負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

飽食・狂食 ・・・ 感覚マヒ

2012-04-07 21:30:38 | 原発震災避難者


震災前に



いま 食物は 街にあふれ ・・・

食物による「 食病 」が はんらんしています。


豊かさと不安の中で

人の心も ・・・ 飽食・狂食状態

食物がつくる いのちの貴さへの感覚が

・・・ マヒしているのではないでしょうか。







ハンバーガー ・・・ 半馬鹿

2012-04-07 18:30:13 | 原発震災避難者


震災前に



私の耳が悪くなったせいでしょうか ・・・


外食 : 害食

ハンバーガー : 半馬鹿

ピザ : 肥挫

霜降 : 下不利

とろ : 吐露

行列のできる店 : 行劣のできる店

食い放題 : 悔い放題

グルメ : 愚留奴


・・・ などと 聞こえてしまうことがあります。



ハイ 私の耳が悪いのです ・・・ ね。







現代っ子の弁当 ・・・ 下剋上

2012-04-07 15:30:57 | 原発震災避難者


震災前に



現代の食生活は 幼稚園児の弁当を見ると

いかに かっての伝統的な正常性と逆転しているかが分かります。


かっての小学生の弁当箱には

おかず入れが 片隅に約五分の一の大きさで添えられていました。

そこに 漬物や煮物の野菜が入れられていたのです。

魚など 小さなチリメンジャコくらいは入りうるのですが

とても大きなのは 入る余裕はないのです。


ところが 今の幼稚園児の弁当箱は逆転していて

ごはんの部分にたくさんの豪華な動物性のおかずが入れられて

ごはんは 小さい部分に 申しわけていどに納まっています。

副食が主役になって 主役は副え物になっています。


副食でこそ 栄養がとられるという考えが ・・・ 

お母さんたちの頭を支配することになったからです。

というのも 栄養学の知識が そのように仕向けたからに違いありません。


主食と副食の下剋上です。

親が 子どものご機嫌をとった弁当ごしらえですから

やがて 子どもが 親に乱暴を働く家庭内暴力の素地は

こんなささいなところからも 芽生えている ・・・ といえなくもないのでは ?








日の丸弁当

2012-04-07 12:21:00 | 原発震災避難者


震災前に



白いご飯に 赤い梅干の「 日の丸弁当 」


箸箱に入れた箸を添えて 風呂敷で包む

・・・ これが 昔 むかしからのお弁当でした。


もともとお弁当は 家で作って 外で食べるもののはず。


おかずとご飯を コンパクトに箱に詰めて

芝居見物や花見 あるいは戦場へ持って行ったものでした。


ところが今は コンビニやスーパー デパ地下など

外で買って 家で食べるものになりました。


箸は 当然のように 割り箸です。


食事を 小さく詰めたものが弁当なのに

本当に ・・・ 「 つまらない 」ものになってしまいました。



「 つまらない 」は 面白みがない 楽しくない というだけでなく

「 あまり価値がない 」 ・・・ という意味もありますね。






人生に絶望はない

2012-04-07 04:43:56 | 原発震災避難者


震災前に



・・・ 私は 耳慣れぬ方の電話を受取りました。

瞬間 十余年前のある方の顔を思いうかべました。


知性と美貌でキラキラしていたその方は

ある会社の重役婦人であったはず ・・・ 。


電話の声は あまりにも深く沈んでいました。

懐かしさ半分 驚き半分の気持ちで応対していた耳に

次のようなことばが飛び込んできました ・・・


「 私はもう 落ちるとところまで落ちてしまいました。

もう どうにもならない身の上になったのです 」


受話器を通して伝わってくる声は あまりにも切実であり 深刻です。

生活の急転が 直に伝わってくるひびきなのです。



・・・・・・・

・・・・・・・



「 いま お話をうかがっていることは

すでに あなたは正常だということです。

これだけ要領よく話されることひとつ取りあげても

なにも異常は感じられませんよ。 ・・・ その点はご安心なさい 」


恵まれた はなやかな境遇から一転して

どん底に突き落とされたこのご婦人に必要だったのは

人生の体温にふれること ・・・ それしかありません。

そのためのことばしかなかった ・・・ わけです。



どんなに絶望的な窮地に追いこまれても

最後の最後まで希望を失わず努めるなら

・・・ 必ずどこかに道はひらけます。

これが 三十数年間

数多くの人生の危機に立ち会ってきた ・・・ 私の信念です。



なにより 最後の最後に

ここ(私)を思い出してくれたことに ・・・ 感謝します。