負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

手の楽しさ ・・・ 感謝

2012-04-04 21:37:36 | 原発震災避難者


今日はお休み



詠み人知らずの三十一文字(みそひともじ)に ・・・


今朝もまた箒(ほうき)とる手の楽しさよ

はかなくなりし人にくらべて


というのがあります。



「 はかなくなりし 」には

「 儚くなりし 」( 死んでしまった ) と

「 掃かなくなりし 」 の二つの意味を含ませています。

箒ときたから ・・・ こう受けたわけですね。


死んでしまった人は ・・・

箒をとって庭をはくことも もはやできない。

そういう故人たちに比べてみたら ・・・

今朝もまた生きて目ざめて 庭はきができる楽しさ。

ああ 生きているとは

なんとありがたい うれしいことか ・・・


生きていること自体をよろこびとせよ

・・・ そう教えている歌だと思います。


「 手の楽しさ 」という表現がいいですね~。


手こそは 人間の特性をあらわすものです。

その手をつかうことこそは ・・・ 生きていることのあかしです。

死ねば この手もなくなるんだゾ~ ・・・ ですよ ね。


「 箒とる手 」は 一つの例で

鍬をとる手

ペンをもつ手

箸をもつ手

子を抱く手

介護する手 ・・・ なんでもよいわけです。


その手に 楽しさと感謝 ・・・ を見出します。



明日は知れぬから 今日の感謝 ・・・ といったところでしょうか。




* ちなみに 本日午後
  三条市総合福祉センター内のデイケアセンターでお手伝いをしてきました。







口うるさい ・・・ 日本人

2012-04-04 15:00:45 | 原発震災避難者






人間は とかく口うるさいものです。

人のことを ・・・ アーだ コーだと 噂したり 批評したりします。

世界の中でも 日本人は とくに口うるさい ・・・ のだそうです。


なぜ こうまで他人のことが気になるのか?

・・・ フシギに思うことさえあります。


十人寄れば 気は十色(といろ)。

人間 顔が違うように ・・・ 考えもちがいます。

いろいろな人が いろいろなことを言います。


口うるさい世の中で それらを気にしていたら

・・・ 何もできなくなってしまいます。


だから 幕末の志士 坂本竜馬が


世のなかの人は何とも言はば言え

わがなすことは我のみぞ知る


とうたったのは、あまりにも自然な述懐であったはずですね。








金しだい ・・・ 金でゆけぬは極楽

2012-04-04 12:44:16 | 原発震災避難者


震災前に



事業の成否 ・・・ 金しだい

政治の運営 ・・・ 金しだい

選挙に勝つのも ・・・ 金しだい

宗教繁盛 ・・・ 金しだい

女にもてるも ・・・ 金しだい

すべての幸福 ・・・ 金しだい

・・・・・・・・


これらはむろん 一面の真実であるかもしれません。

だが 全面の真実でありえないことは

・・・ どなたにもお分かりでしょうね。



金ほしや地獄の沙汰も金しだい

金でゆけぬは極楽の道



金銭で買えぬもの 動かせぬものがあります。

・・・ ゲンとしてあります。

心の尊貴だけは

万能の(?)の金銭をもってしても ・・・ どうにもなりません。


むろん 自分の心を金に代えて売る人もいます。

だが そういうのは

魂の低劣な人 とるにも足らぬ人物であり

その人生に真の幸福がありえないことはいうまでもありますまい。


この極楽とは あの世のことではなくて

現世における幸福 ・・・ という意味に解すべきでしょう。


幸福とは究極的には 心のもちかたひとつできまるもの

その心は 金銭や物質から独立した

・・・ これらによって支配されないものです。


大金があっても 不幸な人

金が少なくても 幸福な人 ・・・ がいます。

すなわち

「 金でゆけぬは極楽 ・・・ 」 ということになるわけですよ ~ ね。







大いに迷うべし ・・・ 正道・邪道 2

2012-04-04 09:00:42 | 原発震災避難者






問題は 何が正道で 何が邪道であるのかということです。

その判別が容易ではありません。だから ・・・


ともすればあらぬ方へとふみ迷う

教えがたきは人の道なり


という歌が生まれることにもなるわけですね。


何が正道であるかは

人に教えられてわかるばあいもありうるけれど

つねにそうとばかりゆかず

自分の足でトコトンまで迷って 袋小路に追いつめられて

窮したあげく ゆくべき道のありかに気がつく

・・・ というケースもまた おおいにありえます。

いわゆる人生の岐路に立ったばあいは

・・・ まずは たいていこんなものです。


「 努力するかぎり 人は迷うものだ 」 とゲーテが言っているとおりで ・・・

迷って横道に入るから 正道の所在をみずから悟ることができる

失敗するから 成功がありうる ・・・ のです。

いわゆる 「 負けておぼえる相撲かな 」 ・・・ ですよ。


だから ワザと横道に入ることはよろしくないけれど ・・・

まっすぐのつもりで横へ入ってしまったということなら

・・・ 大いに迷ってよろしい のです。

大いに迷うべし ・・・ ということでしょうね。







人生相談 ・・・ 正道・邪道 1

2012-04-04 06:00:56 | 原発震災避難者






まっすぐにゆけば迷わぬ人の道

横すじかいにゆきて尋ぬる


すじかい(筋交)は 斜めということです。



人の道というのは

まっすぐゆきさえすれば 迷うことなどないはずなのに

横着をして 横道や斜めの道に入ってゆくから ・・・ 迷ってしまいます。

そして

タバコ屋とか 交番とかで 道を聞かなくてはならないことになります。

「 ここは何番地でしょうか? 」 とか

「 何丁目はどこですか? 」 などと聞くうちはよろしいが ・・・


「 私はどこへ行ったらいいんでしょう? 」 と聞く人がいます。

マンガみたいですが ・・・

しかし 世の「 人生相談 」なるものを読んでみると

こういう質問をしている人が多いようですね。



習わじな沢辺の蟹(かに)の横にのみ

行かばゆかるる道はありとも


という歌もあります。


ゆこうと思えばゆける横道があったとしても

蟹の横歩きのマネはしないで まっすぐいきましょう

・・・ ということです。


まっすぐゆくことが 正道

横道にそれることが 邪道

これらの歌は ・・・ そういうふうに説明しているのだと思いますね。






行けぬかぎりは行け ・・・ 人生

2012-04-04 01:37:22 | 原発震災避難者






君が行く道は一筋ひとすじを

行けぬ限りは行けよとぞ思ふ



 尾上柴舟氏は、明治 大正 昭和の三代にわたって、国文学者 歌人 そして書家として活躍した人で、昭和32年に亡くなられた。

上記の歌は氏の作で 私が愛誦しているひとつです。



「 行けぬかぎりは行け 」に この歌の生命はあります。


一見 ムリなことを注文しているようですが

しかし 「 行けるかぎりは行く 」ぐらいのことなら

人間だれでも ボンクラであっても実行できています。


カベにブチあたってもなお ・・・ それを破って進む。

かくあってこそ この生は 生きるに価するというものです。


自覚する しないにかかわらず

だれにとっても ・・・ 人生は 「 ひとすじの道 」です。

だから 「 行けぬかぎりは行け 」 ・・・ ということになるのですね。



* 外は 暴風雨の模様 ・・・ 風音が不気味です。( 4月4日 午前1時半 )