昨日書いた「漏電ブレーカー」の件ですが、
朝、管理会社に電話したら、私の部屋が原因ではなかったみたい。
共用部分の電気コンセントが問題だったようです。
良かった。(^。^;) ホッ
解釈の仕方が私は偏っているのかもしれないなと感じた。
いわゆる「思い込みが激しい」ってやつですね。(;´▽`A``
連絡書の「場所を特定しているのでご協力を」
という部分で、漏電を出した部屋の特定だと思ったんだよね。
だって「原因を追究している中、○階~○階の照明器具及び配線では
ないかと予想していますが特定できていません。」
と書いてあったんだよ。
だからてっきり、私の部屋の配線が問題で
漏電ブレーカーが遮断されたと思った。
深読みし過ぎだったかもしれない…。
ひとつの文でも、解釈がまったく違って読めるよね。
「場所を特定しているのでご協力を」という部分でも
「管理会社が問題の個所を今捜しているから
その間は不自由を掛けるけど、ご協力を」という意味と
「場所が特定できないから、問題があった人はご協力を(申告してね)」と
両方の解釈にとれるんだよね。
私は自分の方にしかベクトルが行ってなかったから後者に解釈して
てっきり自分が迷惑を掛けたと思った。
まったく自分を顧みないよりは、顧みる方がいいかもしれないけど
極度にそっちばっかりだと、それも問題かなと思った。
これって、いつも何かやらかしてはお父さんに怒られてる子供が
お父さんがやって来る姿を見ただけで「怒られる」と怯えるのと似てる。
「また、怒られるのかな?オレ、何かやったかな?」
そうやって自分のやったことを思い返して
お父さんが口を開く前に「ごめんなさい」と謝ってる。
これではお父さんが抱きしめたくても、二人の間に距離が出来てくるよね。
別にお母さんでもいいけど、お父さんが厳格なイメージだから。
これってね。
子供にも原因があると思うのよ。
「怒られないよう」に、反省した自分を先に見せてるのかな。
深読みする子供は子供らしくないよね。
そこんとこが「距離」を作っているのかなと感じた。
反省する事はとても大事だけど、物事は「両面」を持っているのだから
両方の解釈をすることが大事なんだと思った。
片方しか見ていなくて段々見えてる世界を小さくしているのかなって。
この「子供」は、今の私でもあります。(;´▽`A``
距離を作ると、その距離の分だけ「着飾っている」んだよね。
自分の心に。
その着飾った服を一枚一枚脱いで、裸にならなきゃいけないのに。
裸の素の心になったら、何も構える事無く、あるがままでいられるのかな。
この「着飾って出来た距離」が、自分の闇でもあるのかも。。。
先日、「内向きから外向きへと視点が変わっても、いい頃なのかな」 と
書いたけど、向きを変えるのではなく「広げる」イメージかなと思った。
前にアンテナの分配器を替えた話も書いたけど、
「40~1335MHz で、片方のみ電流通過タイプ」から
「10~2655MHz で、全端子電流通過型」に変えたんだよね。
思い込みの激しい自分の方ばかり向いてた私が前者で
そこから更に変化して行く方向が後者なのかなと。。。
自分の内面も深く見つめるけど、
外側へ向ける視点の範囲を、さらに注意深く広げるようなイメージかな。
視点の向きは直線の(→)や(←)ではなくて、曲線の〇全方位なのかな。
だから向きを変えるではなくて、広げるイメージなんだと思った。
最終的には中心の●の蓋(着飾った心)が取れて、
素の心が四方八方に広がるイメージなんだと思う。
今の私に足りないのは「両面を見る」見方なのかなと思った。
バランスはやっぱり大事だと思う。
バランスよく立ってないと、転ぶんだよね。