「津ふるさと学検定BOOK」には太平洋戦争中の出来事も何題か出ています。
その中のひとつ、
大戦中に白山町上空で、陸軍機がアメリカ軍のB-29爆撃機に体当たり攻撃し、
双方が白山町に墜落した、というエピソードをご紹介します。
昭和20年6月26日の昼間、
伊勢方面から西北に向かってB-29の大編隊が進んでいた。
北の笠取山方面から飛来してきた2機の陸軍戦闘機「飛燕」が旋回しながらB-29に接近、
白山町の上空で飛燕の1機がB-29の大編隊に真正面から体当たりした。
すごい衝撃音の後、飛燕は燃えながらキリモミ状態で大三駅の北側2キロの園内に落下した。
B-29のエンジン部分は、東青山駅近くの惣谷池に落下した。
同機には11人が搭乗していたが、10人が死亡、
1人がパラシュートで脱出したが捕虜になり、その後処刑された。
体当たりした飛燕に搭乗していた、第56戦隊所属の中川裕少尉は機外に放り出された。
パラシュートが自動的に開いて、風に飛ばされながら、
久居まで流され、元町の真光寺の松の木に引っ掛かかった。
住民が救助に行ったが、既に死亡していた。
その後、二十三回忌の昭和43年に、
「飛燕」が落下した大三地区に「平和の礎」が建てられ、
広島在住の中川少尉の母親も遺族として参列された、ということです。
なお、少尉の遺品や、B-29、飛燕の部品などが、津市白山町郷土資料館に展示されています。
白山町郷土資料館に展示されている資料
陸軍飛行第56戦隊は、近畿地方や九州を転戦しながら、防空任務に就き、
昭和20年5月からは伊丹基地において、阪神地方の防空を担当していました。
伊丹基地において、敗戦までのB-29爆撃機撃墜数11機(体当り撃墜3機を含む)。
冒頭の画像が「飛燕Ⅰ型」です。
戦時中の陸海軍を通じて、唯一の、水冷エンジン搭載の戦闘機で、
外地の部隊ではメンテナンスが困難であったことから、
主に内地の部隊で防空戦闘機として使用されました。
「戦闘機で体当たり→パラシュートで脱出」という戦法は、
昭和19年秋から、飛燕を装備した他の部隊でも行われていて、
上昇性能を上げるために機銃・装備を外して軽量化して出撃していました。