miss pandora

ONE KIND OF LOVE

愛にはいろいろ種類があるの
全部集めて地球になるの

3才の 3月のこと。。。

2007-03-05 13:53:07 | 

 毎日毎日がすんでいきました。相変わらず幼稚園には行きたくなかったけれど、お友達もなんとなく出来て好きな先生もいたのでしぶしぶ行っていました。たまに母が役所を休むときがあってそんな日は父が園へ行く前にパン屋さんでお菓子パンを買ってくれました。私は、クリームパンやあんパンが好きじゃなかったしその頃は今のようにケーキみたいなお菓子パンは売ってなかったのでいつもいつもメロンパンを買ってもらいました。今から思うと母は病院へ行っていたのでしょうか。

その時が来たのは、いつの季節か覚えていませんが白熱灯のついた暖かい夜だったと思います。父が、
「ここに来なさい。」と呼びます。しかられるような事はしてないと思いましたが、お兄ちゃんと二人両親のところへ行くと母から重大な発表がありました。
「クリスマスがすんだら二人にすごいプレゼントがあります。」お兄ちゃんと私はとりあえず大喜びして、それはピアノかそれとも新しいお人形かとか自分の欲しいものを聞きました。母はわたしたちが欲しいものをみんな聞きおわったあとで
「赤ちゃんがきます。」と言いました。私はびっくりするのと同時にわくわくしてやる気が一杯になりました。本物のお姉さんになれるのです。お兄ちゃんと手と手を取り合ってぐるぐる回りました。

そんなすばらしい発表があったのに私の園生活は続きます。そんなある日、月曜の朝会で私はおしっこをがまんして失敗してしまいました。しかられると思ったのに先生はとってもやさしくひよこ組の部屋で着替えさせてくれました。甘えるのが大好きだった私は次の日もわざとしてみました。その日も先生はやさしくしてくれました。そしてその次の日もわざとにしたのです。さあ、先生はわざとにしているとわかったらしく私は今までの分ぜんぶしかられることになったのです。そんなことをするのは赤ちゃんみたいで恥ずかしいことだとわかっていたのにきっとそれを乗り越えるほどやさしくしてもらいたかったか、寂しかったのではないかと思います。

母の出産が近づいて私は毎日赤ちゃんの大きさを聞くようになりました。家の中がさわがしくなりいとこのお姉さんがやって来て、母は、入院しました。いとこがご飯を作ってくれたり寝かしつけてくれたりしているうちに父が女の子が生まれたことを知らせました。そして私にこれからはお姉さんだからひとりでトイレへいったり遊んだあとかたずけをしなければならないことを話しました。私は本物のお姉さんになるのにやる気一杯でした。母がしばらく入院している間、幼稚園の先生をしているいとこのお姉さんは、母の三倍きびしくておやつもちょっぴりで、お兄ちゃんと一刻も早く母の帰りを待ちました。
赤ちゃんはなにもかも小さくてすごくかわいかったです。母と赤ちゃんが帰ってきても私は幼稚園へ行かされました。

四才の誕生日が近づいてきたある日、私はきゅうに勘違いをして四つになったら学校に行けると思いました。誕生日の前の日先生たちに
「四つになると学校へ行かなければならないのであしたからもう幼稚園にはきません。」と言ってまわりました。先生は六才だと言います。でも私はきっぱり宣言しました。母が迎えにきてそのことを確かめると四才ではなく六才だというではありませんか。私は、それを聞いてショックをうけました。次の日もうこないと言ったのに幼稚園へ行くと案の定先生にひやかされました。私は、そんな先生達が大嫌いでした。そのうちにお兄ちゃんが小学校へ上がるのといっしょにわたしもここをやめることになりました。お兄ちゃんは、卒園式の合奏で木琴をたたくことになり毎日一番こわい先生のもとで特訓されていました。まちがうと木琴のバチでコツンとされるそうです。わたしはそんなこととても耐えられないのでいっしょに卒園して良かったと思います。堪え性のない性格なのであと二年もいたらひねくれ者になっていたでしょう。

春になり、卒園式の合奏もとても上手にできてお兄ちゃんはこわい先生に誉められて鼻高々でした。






文*エッセイ「ママといっしょにいたかった」より
版画*木版画「むかし。。。むかし。。。」









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