池上彰氏にしては、よく出来た番組だったと思う。
嵐の櫻井くんが出演してくれたおかげか?
とおどけても何なので真面目に感想を述べると、
今のテレビ局で出来る最大限の反戦番組といった印象を受けた。
前半は、軍歌や映画などの戦時のプロパガンダを取り上げ、
後半はラパウル海戦などの南太平洋での海戦を中心に戦争を振り返っていた。
その際、大日本帝国の核開発計画に触れるなど、かなり意欲的な企画も盛り込んでいた。
恐らく、本番組を担当した斉山嘉伸プロデューサーの貢献によるものだと思われる。
この番組を見ても、特に右翼的見解になることはないだろうし、
むしろ、旧日本軍上層部の無謀……というより無能な一面を強調したVTRを見て、
もうあんな戦争は起こさせんぞ!集団的自衛権なんてまっぴらじゃ!と思う人が増えたはず。
櫻井君が出演していることもあり、視聴率はかなりあったのではないだろうか?
総じて、右翼が泣いて悔しがるクォリティだった。斉山Pに感謝。
さて、ここからは文句を書くが、上記のように評価される点もあった一方で、
全体的には、永遠の0・池上バージョンと言う出来だった。
映画『永遠の0』のどのあたりが問題なのかは、リテラが詳しく説明している。
何度でも言おう 『永遠の0』は反戦作品じゃない、平和ボケの戦争賛美ファンタジーだ!
簡単に説明すると、この映画の致命的な弱点は日本兵だけがクローズアップされ、
彼らに占領され、抵抗したために惨殺されたアジア人の姿が全く映っていない点にある。
さすがに今日の番組は『永遠の0』よりはマシだったが、
それでも、インドネシアに取材に行ったわりには、現地で実施された
強制労働(「ロームシャ」という言葉がインドネシア語になっている)や
慰安婦(東南アジアの住民にも慰安婦にされた人間が多々存在する)については完全無視だ。
他にも、戦争末期では、旧日本軍の退却と平行して、
現地のスパイ&ゲリラ狩りが実行されたのだが、これは文字通りの皆殺しだった。
フィリピンを例にすれば、ロスバニオスなどにおいて、
現地住民を教会に連行し、閉じ込め、焼き殺しているのだが、この時の加害兵には
本日の番組でも若干ふれたガダルカナル島の戦いで生き残った人間もいたりする。
こういう兵士が行った惨殺には全く触れないまま、
無能な上官に消耗品として利用されたゼロ戦パイロットを悼んでいたわけである。
もちろん、動員された兵士を悼むことも大事なことなのだが、
池上の他の番組の説明(東京裁判や慰安婦、靖国等の解説)とあわせてこの番組を見ると、
兵士を被害者として悲劇的に演出することで、
彼らの加害者としての側面を描かせまいとする池上史観が現れてくる。
軍人=被害者だから、戦後に開かれたA級・BC級裁判は勝者の裁きになり、
靖国神社は兵士を追悼する神聖なる神社になり、
日本の意図を「理解」してもらうのが日本外交の課題になるのである。
あくまで被害者は日本人だけ……という意識がそこに存在する。
当然、東南アジアにも日本の戦争犯罪の被害者たちを追悼する施設があるのだが、
そこにいって黙祷を捧げたシーンは残念ながらコンマ1秒すらなかった。
とはいえ、日本人の遺骨問題も解決されるべき問題で、
わざわざニューギニアまで飛んで暑い中、穴を掘って骨を探した櫻井君の姿には
感動したし、彼の誠意までギャーギャーけちをつけてはいけないだろう。
そもそも、櫻井くんに番組内容に干渉する権利はないはずだし。
斉山Pも視聴者がキレないギリギリのレベルでこの番組を作ったのだと思う。
海外取材を行った製作スタッフにも労いの言葉をかけたい。
問題は、ある番組では左翼的な発言をしてプロデューサーにすりより、
また別の番組では思いっきり右翼的な解説をさも中立意見のように語る某人だけだ。
こういう輩を巷では佐藤優現象と呼ぶらしいのだが、
私は今日から、これをイケガミズムと呼ぶことにしたい。
なお、某人の右翼的番組に対するツッコミは、ここで少しだけ読める。
なぜ? リベラルの星・池上彰が韓国特番でネトウヨ、嫌韓本そのままのヘイトデマ解説
嵐の櫻井くんが出演してくれたおかげか?
とおどけても何なので真面目に感想を述べると、
今のテレビ局で出来る最大限の反戦番組といった印象を受けた。
前半は、軍歌や映画などの戦時のプロパガンダを取り上げ、
後半はラパウル海戦などの南太平洋での海戦を中心に戦争を振り返っていた。
その際、大日本帝国の核開発計画に触れるなど、かなり意欲的な企画も盛り込んでいた。
恐らく、本番組を担当した斉山嘉伸プロデューサーの貢献によるものだと思われる。
この番組を見ても、特に右翼的見解になることはないだろうし、
むしろ、旧日本軍上層部の無謀……というより無能な一面を強調したVTRを見て、
もうあんな戦争は起こさせんぞ!集団的自衛権なんてまっぴらじゃ!と思う人が増えたはず。
櫻井君が出演していることもあり、視聴率はかなりあったのではないだろうか?
総じて、右翼が泣いて悔しがるクォリティだった。斉山Pに感謝。
さて、ここからは文句を書くが、上記のように評価される点もあった一方で、
全体的には、永遠の0・池上バージョンと言う出来だった。
映画『永遠の0』のどのあたりが問題なのかは、リテラが詳しく説明している。
何度でも言おう 『永遠の0』は反戦作品じゃない、平和ボケの戦争賛美ファンタジーだ!
簡単に説明すると、この映画の致命的な弱点は日本兵だけがクローズアップされ、
彼らに占領され、抵抗したために惨殺されたアジア人の姿が全く映っていない点にある。
さすがに今日の番組は『永遠の0』よりはマシだったが、
それでも、インドネシアに取材に行ったわりには、現地で実施された
強制労働(「ロームシャ」という言葉がインドネシア語になっている)や
慰安婦(東南アジアの住民にも慰安婦にされた人間が多々存在する)については完全無視だ。
他にも、戦争末期では、旧日本軍の退却と平行して、
現地のスパイ&ゲリラ狩りが実行されたのだが、これは文字通りの皆殺しだった。
フィリピンを例にすれば、ロスバニオスなどにおいて、
現地住民を教会に連行し、閉じ込め、焼き殺しているのだが、この時の加害兵には
本日の番組でも若干ふれたガダルカナル島の戦いで生き残った人間もいたりする。
こういう兵士が行った惨殺には全く触れないまま、
無能な上官に消耗品として利用されたゼロ戦パイロットを悼んでいたわけである。
もちろん、動員された兵士を悼むことも大事なことなのだが、
池上の他の番組の説明(東京裁判や慰安婦、靖国等の解説)とあわせてこの番組を見ると、
兵士を被害者として悲劇的に演出することで、
彼らの加害者としての側面を描かせまいとする池上史観が現れてくる。
軍人=被害者だから、戦後に開かれたA級・BC級裁判は勝者の裁きになり、
靖国神社は兵士を追悼する神聖なる神社になり、
日本の意図を「理解」してもらうのが日本外交の課題になるのである。
あくまで被害者は日本人だけ……という意識がそこに存在する。
当然、東南アジアにも日本の戦争犯罪の被害者たちを追悼する施設があるのだが、
そこにいって黙祷を捧げたシーンは残念ながらコンマ1秒すらなかった。
とはいえ、日本人の遺骨問題も解決されるべき問題で、
わざわざニューギニアまで飛んで暑い中、穴を掘って骨を探した櫻井君の姿には
感動したし、彼の誠意までギャーギャーけちをつけてはいけないだろう。
そもそも、櫻井くんに番組内容に干渉する権利はないはずだし。
斉山Pも視聴者がキレないギリギリのレベルでこの番組を作ったのだと思う。
海外取材を行った製作スタッフにも労いの言葉をかけたい。
問題は、ある番組では左翼的な発言をしてプロデューサーにすりより、
また別の番組では思いっきり右翼的な解説をさも中立意見のように語る某人だけだ。
こういう輩を巷では佐藤優現象と呼ぶらしいのだが、
私は今日から、これをイケガミズムと呼ぶことにしたい。
なお、某人の右翼的番組に対するツッコミは、ここで少しだけ読める。
なぜ? リベラルの星・池上彰が韓国特番でネトウヨ、嫌韓本そのままのヘイトデマ解説