気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

自然と不自然

2013-04-29 13:24:26 | 日記

前の記事の続きです。

私が住んでる所は、生まれた時から米軍が在った。
そして山を隔てた向こう側に、九十九島の手付かずの自然がある。
それが不思議だとも思わなかったけど、自然と不自然が同居してる。
九十九島は真中にある山で気の流れが別れ、『陰』の世界となったままなんだ。

九十九島から(山の)トンネルを抜けると、ドックの造船所や米軍が見えてくる。
古代からの変わらない自然と、変わりすぎた不自然が同居している街。
それを不思議とも思わずに暮らしているけど、「何かおかしい」とは感じていた。

なんで日本なのに、日本人が入れない地域が存在しているのだろう。
それは自分の家の中に『開かずの間』がある感じと似ていて、
自分の心の中に自分の知らない『閉まったままの部屋』があるのと同じなんだ。

佐世保は「戦争」によって、寂れた漁村から一気に軍港として栄え市となった。
砦として海を埋め立て、基地を造った。
戦艦、大砲、無線塔と巨大なモノを造ってきた。

その事に気付いたのは多胡さんのDVDを見てからだった。

【佐世保市】Air-Photographer多胡光純「九十九島を飛ぶ」

【佐世保市】Air-Photographer多胡光純「佐世保を飛ぶ」

多胡さんは言ってた。
「(クレーンや船等を上から見て)ここは何もかも巨大で、距離感がつかめない」
「自然と造形(古代と現代)が山を隔てて共存し、
 そこには当たり前に暮らしている日常がある。 いつも その事に気付かされる」と。

上から下を見たら、それらが巨大なことが一目で解るけど
でも私たちは低地に住んでいるから、その違いに気付かない。
それが巨大である事に、なかなか気付こうとしない。
それは最初からそういうものだと思って気にしていないから。

その低地に住んでいる顎(下層)の人達が、低地の目線から見ても
何かおかしいと気付く時期なんだと思う。

もともと自然だった場所が「自然と造形の不自然」に別れた。
なぜ別れたかというと、「戦い」が原因なんだよね。
「戦い」に備える為に、自然を壊して造った。

テレビで「ルワンダ」の事を話していた。
もともとは一つの同じ民族だったものを
「ツチ族」と「フツ族」に分けられた。

ルワンダ
ベルギーの委任統治下に置かれて、少数派のツチが中間支配層に据えられた。

そしてルワンダ紛争から発展して、ルワンダ虐殺が起こった。
民族を分けたことで起こった悲劇。
分けたのはピラミッドの山の上に居る支配層で、そこには存在しなかった「階級」を作った。
この縮図は、至る所で見られる。
みな同じような雛形なんだよね。

前にブログに書いたことがある。
「自分の周りから『争い』のない世界を創って行かなくちゃ」と。
あの時は、自分の親兄弟や友人という小さな半径の中の世界だった。

その半径が、自分の住んでいる地域に少し広がった。
「意識の領域が広がった」のだと思う。

自分が住んでいるこの地域から、戦争をなくして行きたい。
日本の中に日本人が入れない場所なんて、あってはいけない。
そんなモノが存在しない未来を創りたい。
だから、自分の心の中に開かずの間を作ってはいけないのだと思う。
自分が造った闇の部分を、しっかり見ることから始める。

そこから範囲を広げて、変えて行きたいと思った。
その為に私が出来る事を、「内」と「外」の両方で考えようと思った。

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