(馬洗橋)
津市美里町足坂、
高宮郵便局の南にあります「馬洗橋(うまあらいばし)」です。
現在は、みさとの丘学園の通学路になっていて、
毎朝、自転車や徒歩の小中学生がこの橋を渡って通学しています。
この橋(長野川)から南には、
かつて白樫村という村がありました、現在の地名も白樫(しらかせ)です。
古い地図には白樫村が記されたものもありますが、
その村は突然、無くなってしまいました。
地元に伝わる「良善上人の伝説」をご紹介します。
室町時代末期のこと、
現在の河芸町北黒田の浄光寺の住職良善上人が
毎年2月2日に白樫村で、布教のために説法を行っていました。
上人は若くて声が良かったので、
村の人々もこの日を楽しみにしていました。
天文23年(1554年)この地方を支配していた
多田野村(現在の津市稲場町)の代官押場甚之丞(おしばじんのじょう)が、
自分の悪事が上人に伝わるのを阻止するため、村人に、
上人を捕らえて殺せ、従わないなら税を増やすぞ、と命じます。
村人は、風呂に入った上人を閉じ込め、釜茹でにして上人を殺害しました。
上人は「私がこのようになったのも前世の報いなので、決して皆さんを恨んだりしません」
と言って亡くなったということです。
代官の押場甚之丞は、馬洗橋の上から事の成り行きを見ていましたが、
乗っていた馬が突然暴れて川に落下してしまい、重傷を負って数日後に死んでしまいました。
また、白樫村には疫病が流行し、
事件に関わった村人は皆、数か月のうちに亡くなってしまいました。
ただ1戸、事件に加わらなかった村人の家だけが生き残り、
亡くなった村人の無縁仏とともに、
良善上人の墓碑を建てて、毎年供養しています。
この墓碑はグリーロードの脇に現在もあります。
(美里フラワービレッジに向かう)
「馬洗橋」の名前は、代官が馬から落ちたから、ではなくて、
室町時代、家所の殿様がここまで馬を遠乗りしてきて馬を洗ったことから、
「馬洗淵」と呼ばれていたことに由来します。
目無し地蔵(北長野)
義犬塚(いぬづか)/津市美里町平木
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