"みゆきさんの声、その22「夜を往け」"で頂いた、ありがたいコメントにお答して、ふと思ったことを記したいと思います。
返信コメントで、
"アルバム「夜を往け」(1990.6.13)が、ジャケットも作品も「御乱心」の臭い(匂い)が残っている気がするんです"、と書きました。
あくまで、私の勝手な印象なんですけどね。
ちなみに、こねずみさんのコメントにあった「なみろむ」を久し振りに出してきて、アルバム「グッバイ ガール」を『AUTO PLAY 』で聴きながら書いています。
こねずみさん、ありがとうございます。(^^)
少し、話は逸れますが、「なみろむ」について少々。
1975年のデビューから、1997年までのみゆきさんの活動データを集積したパソコン対応(後にプレステ対応も発売される)ソフトです。
二枚組CD版(1997.10.17)と、翌年発売のプレステ版(1998.10.15)、DVD 版(1998.10.21)があります。
「The History of Nakajima Miyuki 」
として、1975年以降1997年までのみゆきさんの記録が、一年毎に見ることができます。
自分の氏名、生年月日を入力すると、自分の年令が反映されますし、自身のメモを記入するスペースもあり、みゆきさんのhistoryに自分のhistoryを重ねることができます。
また、カテゴリー別の検索もできます。
「ALBUM 」・「SINGLE 」・「VIDEO 」・「BOOK 」・「CONCERT 」・「夜会」・「TALK 」・「ETC. 」
ジャケット写真や表紙、セットリストなどが楽しめます。
更に、
SINGLE
「アザミ嬢のララバイ」~
「瞬きもせず」
ALBUM
「私の声が聞こえますか」~
「わたしの子供になりなさい」
の歌詞カードと収録曲を1コーラスずつ楽しめます。
以上、簡単な「なみろむ」の紹介でした。
中々オシャレなページ装丁で、斬新な逸品だと思います。
話を本筋に、戻します。
「夜を往け」は、瀬尾アレンジ3枚目のアルバムなんで、その前は?と考えたのが、今回です。
「はじめまして」(1984.10.24)
「御色なおし」(1985.4.17)、
「miss M.」(1985.11.7)、
「36.5℃」(1986.11.12)、
「中島みゆき」(1988.3.16)
以上、「御乱心時代」と呼ばれるアルバムです。
そして、通りがかりのスタジオで捕まえた(正確には、もっと紆余曲折してます)瀬尾師匠と組んで作った最初のアルバムが、
「グッバイ ガール」(1988.11.16)
A-1 野うさぎのように
A-2 ふらふら
A-3 MEGAMI
A-4 気にしないで
A-5 十二月
B-1 たとえ世界が空から落ちても
B-2 愛よりも
B-3 涙-Made in tears -
B-4 吹雪
です。
このアルバムまで、LP(レコード)盤が発売されてました。
と言うか、限定盤(わたしの子供になりなさい)を除く、最後の公式LP です。
そのため、A面、B面を意識した作りになっていると思います。
(A-、 B- としたのは、そのためです)
余談ですが、この「グッバイ ガール」のA・B面のラストと、「36.5℃」のA・ B 面ラストは、私の中では、最強のA・ B 面ラストの組み合わせなんです。
「36.5℃」
A面ラスト「毒をんな」、
B面ラスト「白鳥の歌が聴こえる」
「グッバイ ガール」
A面ラスト「十二月」、
B面ラスト「吹雪」
前述のように、「グッバイ ガール」後、CD がメイン(カセット発売は続く)となり、
提供曲のセルフカバーアルバム「回帰熱」(1989.11.15)、
を経て、
「夜を往け」(1990.6.13)になります。
このアルバム「グッバイ ガール」には、楽曲「グッバイ ガール」(シングル「あした」カップリング)は、入ってません。
「うっかり、入れ忘れた」とか、「間に合わなかった」とか、茶化した感じで仰っていた記憶があるのですが、、、(--;)
例によって記憶力に難があるため、正確に記すことができません、お許し下さい。
そのため、タイトルも
「グッバイ ガール」(アルバム)としました。
で、上記の「グッバイ ガール」収録曲を改めて見て、挑戦的な作品が多いなと思ったんです。
挑戦的な作品と言う意味では、「御乱心時代」から引き続きという気がします。
ただ、改めて思ったのが、アレンジャー瀬尾一三への挑戦状みたいだなあ、と。
先に挙げたA・ B 面ラストや「愛よりも」の強烈なメッセージ。
「たとえ世界が空から落ちても」もこの3曲とは、方向性は違えど、メッセージの強烈さは、負けてないと思います。
他の作品に、メッセージ性がないと言ってるんじゃないんですが、上記4曲の歌詞のインパクトは、凄いなと。
ほぼ日刊イトイ新聞(2007)の糸井重里氏との対談で、歌詞の前に、曲・アレンジが先行される風潮について話した流れから、
『プロデューサー兼アレンジャーの師匠(瀬尾一三さんのことです)がきびしいから。
デモテープの段階ですでに歌詞がないと、アレンジすらしてくれないという。
一番だけ書いて渡しても、全体が見えないと、アレンジできないとか何とかいわれて』
と語っておられます。
そこまで、歌詞を重視するアレンジャーに最初に任す作品としては、強烈だなあと、思ったんです。
さながら、
"さあ、どうする。お手並み拝見"
みたいな、みゆきさんの挑戦状のように、感じるんですね。
それ以外の曲も、しっとり系あり、ひとり語りあり、みゆき節ありと、
"さあ、どうぞ、お好きなように"
ってな感じで。
その挑発に、師匠が出した答えは、今度は、みゆきさんを挑発するものだったんだろうな、と。
それが、みゆきさんは気に入ったんだろうなと、このアルバムのみゆきさんの歌声を聴いて、改めて思ったんです。
(やっと、"みゆきさんの声"になりました(^^;)
「中島みゆき オフィシャル・データブック」の解説では、翌年の「夜会」開始に絡めて、演劇的な匂いが漂ってくる、と書かれてます。
確かに、演劇的かなと思います。
それは、このアルバムの歌声が深く、幅広く、艶っぽくなっているように感じられるからです。
1曲毎に歌声を変える、"七色の声"が顕著になったアルバムといいますか。
ほぼ日刊イトイ新聞(2010)によると、
「夜会」を考えた時、広い声を出すために、ボーカルトレーニングに行ったんだそうです。
それが、「36.5℃」の辺りからだったそうです。
その成果を存分に出したんでしょうね。
「野ウサギのように」
の軽やかで、どこか艶っぽい歌声で、このアルバムは始まります。
このアルバムの中で、一番印象的なのが、
「MEGAMI」の歌声です。
優しくキレイな歌声で、じわっと沁み渡るように聴こえます。
それだけなら、今までもありましたが、何より、みゆきさん独特のアクがほとんど感じられず、明らかに女性の声なのに、性別を越えた声のような気がするんです。
(上手く表現できなくて、スミマセン)
同じく、優しくキレイな歌声でも、
「涙-Made in tears -」は、
"切ない女性"の声として沁みてきます。
また、「気にしないで」と
「たとえ世界が空から落ちても」の
全く違う色っぽさもスゴいなと、思います。
「気にしないで」の
さりげない語りの演劇性は、それまでの"泣き"の演劇性(「化粧」、「ダイヤル117」、「うらみ・ます」)とは、真逆だと思うんです。
それだけ、表現の幅が広がったんだと思います。
「ふらふら」の
みゆき節と言いたくなる節回しを、楽しんでるような歌声も、それまでの酔っ払いソング(「生まれた時から」はじめまして、「極楽通りへいらっしゃい」、「あしたバーボンハウスで」miss M. )より深く響いてきます。
深く響くと言えば、叩きつける歌い方に、微妙なビブラートを組み合わせた
「愛よりも」の
歌声です。
シビアな歌詞を叩きつける激しさで、歌い上げているのに、語尾に微妙なビブラートを利かした歌声が、切なく響きます。
そして、この歌声と歌い方が、後奏のアレンジ(バイオリン)にピッタリ合ってくるような気がするんです。
(このアレンジだから、この歌声?)
それに対して、
「十二月」の
語尾を切る歌い方と、突き放すような歌声は、イラ立ちと焦燥感をぶつけてくる感じがします。
「吹雪」
の淡々とした歌声も、それまでの歌声と同じ響きを持っていて、更に、歌声から表情を消すことで、不安感を与えている気がします。
先に、演劇的と書きましたが、このA ・B ラスト曲は、どちらも演劇的な要素を排除すると言うか、歌声の表情を消すことで、インパクトを与えているような気がするんです。
それがハマって、最強のA・ B 面ラスト曲の組み合わせになってると、私は思います。
発売当時は、こんな小難しいこと考えずに聴いてたんですけどね。(笑)
何か、めちゃくちゃ長い妄想になってしまいました。
こんな無茶苦茶な妄想を最後まで、読んで下さった方、お疲れ様でした。
本当にありがとうございます。(^^)
では、また(^-^)
返信コメントで、
"アルバム「夜を往け」(1990.6.13)が、ジャケットも作品も「御乱心」の臭い(匂い)が残っている気がするんです"、と書きました。
あくまで、私の勝手な印象なんですけどね。
ちなみに、こねずみさんのコメントにあった「なみろむ」を久し振りに出してきて、アルバム「グッバイ ガール」を『AUTO PLAY 』で聴きながら書いています。
こねずみさん、ありがとうございます。(^^)
少し、話は逸れますが、「なみろむ」について少々。
1975年のデビューから、1997年までのみゆきさんの活動データを集積したパソコン対応(後にプレステ対応も発売される)ソフトです。
二枚組CD版(1997.10.17)と、翌年発売のプレステ版(1998.10.15)、DVD 版(1998.10.21)があります。
「The History of Nakajima Miyuki 」
として、1975年以降1997年までのみゆきさんの記録が、一年毎に見ることができます。
自分の氏名、生年月日を入力すると、自分の年令が反映されますし、自身のメモを記入するスペースもあり、みゆきさんのhistoryに自分のhistoryを重ねることができます。
また、カテゴリー別の検索もできます。
「ALBUM 」・「SINGLE 」・「VIDEO 」・「BOOK 」・「CONCERT 」・「夜会」・「TALK 」・「ETC. 」
ジャケット写真や表紙、セットリストなどが楽しめます。
更に、
SINGLE
「アザミ嬢のララバイ」~
「瞬きもせず」
ALBUM
「私の声が聞こえますか」~
「わたしの子供になりなさい」
の歌詞カードと収録曲を1コーラスずつ楽しめます。
以上、簡単な「なみろむ」の紹介でした。
中々オシャレなページ装丁で、斬新な逸品だと思います。
話を本筋に、戻します。
「夜を往け」は、瀬尾アレンジ3枚目のアルバムなんで、その前は?と考えたのが、今回です。
「はじめまして」(1984.10.24)
「御色なおし」(1985.4.17)、
「miss M.」(1985.11.7)、
「36.5℃」(1986.11.12)、
「中島みゆき」(1988.3.16)
以上、「御乱心時代」と呼ばれるアルバムです。
そして、通りがかりのスタジオで捕まえた(正確には、もっと紆余曲折してます)瀬尾師匠と組んで作った最初のアルバムが、
「グッバイ ガール」(1988.11.16)
A-1 野うさぎのように
A-2 ふらふら
A-3 MEGAMI
A-4 気にしないで
A-5 十二月
B-1 たとえ世界が空から落ちても
B-2 愛よりも
B-3 涙-Made in tears -
B-4 吹雪
です。
このアルバムまで、LP(レコード)盤が発売されてました。
と言うか、限定盤(わたしの子供になりなさい)を除く、最後の公式LP です。
そのため、A面、B面を意識した作りになっていると思います。
(A-、 B- としたのは、そのためです)
余談ですが、この「グッバイ ガール」のA・B面のラストと、「36.5℃」のA・ B 面ラストは、私の中では、最強のA・ B 面ラストの組み合わせなんです。
「36.5℃」
A面ラスト「毒をんな」、
B面ラスト「白鳥の歌が聴こえる」
「グッバイ ガール」
A面ラスト「十二月」、
B面ラスト「吹雪」
前述のように、「グッバイ ガール」後、CD がメイン(カセット発売は続く)となり、
提供曲のセルフカバーアルバム「回帰熱」(1989.11.15)、
を経て、
「夜を往け」(1990.6.13)になります。
このアルバム「グッバイ ガール」には、楽曲「グッバイ ガール」(シングル「あした」カップリング)は、入ってません。
「うっかり、入れ忘れた」とか、「間に合わなかった」とか、茶化した感じで仰っていた記憶があるのですが、、、(--;)
例によって記憶力に難があるため、正確に記すことができません、お許し下さい。
そのため、タイトルも
「グッバイ ガール」(アルバム)としました。
で、上記の「グッバイ ガール」収録曲を改めて見て、挑戦的な作品が多いなと思ったんです。
挑戦的な作品と言う意味では、「御乱心時代」から引き続きという気がします。
ただ、改めて思ったのが、アレンジャー瀬尾一三への挑戦状みたいだなあ、と。
先に挙げたA・ B 面ラストや「愛よりも」の強烈なメッセージ。
「たとえ世界が空から落ちても」もこの3曲とは、方向性は違えど、メッセージの強烈さは、負けてないと思います。
他の作品に、メッセージ性がないと言ってるんじゃないんですが、上記4曲の歌詞のインパクトは、凄いなと。
ほぼ日刊イトイ新聞(2007)の糸井重里氏との対談で、歌詞の前に、曲・アレンジが先行される風潮について話した流れから、
『プロデューサー兼アレンジャーの師匠(瀬尾一三さんのことです)がきびしいから。
デモテープの段階ですでに歌詞がないと、アレンジすらしてくれないという。
一番だけ書いて渡しても、全体が見えないと、アレンジできないとか何とかいわれて』
と語っておられます。
そこまで、歌詞を重視するアレンジャーに最初に任す作品としては、強烈だなあと、思ったんです。
さながら、
"さあ、どうする。お手並み拝見"
みたいな、みゆきさんの挑戦状のように、感じるんですね。
それ以外の曲も、しっとり系あり、ひとり語りあり、みゆき節ありと、
"さあ、どうぞ、お好きなように"
ってな感じで。
その挑発に、師匠が出した答えは、今度は、みゆきさんを挑発するものだったんだろうな、と。
それが、みゆきさんは気に入ったんだろうなと、このアルバムのみゆきさんの歌声を聴いて、改めて思ったんです。
(やっと、"みゆきさんの声"になりました(^^;)
「中島みゆき オフィシャル・データブック」の解説では、翌年の「夜会」開始に絡めて、演劇的な匂いが漂ってくる、と書かれてます。
確かに、演劇的かなと思います。
それは、このアルバムの歌声が深く、幅広く、艶っぽくなっているように感じられるからです。
1曲毎に歌声を変える、"七色の声"が顕著になったアルバムといいますか。
ほぼ日刊イトイ新聞(2010)によると、
「夜会」を考えた時、広い声を出すために、ボーカルトレーニングに行ったんだそうです。
それが、「36.5℃」の辺りからだったそうです。
その成果を存分に出したんでしょうね。
「野ウサギのように」
の軽やかで、どこか艶っぽい歌声で、このアルバムは始まります。
このアルバムの中で、一番印象的なのが、
「MEGAMI」の歌声です。
優しくキレイな歌声で、じわっと沁み渡るように聴こえます。
それだけなら、今までもありましたが、何より、みゆきさん独特のアクがほとんど感じられず、明らかに女性の声なのに、性別を越えた声のような気がするんです。
(上手く表現できなくて、スミマセン)
同じく、優しくキレイな歌声でも、
「涙-Made in tears -」は、
"切ない女性"の声として沁みてきます。
また、「気にしないで」と
「たとえ世界が空から落ちても」の
全く違う色っぽさもスゴいなと、思います。
「気にしないで」の
さりげない語りの演劇性は、それまでの"泣き"の演劇性(「化粧」、「ダイヤル117」、「うらみ・ます」)とは、真逆だと思うんです。
それだけ、表現の幅が広がったんだと思います。
「ふらふら」の
みゆき節と言いたくなる節回しを、楽しんでるような歌声も、それまでの酔っ払いソング(「生まれた時から」はじめまして、「極楽通りへいらっしゃい」、「あしたバーボンハウスで」miss M. )より深く響いてきます。
深く響くと言えば、叩きつける歌い方に、微妙なビブラートを組み合わせた
「愛よりも」の
歌声です。
シビアな歌詞を叩きつける激しさで、歌い上げているのに、語尾に微妙なビブラートを利かした歌声が、切なく響きます。
そして、この歌声と歌い方が、後奏のアレンジ(バイオリン)にピッタリ合ってくるような気がするんです。
(このアレンジだから、この歌声?)
それに対して、
「十二月」の
語尾を切る歌い方と、突き放すような歌声は、イラ立ちと焦燥感をぶつけてくる感じがします。
「吹雪」
の淡々とした歌声も、それまでの歌声と同じ響きを持っていて、更に、歌声から表情を消すことで、不安感を与えている気がします。
先に、演劇的と書きましたが、このA ・B ラスト曲は、どちらも演劇的な要素を排除すると言うか、歌声の表情を消すことで、インパクトを与えているような気がするんです。
それがハマって、最強のA・ B 面ラスト曲の組み合わせになってると、私は思います。
発売当時は、こんな小難しいこと考えずに聴いてたんですけどね。(笑)
何か、めちゃくちゃ長い妄想になってしまいました。
こんな無茶苦茶な妄想を最後まで、読んで下さった方、お疲れ様でした。
本当にありがとうございます。(^^)
では、また(^-^)