西行法師
なげとけて月やは物を思はする
かこち顔なるわが涙かな
西行は俗名を佐藤義清という北面(院の御所)の武士であった。
二十三歳で出家して高野・吉野・熊野・伊勢などを巡歴し、東北地方まで行脚した。
1190年二月河内の弘川寺で亡くなった。
桜を愛し、桜を詠んだ歌が多い。
「一所不在」が西行の実践した思想のようだそうです。
仏には桜の花をたてまつれ わが後の世を人とぶらはば
願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ
なげとけて月やは物を思はする
かこち顔なるわが涙かな
西行は俗名を佐藤義清という北面(院の御所)の武士であった。
二十三歳で出家して高野・吉野・熊野・伊勢などを巡歴し、東北地方まで行脚した。
1190年二月河内の弘川寺で亡くなった。
桜を愛し、桜を詠んだ歌が多い。
「一所不在」が西行の実践した思想のようだそうです。
仏には桜の花をたてまつれ わが後の世を人とぶらはば
願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ