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テツ、ミルキー、虎徹、そしてランとともに

海へ  ④

2008年04月08日 | 海外生活
こんな青空もあったんだ~と、写真を見て思う。
デ ハーンで泊まったホテルです。
名前が、Beach Hotelってのが、なんとなく軽そうかな~と思ったけど、イエイエ、こじんまりした、とても素敵なホテルでございました。ホテルの入り口にワンコ用の水が置いてあった。犬もOKなんだ。


さて、お楽しみのディナーでございます。
(お昼も軽くしたし、おやつもガマンしたのだ)
ホテルのレストラン。

前菜は、シェフのお薦め「魚のスープ」




すごいボリューム。アッサリお味でした。
おいしかったよ。


メイン
主人は「アンコウ ポロねぎソース」



アンコウの身がプリプリとよく引き締まっていて、おいしかったけど
ソースにポロねぎの風味をもってきかせてあったらなぁ、とのこと。

私は「カレイ ?ソース」



カレイの身が、こんなに厚い!
ビックリだわ。



ソースもムール貝の出汁(っていうかな?)が入ってて、クリーミィーでとってもおいしかった。

しかし、残念ながら、食べきれず…
主人に手伝ってもらったけど、付け合せのジャガイモはさすがに入らず。

お皿をさげにきたお兄さんに
「ごめんなさいね。おいしかったんだけど、多くって…」と言うと、
「スープも食べたしね。ウン、想像(ここ、直訳です)できるよ」と。
残すのは、本当に心苦しいよね。ごめんなさい。



ワインは白 シャブリの2005年モノ



「ワインのラベルを写したいのですが…」と言うと、おじさん、ニッコリ笑ってポーズ。ラベルだけ写すつもりがおじさんの笑顔も一緒に。

このレストランで働く人は、
母語であるフラマン語、そして、英語、フランス語、オランダ語、ドイツ語を話す。たまたま、ドイツ人客が2組いたからか、「外国人=ドイツ語」になっちゃって、私たちにもドイツ語で聞く。なんか、英語、フラマン語、ドイツ語交じりの会話で、私には何のこっちゃ~?でも、それでも通じるのよね~

このレストランももちろん犬OK。
ドイツ人カップルがそれぞれ1匹ずつ連れて入ってきた。

そのワンコたち、飼い主さんの足元にうずくまって、とってもおりこうにしているではないか!ワンコの気配を全く感じさないよ。
すごいね~こんなワンコならレストランもOKだわ。あのワンコたちの爪のアカを
ミルキーに飲ませたいものだ。
(って、要は飼い主の躾でしょ!・・・アハ、そうだった、そうだった)



夕闇迫る海岸…



こんな海の色をにび色って言うのかな~?
海の先はどこ?
あっちの方はイギリス、向こうに行くとオランダ。
この海は北海?
などなど話ながら、

昔、海の果ては滝のように海水が流れ落ちると思われていた時代の人を思い起こし、

おいしく夕食をいただきました。
ご馳走様でした。

別腹といわれるデザート、そして食後のコーヒーですが、さすがに、入りませんでした。


ロビーにこんな写真が。



1933年デ ハーンにて

向かって左より、
アインシュタイン 通訳 大臣 ジェームズ・アンソール

以下、ウィキペディアから頂きました。


ジェームズ・アンソール(James Ensor, 1860年4月13日 - 1949年11月19日)は、19世紀~20世紀のベルギーの画家。

近代ベルギーを代表する画家の一人。1860年、北海沿岸の海岸リゾート地であるオステンドに生まれた。1877年に首都ブリュッセルの王立絵画アカデミーに入学し、1880年に帰郷するが、この3年間を除いて、長い生涯のほとんどをオステンドで過ごした。

オステンドのアンソールの両親の家は、観光客相手の土産物店を営んでおり、貝殻、民芸品、カーニバルの仮面などを商っていた。カーニバルの仮面が、後に画家としてのアンソールの重要なモチーフとなったことはよく知られる。アンソールの父はイギリス系の人物で、数カ国語をあやつる教養人であったといわれるが、仕事らしい仕事はしておらず、土産物店はもっぱらアンソールの母が切り盛りしていた。

長い生涯を独身で通したアンソールは、当時の美術の中心地であったパリとも無縁で、オステンドの両親の家の屋根裏部屋をアトリエとして孤独な制作を続けていた。その画風は19世紀~20世紀の多くの画家たちのなかでも他に類のない個性的なもので、特定の流派に分類することはむずかしいが、パウル・クレー、エミール・ノルデなど多くの著名な画家に影響を与え、また20世紀の主要な美術運動であった表現主義やシュルレアリスムにも影響を与えていることから、20世紀美術の先駆者として高く評価されている。また、油彩だけでなく、版画作品にも優れたものが多い。

アンソールは初期には原色を多用した独特の色づかいによる室内情景や静物画などを描いていた。彼の絵に仮面のモチーフが現れるのは1883年の『人騒がせな仮面』(日本語題は『不面目な仮面』とも)からで、以後の彼の作品中の人物は、大部分が仮面をつけている(または仮面がそのまま顔と化している)ように見え、絵を見るわれわれを嘲笑しているようである。印象派の影響を感じさせる、赤を多用した華麗な色彩にも関わらず、その画面にはどこか死の臭いが漂っている。

彼は1949年に89歳で没しているが、仮面や骸骨をモチーフにした主要な作品は1885年~1895年頃に集中的に描かれている。初期には画壇の異端児とされ、周囲からの無理解と嘲笑にさらされたアンソールであったが、20世紀に入ってから次第に巨匠としての名声が高まり、1929年には男爵に列せられ、1933年にはフランスのレジオン・ドヌール勲章を得ている。しかし、皮肉なことに、彼の作品のうち評価が高いものはほとんどが1900年以前のもので、20世紀に入って以降の作品はあまり高く評価されていないのが実情である。






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