
津市安濃町野口、集落の中心部の県道沿いに建っている
「澤田佐市顕彰碑」です。
澤田佐市、この人物がどういうお方なのか、よくわかりませんが、
明治時代にこの地で農業や産業の振興のために活躍され、
その業績と人徳を讃えるために石碑を建てた、ということのようです。

芸濃ガイド会のフルイチさんからの情報で、
「澤田佐市顕彰碑」は芸濃町の安西幼稚園の隣にもあるとのこと(下の画像)
その顕彰碑の碑文は次のとおりです。
澤田佐市翁頌徳碑
明治23年北神山に生まれ、長じて後満州に渡り事業に成功し多大の財をなす。氏は常に郷土の発展を念じ、各方面に寄附する。特に安西村役場の新築に際しては莫大な私財を寄贈した。次に頌徳碑の文を記す。
沢田佐市氏は明治23年12月8日安西村北神山区に生れる。生来勤勉英俊公徳心に強く、壮にして渡満よく現地の信を博して紳商となり邦家発展に挺身され、傍ら恒に思を郷土に致しその財をあげて郷土土木事業神社仏閣等の建築費に寄贈、殊に村政の将来を考察せられて他に類なき役場庁舎の新築寄附等、当村の産業交通文化各面に旦りて鴻益せらるる処計り知れず。
爰に頌徳の碑を建立して永くその徳行を伝へ、村民感謝の誠意を永世に残さんとす
昭和三十年三月 安西小学校長 稲垣武一謹書
安西村長 岡本武夫謹述

(安西幼稚園の澤田佐市顕彰碑)
安濃町野口出身の偉人と言えば
戦前の哲学者で、学習院教授であった紀平正美(ただよし)博士(1874-1949)が有名です。
「戦時中に国粋主義を唱えた」として、後の評価は高くないのですが、
7歳年上の西田幾多郎博士と並ぶ、日本を代表する哲学者だったのです。
野口区公民館(安濃町野口)
田植えが終わった安濃町野口