
12月1日(土)安濃津ガイド会の主催で、
江戸時代初期に津城下に住んだ鋳物師の一族・辻家の作品を訪ねる見学会、
「鋳物師辻家を極める」が開催されました。
上の画像は、津観音です。
銅製の燈籠は、寛永5年(1628)、辻但馬守吉種と辻越後守重種の兄弟の作品です。
津観音の梵鐘は、元和元年(1617)、初代越後守家種と子の吉種重種兄弟の作品です。

下のお墓が、津市乙部の上宮寺にある、清韓長老の墓です。
有名な「方広寺鐘銘事件」の銘文を書いた人です。
お墓の前でガイド会のメンバーが「国家安康 君臣豊楽」と書いた紙を掲げて説明しています。
津にも関係のあった、方広寺鐘銘事件
左上の梵鐘が、浄明院(乙部)の梵鐘で、辻越後守陳種の作、陳種は重種の子です。
右上の梵鐘が、本徳寺(寿町)の梵鐘「孝行鐘」で、辻種茂の作です。

左上 天然寺(寿町)の釈迦如来坐像、辻種春の作。奧の梵鐘は、辻陳種の晩年の作です。
左下 観音勢至菩薩立像、辻重種の作、
右下 釈迦如来坐像、辻種永の作、
なんだか分かりにくいのですが、
「方広寺鐘銘事件」に関わって幕府から罪人扱いされていた初代越後守家種を、
その腕を惜しいと思った藤堂高虎公が、津城下に住まわせて守ったことから
津城下で鋳物師・辻家が発展したんですね。
有力者が寺院に寄進する、仏像や梵鐘、燈籠などの銅製品の注文は
代々の辻氏が請け負ったことから、
津城下には江戸初期の辻一族の作品がいっぱいある、ということです。
ただし、辻家が栄えたのも3代目の陳種あたりまでで、
その後は阿保家や奧山家が鋳物師として活躍しています。