今朝のオラクルカードで「犠牲」が出ました。
ここ数日で気になるワードだったので、やはりそこを見ろって事でした。😅
⚫︎本質
「犠牲にする」という意味の英語sacrificeは「神聖にする(make sacrede)」が語源です。
犠牲は心からの感謝を示す供物であり、精霊のために用意した愛の祝宴なのです。
昔はいけにえとして、神々に血を捧げる儀式を伴う場合もありました。
たとえば旧約聖書のヤハウェ(神)は、カインが供えた野菜と果物よりも、アベルが犠牲にした子羊の方を選んでいます。
けれども中米では、夜明けの神ケツァルコアトルがやって来て、精霊は人間や動物の血よりも私たちの歌と祈りを好むことを教えてくれました。
実は私の現実世界でも不思議な?現象が起きました。
一昨日の前記事を書いている途中での出来事でした。
本家が分家に分かれて、流れが分家に行ってしまったみたいな?
本家は誰も知らないまま通り過ぎていくという状態が切なくなったのですが、別の意味では隠されて現代まで守られて来たのかな?とも思えて、そう書いたのです。
すると突然「ガチャーン」と大きな音がしました。
見ると寝室の壁にかけてあった「金龍さんの絵」の額縁が下に落ちて、その下に飾ってた「竪琴を持った天使さんオルゴールの羽」にあたり、取れてしまいました😨
金龍さんが落ちて、天使の羽が取れた・・・
「疑心をぬぐい いつわりの我が身に 挑むとき」と書いてあります。
これは過去に落ちた時の状況を見せてくれてもいますね。
同じことを繰り返すな、別の可能性を探れ?
私の今の疑心をぬぐい、手放す時と?
そして割れた羽のカケラを掃除しようと、置き台を動かしたら・・・
ホコリにまみれて落ちてた「pleasure」「09 02」のリストバンドを発見。
これに気づく為に、起きた一連の現象だったのでしょうか。。。
ホコリを落として綺麗に洗って太陽の光を浴びて、自分の喜びを取り戻す。
そして今日のカードです。
そうか、「犠牲」も「守る・守られる」も、同じ事なんだと理解しました。
92=国を守る為の犠牲も、本質は違うところにある。
自分の喜びを捧げる=自分が喜びを感じて、その感覚を神に捧げるという両者の喜び。
本来はそれだったけど、分離が始まって自分と神との間に壁ができた。
自分の内側にある「神聖の神」が、どんどん見えなくなって分離した。
だから解釈も違ってくる訳で「外側への神」への捧げ物になってしまったのかな。
今外側で起きているあらゆる問題も、自分の内側を喜びに変えることで変化してくると思った。
1人でも大きく変わる。たくさん変わると「とんでもなく変わる」。
そうか!心からの喜びの波動が、次元をシフトさせるのかな😆
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