負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

お頼り信仰 ・・・ 低級信仰

2012-04-16 18:54:06 | 原発震災避難者


震災前に



10年近くもウツ病に悩まされていたMさんは 2年ほどで完治しました。


Mさんは私と縁ができるまでは いろいろな宗教に入信してまいりましたが

良くなるどころか ますますひどくなって行ったのです。


それは 入信した信仰が
 
どれもこれも一様に 「 お頼り信仰 」 「 信仰すれば ご利益がある 」

という信仰だったから だめなのです。

自分自身の腹の中に 主体性が生まれない信仰をいつまで続けていても

ノイローゼ的心の病は征服できません。


Mさんは 何年か通った後

一向に心が落ち着かないので 「 止めます 」というと

「 バチがあたる 」 「 災難がくるぞ 」と何回もおどかされたそうです。


脅迫したり 不安をかき立てる信仰は それ自体低級信仰なんですよ。

宗教というのは 安心を与えるものだし

神仏が 罰をあてるなどということはありません。

もし 罰をあてる仏がいたら それは 仏の顔をした悪魔にすぎません。

なにも恐れることはないのです。


Mさんは 仏様におすがりすることばかり考えていたのでしょう。

ですから 自らを征服できなかったのだと思います。


Mさんは 今の生活が夢のようです ・・・ と喜んでおります。


信仰の間違い 低い信仰がいかに人を惑わしているか
 
・・・ 考えても 恐ろしいことですね。




* ちなみに 私は 宗教家ではありません。 念の為。







よりよい生活(暮らし)の誤り

2012-04-16 16:06:21 | 原発震災避難者


震災前に



「 よりよい生活(暮らし) 」を求めて生きるのは

正しいことなのでしょうか。


「 よりよい生活(暮らし) 」が目的だというなら

その達成のために生きている今は 手段にすぎなくなると思うのです。


ことは あべこべではないでしょうか。


今を生きるのが すべてであって

よい生活( 暮らし )は( 不要とはいわないが )

その一つの条件にすぎないのです。


今を生きるとは

この自分が ・・・ 自分を生きることにはならないでしょうか。


生活(暮らし)のために生きるというのは

パンを求めて生きるに等しいです。


パンは生きるための条件であることは認めますが

では 生きるのは

その条件のためかといえば ・・・ 違うと思うのです。