8月27日、美里町北長野の美里ふるさと資料館で開催された、
松原豊写真集「村の記憶」出版記念トークショーでは、
多方面に話題が及び、大いに盛り上がりました。
詳細は既に(その1)~(その3)で紹介しておりますが、
ここでは、そこに載せられなかった話題について書きます。
(楽屋落ちネタ1)「立て干し」は津でしか通じない!
楽屋でおしゃべりしていた時、隊長が
「立て干しってね、津だけなんですよ、知ってました?」と言いました。
「へっ?」
御殿場海岸で夏にやっている、海を網で囲って、魚を捕るやつですよね?
あれが、津市だけなんですか?
「いわゆる定置網漁の一種なので、各地でやっているのですが、
あれを立て干しと呼び、庶民の娯楽になっているのは津だけなんです」
側で聞いていたイワワッキーも
「そうなんです、僕も東京で立て干しって言っても通じなかった」
と言いましたので、
やはり「立て干し」は、津でしか通じない言葉のようです。
津の海で娯楽としての「立て干し」を始めたのが、
津藤堂藩2代藩主の高次公であったとのこと。
津まつりを創始し、唐人踊りを津に持ち込んだ藩主ですね。
(楽屋落ちネタ2)隊長のご先祖は長野住人
同じく楽屋でおしゃべりしていた時、隊長が、
「この江戸時代の長野宿の絵図にうちの家が載ってるんですよ」
そんなバカな、あなたは5年前に引っ越してきたんでしょう?
「わが家の先祖は、江戸時代、長野宿で暮らしてたんです。
ほら、ここに奥田って家があるでしょう?その後、家を解体して、津に出て来たそうです。
うちの父親が、わが家の先祖は美里だって言ってたんですよ」
ところが、お父さんもそれ以上のことは聞かされていなかったらしく、
長野宿に家があった奥田家のことを知ったのは、
美里に来てからだったそうです。
というわけで、楽屋でのトークも非常におもしろかったです。
さて「楽屋落ち」に続いては、まじめなお話を。
トークショーで出た「子育て」に関する話題です。
「美里って、自然が豊かで静かで、近所の人も優しくて、
子どもを育てるには最高の場所だよね」と言います。
でも、何もかもが最高というわけでもない、
「小学校区内にコンビニとかが無いでしょ、
だから自分のお金で、お菓子や文房具を買うことが無いから、
子どもの金銭感覚が身に付かないんです。
算数はできますから、計算はできます。
でも500円のお金で何を何個買うか、というのに慣れていなんです」
私が子どもの頃は、主要なバス停の前には駄菓子屋があったんです。
栗原、足坂、吹上にありましたから、それなりに体験ができてたんですけどね、
今は文房具を買うにも、遠足のおやつを買うにも、
嫁が車に乗せて買い物に行っています。
そうすると上記のように、感覚が身に付かないんですね。
けれど、今さらコンビニも出来ないと思うので、
親が町に連れて行って体験させるしかないと思います。
それと
「里山遊び、川遊び、美里ではそういう体験ができる、って思ってたけれど、
実は、里山は人が入れないくらい荒れていて、
川も時期によっては農薬が流れているので入れない、
結局、身近に自然があるけれど、子どもが遊べる場所が少ない」
という話題も出ていました。
ひとつは環境の問題です、
山仕事をする人が減っているので、
家の裏、学校の裏の山でさえ、子どもが入れないくらいに荒れていたりします。
しかし、
昔の子なら、多少倒木があってもそれを乗り越えて進んでいったものでしたが、
今は、親も先生も、
「ハチが出る、ヘビが出るから危ない」と言って子どもを山に行かさない、
隣の子が行かないから自分も行かない、といった具合で、
子どもがみんな家の中で遊ぶようになった。
家の中で遊んでばかりいるから、近所の人も誰がどこの子か、顔がわからない、
顔がわからないから、危険なことをしていても気付かないということで
子どもを守るには、子どもを家の中に入れておくしか無い、という現状なんですね。
なんとかしたいとは思いますけれど、
これだけ生活スタイルが変わってしまうと、山の荒廃はもう止められないし、
子どもの遊びも変わらないと思います。
そして、隊長も写真師マツバラも、
まだお子さんが小学生だから、まだ実感できないと思うのですが、
子どもが中学生、高校生の時が一番、大変なんですよ。
バスの便が悪いため、
中学生の時は塾の送り迎え、高校生の時は部活と塾の送り迎え、
を嫁と交替でやっていました(今も継続中です)。
美里って不便だな、
町の子だったら、自転車で塾に行けるのにな、と思いながら
夜中に車で走る毎日です。
高校を卒業するまでの、たかが数年の辛抱ではあるのですけどね、
このことだけは、美里の不便さを強く感じます。
「村の記憶」出版記念トークショーが開催されました(その1)
「村の記憶」出版記念トークショーが開催されました(その2)