い人生にはいろんな場違いの場面に出くわすこともあるのが、しかしやはりカバはカバの世界で自分らしくあるがままに生きる事が一番気楽で心地良い生き方だとも知った。
上を見ても下を見てもキリがないけど、衣食住足りて健康な毎日がどれだけ幸せな老後かと毎日実感する。 今に感謝だ!
・人の価値ロータリアンに垣間見た
・牛よりも鶏頭選ぶ我が道は
・異世界に自分の姿映し出す
・我が人生自分の世界で心地いい 頑爺
南公園の散歩から もう初夏だな
5月7日(木) 13/22℃
サユリスト
認知症予防に効果があるという回想法を意識してか、最近はいろいろと昔の事を想う。
サユリストと言われた時期があった。 作家・野坂昭如がつけたのかどうか知らないが 吉永小百合ファン の事だ。
吉永小百合を知ったのは小学生から中学生にかけてか? まだ戦後12年ほどのことだが、ラジオで楽しみな一つに「赤胴鈴之助」を聞く事があった。 赤胴鈴之助だ! とその声は今も耳に残っているが、それが 吉永小百合 の声で同じ年齢だと知った時は驚いたものだ。
彼女の映画や歌を観たり聞いたりして育ってきた。 私生活でも多忙な俳優・歌手生活の中、早稲田大学に入学した時は自分の事のように喜んだ。 同窓で熱烈なファンだったタモリが学食で食べ残した小百合の食事に手を付けかけたと言う話は面白い。
いろんな家族との問題、驚いた突然の結婚相手、諸々の出来事も週刊誌で読んだ。 晩年の映画作品もいろいろと素晴らしいものが多いが、今も現役で生き生きと活動している姿を時々マスコミを通して見聞きし、老いの生き方も学ぶ。
当時悪友からは カバがフラミンゴに恋をしたんか? 同じカバ娘にしといた方がエエぞ! と笑われたものだが・・ 放っといてくれ! やっぱりオレは今でもサユリストだ。
・サユリスト歌に映画に励まされ
・サユリスト幾年月を伴歩き
・老い方を教えてもらうサユリスト
・次の世で共演したいサユリスト 頑爺
南公園の散歩道から
5月6日(水) 15/25℃
5月5日(火) 16/25℃
子供の日
年を重ねると共に「子供の日」が変わってきた。 当初は自分の子供たちが愛しく、どんなにこの日を迎えられることが嬉しいことか分からなかった。
若い頃は竹藪から一番太く長い竹を切り出し家の前に立てた。 そして一番大きなこいのぼりを泳がせたりして祝った。 できる精いっぱいの事をして家族で幸せをかみしめたものだ。
それがいつしか子供たちが成長し、次は孫たちとなり、今はひ孫たちを祝うことが出来ることが素直に嬉しい。
子供たちを見るたび、オレに似ないで立派に育ってくれて心底良かったと胸をなで下ろす。 時の移り変わりを実感するとともに、みんなの健康と幸せを祈るばかりだ。
・幸せは家族で祝う子供の日
・子供の日 孫ひ孫たちと繋がりて
・この俺に似合わず育ちよかったな
・愛し子ら健康幸せ祈るのみ 頑爺
散歩にでたが 南千里駅前は今日も閑散としている もう少しの辛抱だ! 来年の「子供の日」は元気に外で遊べるようにしばし頑張ろう!
南公園芝生広場での演奏・・
5月4日(月) 17/27℃
ジョンFケネディ
昨日2回に渡りNHK・TVで<ジョンFケネディ暗殺の真相>を観た。
アメリカ合衆国の若き第35代大統領が57年前の1963年11月22日、テキサス州ダラスにおいて暗殺された。
19歳の大学一回生の時だった。 朝遅く起きて新聞を目にした時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。 その日一日は打ちのめされて布団の中で号泣したことを思い出す。 なぜあんなに悲嘆にくれ泣いたのか・・
それにその日は当時白黒TVだが、アメリカからの電波が海を渡り初の生中継映像が流れるという注目の日だった。 その初映像がケネディ大統領の暗殺の瞬間を含めた衝撃映像だった。
遡る事2年半前、ケネディ大統領の就任演説の日から我が青春に夢と希望を与えてくれた存在だった。 いつしかそんなアメリカに憧れ、大志を抱いたものだ。 その象徴的存在がいなくなった・・ その失望は大きかった。
TVでは未だに真相は不明だが、政府のウオーレン報告書には無理があり、真実は大統領直轄のCIA その一部反動者による陰謀の証拠が次々と明かされ始めたとの事だ。
自由と希望のアメリカに憧れた青春は破れ、すぐに結婚して子供も生まれたので再びの夢は絶たれた。 でも不思議なもので19歳になった長男がアメリカの大学に留学し、そのまま30数年アメリカで仕事をし家庭を持ち幸せに生活している。 今 孫やひ孫にまで恵まれ、ケネディにアメリカに憧れた私の夢はしっかりと実現している。
・ケネディに夢と希望を与えられ
・キューバ危機乗り越え繋ぐ平和かな
・夢絶たれ子供がそれを引き継いだ
・老楽は果たした夢を味わえる 頑爺
いつもの南公園・散策路で回想する
5月3日(日) 14/25℃
ひばりと裕次郎
不慣れなスマホを弄りながらいろんな音楽をダウンロードして毎日聞いているが、先日ひばりと裕次郎のアルバムを入れてみた。 何と各々70数曲、計9時間分が連続して一気に入り、それをランチ珈琲の時に流しながら回想を楽しむ・・ 至福のひと時だ。
美空ひばりを知ったのは自分がまだ5・6歳の頃の事だった。 故郷・信州のリンゴ農園の仮設の舞台で歌う まだ少女のひばりだった。 人がいっぱいで父の肩車の上で目の前に見た事を覚えているが、あれからもう70余年か・・
石原裕次郎を知ったのは何と言っても多感な高校時代からかな。 あの頃の裕次郎の歌と映画は何とも格好良く、当時の映画館の外には煙草をくわえ そのスタイルを真似て格好つけた若者が溢れていたことを思い出す。 最も女の子にもてないバンカラのカバ男には縁がなかったがね・・ トホホ!
ひばりも裕次郎も共に白黒TVの頃から見てきたので、まさに我が人生の同伴者と言える。 共に亡くなって久しいが、京都のひばり記念館や小樽の裕次郎記念館を訪ねたこともあったが今やそれも消えたとか・・ 栄枯盛衰か!? でも建物はなくなってもその歌は今もカバの心の中には生きている。
・人生を共に歩いたひばりかな
・カバとても憧れたもの裕次郎
・生き物は栄枯盛衰 歌生きる
・歌有りて我が人生に悔いはなし 頑爺
南公園の森の70余年経つコナラなどの衰退が激しい これも人と同じ栄枯盛衰! 世の移り変わりだな・・
でも、花開くツツジに新緑の若葉が新たな希望を与えてくれる 5月だ!