美里町の探検日記GP

津市美里町(旧美里村)に住んでいるコレクターです。コレクション自慢(?)のほか、津のこと、美里のことも書いていきます。

馬洗橋と白樫村(津市美里町足坂)

2025-01-06 21:15:52 | 津のこと

(馬洗橋)

津市美里町足坂、
高宮郵便局の南にあります「馬洗橋(うまあらいばし)」です。

現在は、みさとの丘学園の通学路になっていて、
毎朝、自転車や徒歩の小中学生がこの橋を渡って通学しています。

この橋(長野川)から南には、
かつて白樫村という村がありました、現在の地名も白樫(しらかせ)です。
古い地図には白樫村が記されたものもありますが、
その村は突然、無くなってしまいました。

地元に伝わる「良善上人の伝説」をご紹介します。

室町時代末期のこと、
現在の河芸町北黒田の浄光寺の住職良善上人が
毎年2月2日に白樫村で、布教のために説法を行っていました。
上人は若くて声が良かったので、
村の人々もこの日を楽しみにしていました。

天文23年(1554年)この地方を支配していた
多田野村(現在の津市稲場町)の代官押場甚之丞(おしばじんのじょう)が、
自分の悪事が上人に伝わるのを阻止するため、村人に、
上人を捕らえて殺せ、従わないなら税を増やすぞ、と命じます。
村人は、風呂に入った上人を閉じ込め、釜茹でにして上人を殺害しました。
上人は「私がこのようになったのも前世の報いなので、決して皆さんを恨んだりしません」
と言って亡くなったということです。

代官の押場甚之丞は、馬洗橋の上から事の成り行きを見ていましたが、
乗っていた馬が突然暴れて川に落下してしまい、重傷を負って数日後に死んでしまいました。
また、白樫村には疫病が流行し、
事件に関わった村人は皆、数か月のうちに亡くなってしまいました。

ただ1戸、事件に加わらなかった村人の家だけが生き残り、
亡くなった村人の無縁仏とともに、
良善上人の墓碑を建てて、毎年供養しています。
この墓碑はグリーロードの脇に現在もあります。


(美里フラワービレッジに向かう)

「馬洗橋」の名前は、代官が馬から落ちたから、ではなくて、
室町時代、家所の殿様がここまで馬を遠乗りしてきて馬を洗ったことから、
「馬洗淵」と呼ばれていたことに由来します。

目無し地蔵(北長野)

義犬塚(いぬづか)/津市美里町平木

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