負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

恩着せがましい

2012-04-01 21:32:48 | 原発震災避難者


震災前に



イソップ物語に こういう話があります。


狼が ノドに骨を立てた。

鶴にたのんで その長いクチバシで抜きとってもらった。

「 なぜ礼を言わんか 」と鶴が要求すると

「 かみ殺されなかったことをアリガタイと思え 」


どちらも 「 恩を着せ 」ているわけですが

この寓話にことよせて 人間にもおなじような手合いがいるゾ

・・・ と警告したのでしょうね。


恩着せがましいことをよく言う人がいます。

自分が人にしてやったことを さかんに強調するのです。

こう人にかぎって

自分が人から受けている恩には まったく鈍感です。

不感症といいたいほどです。 ・・・ 自己中心の 身勝手というものです。



助けあいの世のなかです。

人と人は たがいに恩をかけあう関係にあります。

ならば 自分がしていることはさておき

・・・ 人から受けている恩にまず感じる。

・・・ その深さを知る。

これが 無私ということで

みながそうあってはじめて 人の世の和は保たれるはずです。


ゆえに 次のような歌が詠まれたのでしょうね。


「 世のなかに人の恩をば恩として わがする恩を恩と思ふな 」



エゴイズムがまかり通る世では

「 献身 」ということが 自己犠牲と錯覚されやすいです。


しかし 人の世の本質をよく把握するならば

「 献身 」こそが 自己を生かすことであるはずです。


「 よきように使ってください 」と自分を 世に放りだすから

自分というものが生かされるのでしょう。



人をのみ渡し渡しておのが身は 岸に上がらぬ渡し守かな



自分のことより 人のことを考える。

そういう行いのできる人に 恩を着せる心はまったくなく

・・・ 事実においては 人に多くの恩を施しているのですね。







いまの政 ・ 財界は 小物ばかり ・・・

2012-04-01 17:51:51 | 原発震災避難者


震災前に



「 命もいらず 名もいらず 官位も金もいらぬ人は 始末にこまるものなり。

この始末にこまる人ならでは 艱難をともにして 国家の大業はなしえられぬなり 」

とは 大西郷遺訓のなかの有名な一節ですが ・・・


西郷隆盛においては これは観念論ではなくて

かれ自身がほんとうに そのような始末にこまる人であった ・・・ らしいのです。



こういう始末にこまる大物が たとえ数人でも いまの政・財界にいてくれたら ・・・

と 思ってみることがあります。


だが 考えなおしてみると そういう人が もし いたとしても ・・・

いまの世の時勢に合わず 野(や)にかくれて黙っているしかない

・・・ のかもしれません。


世の仕組みが そういう人物を表に押しだすようにはなっていないのでしょうね?

だとしたら 時勢そのものが情けない ・・・ ということにもなりますよね。







親心 ・・・ 人の道にそむく

2012-04-01 09:00:51 | 原発震災避難者


震災前に



江戸時代に加藤枝直(えなお)という歌人があり

二人の子のために いろいろと教訓の歌をのこしています。

そのひとつ ・・・


愚かさの親に似よとは思はねど

教えおかるる子の行方かな


・・・ こんな至らぬ親に似てほしいと思うわけではないが

やはり親心として 子の将来を考えると

自分なりに教えられることは 教えておきたい。

そういう気持にかりたてられる ・・・ 。
 

謙虚さと かつ 子を思う親の愛 および 責任感と

ともにゆたかにあふれていて まことにいい歌ですね。

親たるもの みなこんな心で 子に対するべきではないでしょうか。


当節は親の自信喪失の時代だそうで ・・・

「 愚かさの親に似よとは思わないから 教えることは あまりしないでおく 」

という人が少なくないそうな。


こういうのは 謙虚ではありません。

卑怯 怠慢 というものです。

人の道にそむくことですね。








銭金( ゼニカネ ) ・・・ 腕( ウデ )

2012-04-01 06:00:38 | 原発震災避難者


震災前に



「 月雪も花も紅葉も銭金も わが身にあるぞ働いてとれ 」


落語などに描かれる江戸っ子の職人たちは

「 宵越しのゼニはもたねェ 」などと言って

金銭への執着が まったくありません。

人が心配すると 「 ナーニ ゼニはここに入ってら 」といって

右腕の力コブのあたりをポンと叩きます。

職人としてのウデに自信があるのです。

・・・ そのウデを使えばゼニになる という意味ですね。


だが それとても

人のためにいい仕事をするから つまり生業に勉めるからこそ

ゼニが入ってくるわけで ・・・

利己の心や なまけ心でやるのでは ゼニは入っても少ないですよ。



江戸っ子の職人にはかぎらないのです。

人間みな 事情は同じことです。

「 銭金わが身にある 」から はたらきさえすれば生活はできます。


経済的に安定すれば 月雪花など 風流を楽しむ心の余裕もでき

・・・ 人間らしい生き方もできようというものです。



それにつけても ・・・ ウデですよ ウデ。







あの世 この世というより ・・・ 現世快楽主義

2012-04-01 00:30:48 | 原発震災避難者


震災前に



「 あの世この世詮索だてをしょうより 今日ただいま極楽にせよ 」


死んでから 地獄へゆくの 極楽へゆくの そんなことをあげつらうより

生きている今日の今を 楽しい世界にせよ ・・・ といっています。



「 極楽で百味の飯を食うよりも 雑炊(ぞうすい)食って娑婆(しゃば)におりたい 」


日本人の現世快楽主義の面目躍如たる歌 ・・・ ではありませんか。



さて いかがお感じですか ・・・ 。