藤原敏行朝臣
住の江の岸による波よるさへや
夢の通ひ路人めよくらむ
波がよるという言葉に、夜と恋人がよりそう意味をかけており
愛する人は夢の中でさえ、人目を避けて現れてくれない。と歎いた歌だそうです。
藤原敏行は富士麿の子で母は紀名虎の娘であった。
業平の妻は彼女の姪であったから紀氏を通じて親交があったように思われる。
住の江の岸による波よるさへや
夢の通ひ路人めよくらむ
波がよるという言葉に、夜と恋人がよりそう意味をかけており
愛する人は夢の中でさえ、人目を避けて現れてくれない。と歎いた歌だそうです。
藤原敏行は富士麿の子で母は紀名虎の娘であった。
業平の妻は彼女の姪であったから紀氏を通じて親交があったように思われる。