昨日、汚れが目についたので、そこを綺麗に掃除した。
目につく箇所が多かったので、汗だくで雑巾がけした。
掃除の後にシャワーを浴びて、髪を乾かしてたら
綺麗にした床が、また汚れた。
せっかく綺麗にしたのにと思った。
落ちた髪の毛を掃除しながら思った。
「掃除は、キリがないんだよね。生活していれば汚れは出る。」
掃除したくないからと髪を洗わなければ、自分自身が汚れていく。
面倒だからと掃除をサボれば、自分の周りが汚れていく。
そのうち汚れが目立っても慣れてきて、それさえも気付けなくなる。
そうか、部屋が綺麗になると気持ちいいので掃除していたけど
それは違ったのかも。
汚れが気になるから、掃除していたんだ。
「汚れた部分に気付く」その為に、掃除があるのかもしれない。
自分が汚れている事に気付く。
自分の周りが汚れている事に気付く。
それが大事なんだと思った。
一度綺麗にしたから、それで終わりではない。
生活するというのは、常に汚れと掃除の繰り返し。
何度も汚れに気付いて、その度に綺麗にする。
これは「自分の心の闇を見る」ことと繋がってる。
「気付いたら、綺麗にする」
その繰り返しなんだなと思った。
その中で、いろんな事を学べる。
今回も掃除したから、この事を学べた。
だから汚れを綺麗にすることが多ければ、きっと学びも多いんだ。
「汚れ=綺麗」なんだね。
それがなんとなく解った。
「見なかったことにしよう」と思って放って置いても、
またそこが気になってしまうんだよね。
掃除するまで何度も気になる。
それでも放置すると、もう「そこ」を見なくなる。
「そこ」から逃げてしまって、気付きもしなくなる。
「そこ」を考えるだけで「億劫」になる。
それは「自分が作り出した闇」なんだよね。
だから、そうなる前に汚れのサインに気付けるように
気付いたら身体を動かして綺麗にしようと思った。
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