ブルーシャムロック

此処はtomohiroのオリジナル小説サイトです。
小説主体ですので、小説に興味の無い
人は、退出下さい。

冬に君と

2013-12-27 08:26:35 | 信・どんど晴れ
松江市内にあるネットカフェ。
ここに出張していた東京に本社のある商社勤務の松井達男は、
ネットをやりつつある漫画を見ていた。
「菊の名前、最終回なんだ。」
ため息をついて、漫画の単行本を読んでいた。
この、『菊の名前』という漫画だが、松井達男が
故郷の岡崎から追われるように東京に出てきた学生時代
夢中で読みふけっていた漫画である。
就職活動が忙しくなり、その漫画雑誌を読むのをあきらめた。
そして今その漫画の最終刊を手に取っていた。
思えば、父親のやり方は疑問だった。
父親の世代では、アメリカの豊かさという単語が踊っていた。
自分の世代はそれに裏切られたのに、父親はソレを信じて疑わなかった。
違うだろ違うだろ
何回も言って父親には殴られた。
そして今、松江にいる。俺の同期入社がここの町の出身である。
で、そんな彼は岡崎を含めた東海三県の出張に行く事が多い。
何かの報いなのか。彼が犠牲になっているようにも思えてならない。
今回のミッションは、松江の和菓子を買付に行くことである。
しかし、このての郷土料理は何件も職人が居て
贔屓の店があるのだ。
松江出身の同僚に聞くべきか迷ってしまっている。
このまえの福岡出張の時もあったからなぁ。
そんなコトをして、和菓子屋の開店時間を確認していた。
つづく



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Overture

2013-12-24 09:58:25 | 信・どんど晴れ
俺の名前は松井達男。現在中堅商社で働いている。
父方の祖父の名前が松井達彦というので、その一字をとりて
達夫。
余談だが、俺の父の名前は輝一という名前だ。
昔から俺は若かった頃の祖父とうり二つだと言われてきたので、
その、一字を祖父はとったという。
俺の祖母、父にとっての生母は父を生んだあと死んだ。
その跡に関して抱けれども、それは聞かなくてもイイ。
俺の生国は愛知県は岡崎。
それを追われるように大学進学と同時に捨てる羽目になった。
いろいろと郷里のことを知られると怖い。
妻と結婚するときもそれを伏せてきた。
新潟の妻の実家に行くときも面倒だった。
現在小学校四年生になる息子が居る。
いつかみた、俺の祖母にあたる女性にうり二つだと言う。
息子はあまりいいとは思わないけれども、何か似ている。
實に皮肉だ。
もう、そろそろ逃げることをやめたいのだけれども
どうにも、「愛知県」、「岡崎市」という言葉を
向き合いたいのだ。
つづく


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横浜駅から小田原に向かう。

2013-12-15 05:16:14 | 信・どんど晴れ
私、橘恵美子が、徳之島の新一さんと離婚が成立して、
小田原の実家に向かおうとしていた時だった。
横浜駅まで京急に乗って、そこから乗り換えて小田原に行く。
東海道線の車両がプラットホームに滑りこんできて、
私と二人の子供が、電車に乗り込む。
「この電車に乗れば小田原にそのままよ。」
私はそう説明した。
「横浜か。少し前朝倉夏美とかいう女の人がいたよね。その人が横浜出身だったね。」
長男が言う。
「そうね。」
私はうなづく。
「徳之島にいた時、夏美さんにここにあなたはいるべきじゃない、あなた横浜に帰るべきだ
とお母さんが、あの人にいっていたけど、また会えるよね。」
次男がそういった。
「逢えるかもしれないわね。でも横浜と小田原は距離がありすぎる。」
私は強い口調で、次男を牽制した。
次男は困った顔をして、
「だって同じ神奈川県内だから。」
という。
「小田原と、横浜。距離がある方がいいんじゃない。」
長男は、私と次男をたしなめる風にいった。
「そうかも。もしかしたら夏美さんは実家のパテシエになっている可能性がある。」
私は子供たち二人に言う。
「そうだったよ。おふくろが鹿児島の市内に行っているとき夕飯を作ってくれたの夏美だったぜ。」
長男が思い出しながら答える。
「だったよね。どれも料理美味しかった。」
次男も答えた。
「うん。夏美さんきっとがんばっている。」
子供たちに言い聞かすように行った言葉は、今思い出すけれども、私に言い聞かすための言葉だった
かもしれない。」
電車はそのまま、大船に差し掛かっていた。
(第一部了)
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ケーブルテレビで発見した女性

2013-12-14 05:36:38 | 信・どんど晴れ
私松本佳奈は、旅館の休憩所で加賀美屋が加盟しているケーブルテレビの
「ふるさとチャンネル」というチャンネルを見ていた。
様々なケーブルテレビに加盟している地域が毎回紹介されるけれども
こんかいは、関東地方の加盟チャンネルがさまざまな関東のTerritoryを紹介する番であった。
「女将、横浜ですか、どういうものが紹介されるのでしょうか ? 」
私は女将に質問した。
「さあ。」
女将はただ一言言うだけ。
實を言うと、私達は女将の甥である加賀美柾樹君の婚約者である、横浜出身の朝倉夏美という
女性を食中毒事件の咎を追わせて追放したのだ。あまりにも厚かましく
「女将になります。」
と言ってきたのが我々からすれば腹が立っていた。
で、彼女のせいにしなければいけなかったのを徳之島の祭りをきっかけに追放した。
かえってこれが私の後継体制の強化につながっていったのだけれども。
「横浜でまさか朝倉さんが紹介さたりして、」
女将は意地悪く話した。
女性レポーターが
「今日は横浜の元町にあるケーキ屋ル・ヴィサージュに着ています。
オーナーの橘恵美子さんです。」
橘恵美子となのる女性は、落ち着き払って、
「オーナーの橘です。もともとこのル・ヴィサージュは、他人のものですが、我が
橘社が買い取ったものです。これが絶品のシブーストです。」
この女性は、かつては新一さんの妻だった人だったけれども、ゆえあって新一さんと離婚して、
二人の子供の親権者になって、現在小田原で暮らしていると言ったわけだが。
「あの、恵美子さんがオーナーを務める店だったとは驚きですね。」
私と女将は目を見やった。
「でも、ル・ヴィサージュって、どこかで聞いたことがあるんだよね。」
女将がふとつぶやく。
「まさかぁ。横浜だったら洒落た店はたくさんありますよ。私もそのすぐ近くに住んでいましたし。」
私はそれに対して苦笑した。
女将は私の顔を見て口を黙って口をとんがらかせた。
元町だけれども、比較的電車でいける距離にあったけれども、ROOMMATEがバイトしていた
ぐらいのイメージしかない。
番組が 10 分ほどたったぐらいだろうか。
厨房の紹介に移っていた。
恵美子さんに連れられて、レポーターは厨房の作りかけの菓子を紹介していた。
でも、そこの調理長はあまり顔を見せたくないような感じで、
恵美子さんはそれをみて、レポーターを制止しているようだった。
「もしかしたらル・ヴィサージュといえば朝倉さんじゃないかな。」
女将は言う。
「朝倉さんですか・・・。」
私は一瞬考えた。
もし、朝倉さんだとしたら、柾樹さんとはなにかで別れたのだろう。その代わりに恵美子さんがいる。
実に悲しい。私と女将は TV モニターの横浜を見ながら、口に酢を思いっきり入れたような顔になった。
私は女将に、ここに留め置かれて加賀美屋の新時代を背負うように考えられている。
恵美子さんも朝倉さんももしかしたら徳之島や加賀美屋に復讐したいのだろうか。
おわり
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Saibakangakuru!!

2013-12-13 08:21:33 | 信・どんど晴れ
松本佳奈が徳之島で働き始めてから足しげく通っているスナック
「犬田布嶺」に最近よく来る人間がいる。
裁判官である。
「マスター、ウイスキーをロックで。」
と、そのどことなく真面目さとふざけた感じが同居した男は、乾いた笑いをしながら
注文したそれを飲んでいた。彼の本宅は奄美大島の名瀬にあるのだが、
ここ 2~3 ヶ月の間、徳之島によく来るのだった。
彼の趣味はこの琉球文化圏の島には似つかわしくない趣味をしている
なんと會津出身の山本覚馬や知る人ぞ知る津軽出身の画家、
杉藤吾といった人間に関する本ばかり読んでいる。
初めて佳奈が彼に遭遇した時、場違いな場所に関する本をよんで悦に浸っていた彼が
不思議だった。
「なんで會津とか津軽に関する本ばかり読んでいるんですか。ここは正反対の琉球の島ですが。」
佳奈は思い切って質問した。
「そうだねぇ。私は東京の小平出身でね。なぜだか北国に憧れた。
両親とも、東京の小平の周辺出身だったから。」
と彼はおどけてみせた。
「でも不思議なものだね。私の赴任先は、沖縄とか鹿児島といった南日本だったから。」
と己の境遇を皮肉そうに笑った。
「でも、外部の私が言うけれども、なんでここ最近徳之島に来るんですか。裁判官さん。」
犬田布嶺のマスターが声を出した。
「そうですね。」
裁判官はウィスキーを口に含みながら、
「松本佳奈さん、あなたが勤務している加賀美屋の新一さんと奥さんの恵美子さんの
離婚の調整で私が徳之島に赴いています。」
マスターと佳奈は、裁判官の発言に目を白黒した。
「ここだけの話私もあの二人はうまく行っていない感じでした。」
佳奈は、そばにいる法曹関係の人間を見ながら答えた。
「うん。他にいるお客さんの手前、ここだけの話ですが、この話はそこら辺に留めておきます。」
と表情を変えずに答えた。
それからして、佳奈も裁判官も店を出た。
「松本さん、これから加賀美屋を背負っていくのはあなたですよね。」
店を出たあと、口を開いたのは裁判官の方だった。
「あ、はぁ。」
この旅館の後継者として仲居頭か若女将になるのは、女将が無理にしていることであって
私の本意ではない。
と佳奈は、言おうとした。
「もしかしたら、あなたが腹をくくれば別の幸せをつかむ人ができるかもしれません。」
と裁判官は、言う。
「あのー。図々しく言い過ぎですが。」
佳奈は少し怒ろうとした。
裁判官はそのまま定宿のビジネスホテルに足を運んでいた。
おわり
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後継体制の指名

2013-12-12 05:39:12 | 信・どんど晴れ
松本佳奈は、大女将が倒れた時の事を思い出していた。
あれは夕方だったのだろうか、急に容態が急変、主治医は徳之島の病院では助からないので
最寄りの縣廰街の病院ではないといけないと言っていた。
思い当たるところは、鹿児島の市内か、那覇と言ったところだろう。
佳奈自身、遠巻きに見ていたので思い出せなかった。
主治医はてきぱきと関係の団体に電話をかけていた、数分後那覇の高江洲医院といった場所が
あいていると、家族に伝えていたのが聞こえていた。
30 分ぐらいしたあと、
災害救助隊に使われるほど大きな
自衛隊のヘリコプターが加賀美屋の近くの広場に止まっていて、
中から、救急隊員が何人か出てきて、移動式のベッドに大女将を連れていった。
佳奈は大事で声もでなかった。
その時、新一は、
「留主を頼む。」
と一言、佳奈の肩を叩いた。
その時、恵美子は、一瞬顔を背けた。
彼女自身、もう私は必要ない。佳奈さんの方が必要だと、考えていたのがわかっただろう。
彼女の二人の息子、新一の息子でもある子供は、新一を睨んていた。
「睨むことはねぇだろう。」
佳奈は、一言、ガキにつぶやいた。
ガキどもは罰の悪そうに、ヘリコプターに消えていった。
「まあ、これからは佳奈のもんだろう。」
新一と恵美子の長男が機上の人になる前に捨て台詞を吐いた。
「やりたくもなかったがな、成り行きで私のものになるんだ。」
と佳奈は、長男に返した。
女将は、黙ってうなづいて会釈した。
ヘリコプターがいなくなったあと、
「大女将、もしかしたら危ないんじゃないですかね。」
と同僚の仲居が言った。
「ああ。私もあの人にはやたら悪態をついた。で私を気に食わないせいもあってか
朝倉夏美と愛孫の柾樹を気にかけていた。」
と同僚にさらりとこたえた。
柾樹の顔を彼と夏美の婚約パーティー以来佳奈は見ていない。
なのに、後継者というのは、 大女将が考えたことだからなぁ。
2 日したぐらいか、那覇から飛行機が帰ってきた。
大女将は遺骨になって帰ってきた。
「昨日の朝、那覇で亡くなった。」
女将がそう伝えた。
「この 2 日、加賀美屋は異常がありませんでした。」
佳奈は、淡々と伝える。
「もし、彼女の葬儀の時、私は重要なことを伝える。」
女将は言う。
大女将の葬儀。
親戚が、関西や鹿児島の本土からたくさん来ていた。
佳奈は、受付として彼らの応対に当たっていた。
その時、ある人間と出会った。
柾樹だった。
彼は受付のテーブルに自分の名前を書くと、佳奈の顔を見た。
「僕はもう、加賀美屋に縛られることは無いでしょうね。」
とセリフを残して。
式も終わり、女将は
「これから、加賀美屋の後継者は、ここにいる佳奈という女性に託す。」
と落ち着き払った様子で参列者に伝えた。
あたりはどよめいていた。やはり葬式の時に言うことではなかったのか、それとも
ノーマークだった人間が後継者になったことへの戸惑いだろうか。
「これから、女将の後継者として加賀美屋を支えていきたいと思っています
松本佳奈です。若輩の身で右の左もわからないので助けていただきたい。」
と述べた。
このことをまっさきに喜び拍手したのは内縁の妻のそばにいた柾樹だった。
内縁の妻は良かったですねという顔をしながら微笑んでいた。
佳奈は、自分は逃げられないところにいるのを確信していた。
「これでいいんですか ? 」
佳奈は後日女将に言う。
「これでいい。お前を加計呂麻島で見た時から、これからを背負っていけると思った。
もう、私は何も言わない。」
と女将は言い残した。
どういう宿にするかわならないけれども、モダンな感じにしたい。それが佳奈の脳裏に浮かんだ。
おわり
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私がここに来た理由

2013-12-11 17:04:09 | 信・どんど晴れ
私が徳之島の老舗旅館、「加賀美屋」に来たのは、大学を卒業して一年半ぐらいの頃だったかな。
私は関東での就職活動に失敗して、親父に騙された形で、加計呂麻島に連れ戻された感じだった。
仕事につかず家の農作業の手伝いとかをしていた時、春になったぐらいか、
加賀美屋の女将が現れたんだ。
父と女将がなにやら、客間で話していた。
父は何やらうなづいていた。
それに対していうは早いという雰囲気で、私を加賀美屋で働くことを決めたようだった。
急に決められたことなので、私は信じられないし、親父を恨んだよ。
だけれども、父と女将に促されるまま荷造りをされ、徳之島の船に乗ることになった。
都合よく、大嶋側の古仁屋からふねがでるというじゃないか。
仕方がない。
私は決して前を振り向かなかった。
女将の厳しい顔を覚えている。
「もしかしたら、以前まで住んでいた東京で就職したいのかい。甘い考えは捨てるんだね。」
当時、私の少ない頭で考えたけれども、ラピュタの女海賊って感じ。
女だてらに男だって束ねているってオーラが出まくり。
逆らったらどうなるか。
数時間して、名瀬港から徳之島の加賀美屋に最寄りの港に私はいた。
港の前の三階建てのビジネスホテルを通り過ぎて、目茶苦茶古い日本家屋。
木の看板に「加賀美屋」と書かれている。
「ここがあんたの職場だ。」
女将は言った。
私は目を丸くした。
「こんな場所で、働くんですか。まるで鹿児島の本土や箱根の高級旅館みたいだ。」
黙ってうなづく女将
「そうだよ。私がお前をここで働かせたいのは古仁屋出身の私からしたら、加計呂麻島出身の
お前はほぼ同郷だからだ。」
といって、おくの従業員の詰所に案内した。
「今日から働く松本佳奈さんだ。宜しく。」
というと従業員たちは大喜びだった。
あれから数年後、私は女将の後継者として若女将か仲居頭、あるいはそれに相当する
旅館でも相当偉い役職をもらうようにできている。
「昨日の tv で恵美子さんが、でていたけれども、もしかしら、朝倉夏美もいるかも。」
と冗談めかして女将に言った。
「お前はそんなこと気にすることはない。」
と厳しい顔の女将。
おお、こわ。
朝倉夏美が出演してから、なにやら私の後継体制づくりに焦っているからな。
おわり
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