美里町の探検日記GP

津市美里町(旧美里村)に住んでいるコレクターです。コレクション自慢(?)のほか、津のこと、美里のことも書いていきます。

スーパーカップ大盛り キャンプ飯 豚塩味焼そば(エースコック)10/18発売

2022-01-11 21:15:20 | コンビニグルメ


エースコックのカップ焼きそば、
「スーパーカップ大盛り キャンプ飯 豚塩味焼そば」
2021年10月18日発売です。

エスビー食品監修の別添ワイルドスパイスで仕上げた、
キャンプ飯のようなワイルド感あふれるカップ焼そば。
麺は、適度な弾力と滑らかさを併せもった丸刃の麺。
スープは、ポークをベースに、ガーリックやジンジャーを利かせた調味たれ。
野性的な風味を表現した別添の特製スパイスが刺激的なアクセントとなり、
最後まで食べ続けたくなる後引く味わい。
具材は、肉そぼろ、ネギ、です。

エースコック:スーパーカップ大盛り いか天ふりかけ焼そば(2021/3/22発売)
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大河ドラマに登場した工藤祐経は、長野工藤氏の祖先

2022-01-11 09:15:02 | 津のこと

(津市美里町桂畑の長野城跡)

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場した、
伊豆の武家・工藤祐経、
歴史上は「曽我兄弟の仇討ち」の敵役として知られていますが、
実は、私の住む津市美里町と、とても関係の深い人物だったのです。

工藤氏の始祖は、
平安時代の武将・藤原為憲、
関東で反乱を起こした平将門を追討した功績により、
「木工助」という官職を賜わったことから、
藤原の「藤」に「工」を組み合わせて
工藤姓を名乗るようになりました。

その為憲の何代か後の子孫が、工藤祐経です。
ドラマでは、坪倉由幸さんが演じていますが、
伊豆を領地としながら、
京都でも官職に就いていた、という
当時としてはエリート官僚のような人物だったようです。

その後、従兄である工藤祐親(伊東祐親)との諍いから
「曽我兄弟の仇討ち」という大きな事件が起き、
祐経の遺児たちも流浪する身になりましたが、
後に幕府により、三男・祐長が伊勢国安濃郡の地頭を命じられました。
※大河ドラマでは、伊東祐親の娘八重を新垣結衣さんが演じています。

祐長の子孫は、鎌倉時代後期に伊豆から三重県の津市美里町に移り、
長野工藤氏と名乗るようになりました。
現在の津市の北半分を、300年にわたって支配し、
室町幕府の奉公衆(将軍直属の武装組織)として活躍しました。
その軍事行動は伊勢国のみでなく、京都や奈良にも出兵したことが記録されています。
室町時代末期に織田信長に攻められて滅亡してしまいましたが、
伊勢国においては北畠氏、関氏と並ぶ有力な武家であり、
美里町桂畑に築いた長野城の城跡は、国指定史跡になっています。

懐かしの写真~長野城址へ登るイベント

長野城址についてのお問い合わせは、
津市美里総合支所地域振興課
TEL 059-279-8111

京都編16/相国寺~長野工藤氏ゆかりのお寺

「曽我兄弟の仇討ち」
鎌倉時代、御家人・工藤祐隆の遺領争いから起きた
一族の間での仇討ち事件。
工藤祐隆の孫・祐親(伊東祐親)は、
祐隆の所領を分割相続するに当たって、嫡流である自分より、
祐隆の養子の子・祐経が厚遇されたことに恨みを抱き、
祐経の所領を奪うなどの狼藉を働いた。
そこで、祐経は祐親の暗殺を企てるが、
刺客の放った矢は、祐親の子・河津祐泰に命中し、
祐泰は死んでしまう。
祐泰の遺児・十郎と五郎の兄弟は、
母の実家で育てられ、母の姓の曽我を名乗り、
祐経への仇討ちの機会をうかがっていた。
富士山麓において、将軍以下大勢の武将が参加する狩りが行われた夜、
兄弟は祐経の宿舎に乱入し、祐経を討ち果たすが、
十郎は同じ宿舎にいた伊豆の武家・仁田忠常に切られて死に、
生き残った五郎が捕えられ、将軍頼朝の前に引き出される。
頼朝は当初は「武士の鑑」として、五郎を許そうとするが、
祐経の遺児・犬房丸が泣いて処罰を要望したので、五郎は処刑された。
以上が仇討ちの概要であるが、
後世に「曽我物語」などの物語となり、
脚色も加わって、悲劇の兄弟の物語として伝えられている。

「祐経の遺児・犬房丸らのその後」
祐経には、犬房丸ら3人の息子があり、
事件後には、遠方の地に流されたという。
曽我兄弟の一族の報復を恐れ、
工藤一族の所領に匿われた、と考えられる。
やがて幕府は、全国各地にあった平家の所領を納め、
また平家の残党の反乱を防ぐため、
鎌倉武士を各地に送り込む必要があって、
成長した祐経の息子たちも、それぞれの任地を与えられた。
この「犬房丸君が流された地」という伝承は全国各地にあり、
流された土地がどこであったのか、判明していない。
むしろ、鎌倉武士を各地に送り込むに当たって、
「可哀想な犬房丸君が、この地に赴任された」としたほうが
統治がしやすいと、各地でそのような噂を流したのかもしれない。

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コメント (2)
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