6月最後の日、よい一日を😊
……………………
北国の初夏からの…
そこには、四半世紀ぶりに辿り着いた。
その前にも何度も行き来していたが、区画整理されている広大な札幌の平地は、山と海が起点の小樽育ちの私たちには難しく、何度も秘境みたいに迷子になる家だったはずだ。文明が急速に進んで、グーグルアースやカーナビで確かめて、冒険は、冒険じゃなくなったけれど、僕らも大人になって忙しくて・・・あまりにもすんなりと辿り着いてしまって、少し時間を潰さなければならない程だった。
区画隣には葬儀場があり、ホームセンターもスーパーマーケットも公園も病院もあった。時間潰しに小雨の野外園芸コーナーを見た。イチゴの苗は、時期を外していて立派な実を5粒つけたのが800円で売っている。安いポットの花は、苦手な系統ばかりだった。美しいラウンド型の薔薇の苗は、植えても毎日の世話が必要だから、北国滞在日数の少ない僕らには買う権利がなかった。
約束の時間になった。ピンポンを鳴らすと、明るい声が聞こえた。ほっとした。僕らは、高さ1メートルくらいある花のアレンジメントを後部座席から出して、仏間に運んだ。おばさんは骨になっていた。淡いクリーム色の着物を着て、あのサイズの額縁から微笑む。唇を噛むような瞬間だったけれど、仏間という特別の一部屋に僕は久しぶりにありついて、落ち着いて・・・お線香のあげ方を聞き、お参りしたんだ。
コロナ禍から、ねえさんは2年間おばさんにもおじさんにも直接会うことは出来なかった。実際に「人」が住んでいるのは狭い世界で、東京から来るとなると世間体が難しく、ねえさんがポツリぼやいていることがあった。
おばさんから、胸が苦しいと夜中に電話がきたそうだ。津軽海峡を挟んで向こうの向こうから救急車を呼ぶ。。。現場に居られず遠隔でがんばったねえさんと弟は、無念を告げられた。
おじさんは、その時の全てがわからなかった。電話では「いたって普通」のスイッチが入っていたので、ねえさんも弟も解らない事を知りえなかった。
おじさんは、3年ぶりに帰った息子が・・・わからなかった。
家の庭は、美しく晩春北国の花や木が茂っている。裏庭にはおじさんの家庭菜園があって、おじさんは小さなほうれん草を摘んでくる。お水に浸して、夕飯に食べましょう・・・おじさんは、摘みたてのほうれん草が気になってね。ねえさんには、母親のことを悲しむ時間は無い。
一つの別れは、二つ目の別れをすすめなければいけなかった。僕らは、札幌にずっと居られないからね。ねえさんが学生時代から結婚するまで住んでいた家は、とても設計が良くて広く使い勝手が良い。玄関隣のテラスルームは出窓になっていて夜明けから日暮れまで自然光が入るんだ。僕は、藤のロッキングチェアがよく似合うその一角で鉢植えの150㎝程の椰子を見た。居間から遠目で見ると、根本に花が咲いている。ねえさんがキッチンでお茶の支度をしている間、僕はその植木鉢の根元を確認しにソファから立った。その花はね、百合の造花だったの。おじさんが刺したかおばさんが挿したかわからないけれど、とても愉快で可愛らしい感じがしたんだ。そういえば、北海道の植木鉢は冬のシクラメン以降、花を咲かせる植物が無い。長い冬の間の鉢植えに、ちょろりと造花を添えてみることもあったなぁ・・・。
お茶が運ばれた。雪志乃の小樽焼きの茶碗に、程よい温度のお煎茶だった。菓子鉢には、おかきや落雁が盛られていた。そしてピンクラベルのvenchiのヘーゼルナッツチョコがあった。お葬式から東京へとんぼ返りした兄が、ねえさんが辛くならないようにとお気に入りの綺麗なチョコレートを送ってくれたらしい。
その日おじさんは、デイケアに行っていた。急に懐かしい人に会うと混乱するかもしれないので、僕らは会うのを控えた。
雪志乃の茶碗は、僕らの結婚式の引き出物だった。
6月だったね。
そして、ねえさんもジューンブライドだったね。。。
幸せにしていよう
雨上がりの車道に、散ったニセアカシアの花が雪解けのように溜まっていた。
指の間からこぼれる花びらのように、次の日にはポロポロとそれぞれの居へ行く。
津軽海峡を越えて地上に降りる。
真夏をかき分けて、私は母宅のドアをあけた。
……………………
北国の初夏からの…
そこには、四半世紀ぶりに辿り着いた。
その前にも何度も行き来していたが、区画整理されている広大な札幌の平地は、山と海が起点の小樽育ちの私たちには難しく、何度も秘境みたいに迷子になる家だったはずだ。文明が急速に進んで、グーグルアースやカーナビで確かめて、冒険は、冒険じゃなくなったけれど、僕らも大人になって忙しくて・・・あまりにもすんなりと辿り着いてしまって、少し時間を潰さなければならない程だった。
区画隣には葬儀場があり、ホームセンターもスーパーマーケットも公園も病院もあった。時間潰しに小雨の野外園芸コーナーを見た。イチゴの苗は、時期を外していて立派な実を5粒つけたのが800円で売っている。安いポットの花は、苦手な系統ばかりだった。美しいラウンド型の薔薇の苗は、植えても毎日の世話が必要だから、北国滞在日数の少ない僕らには買う権利がなかった。
約束の時間になった。ピンポンを鳴らすと、明るい声が聞こえた。ほっとした。僕らは、高さ1メートルくらいある花のアレンジメントを後部座席から出して、仏間に運んだ。おばさんは骨になっていた。淡いクリーム色の着物を着て、あのサイズの額縁から微笑む。唇を噛むような瞬間だったけれど、仏間という特別の一部屋に僕は久しぶりにありついて、落ち着いて・・・お線香のあげ方を聞き、お参りしたんだ。
コロナ禍から、ねえさんは2年間おばさんにもおじさんにも直接会うことは出来なかった。実際に「人」が住んでいるのは狭い世界で、東京から来るとなると世間体が難しく、ねえさんがポツリぼやいていることがあった。
おばさんから、胸が苦しいと夜中に電話がきたそうだ。津軽海峡を挟んで向こうの向こうから救急車を呼ぶ。。。現場に居られず遠隔でがんばったねえさんと弟は、無念を告げられた。
おじさんは、その時の全てがわからなかった。電話では「いたって普通」のスイッチが入っていたので、ねえさんも弟も解らない事を知りえなかった。
おじさんは、3年ぶりに帰った息子が・・・わからなかった。
家の庭は、美しく晩春北国の花や木が茂っている。裏庭にはおじさんの家庭菜園があって、おじさんは小さなほうれん草を摘んでくる。お水に浸して、夕飯に食べましょう・・・おじさんは、摘みたてのほうれん草が気になってね。ねえさんには、母親のことを悲しむ時間は無い。
一つの別れは、二つ目の別れをすすめなければいけなかった。僕らは、札幌にずっと居られないからね。ねえさんが学生時代から結婚するまで住んでいた家は、とても設計が良くて広く使い勝手が良い。玄関隣のテラスルームは出窓になっていて夜明けから日暮れまで自然光が入るんだ。僕は、藤のロッキングチェアがよく似合うその一角で鉢植えの150㎝程の椰子を見た。居間から遠目で見ると、根本に花が咲いている。ねえさんがキッチンでお茶の支度をしている間、僕はその植木鉢の根元を確認しにソファから立った。その花はね、百合の造花だったの。おじさんが刺したかおばさんが挿したかわからないけれど、とても愉快で可愛らしい感じがしたんだ。そういえば、北海道の植木鉢は冬のシクラメン以降、花を咲かせる植物が無い。長い冬の間の鉢植えに、ちょろりと造花を添えてみることもあったなぁ・・・。
お茶が運ばれた。雪志乃の小樽焼きの茶碗に、程よい温度のお煎茶だった。菓子鉢には、おかきや落雁が盛られていた。そしてピンクラベルのvenchiのヘーゼルナッツチョコがあった。お葬式から東京へとんぼ返りした兄が、ねえさんが辛くならないようにとお気に入りの綺麗なチョコレートを送ってくれたらしい。
その日おじさんは、デイケアに行っていた。急に懐かしい人に会うと混乱するかもしれないので、僕らは会うのを控えた。
雪志乃の茶碗は、僕らの結婚式の引き出物だった。
6月だったね。
そして、ねえさんもジューンブライドだったね。。。
幸せにしていよう
雨上がりの車道に、散ったニセアカシアの花が雪解けのように溜まっていた。
指の間からこぼれる花びらのように、次の日にはポロポロとそれぞれの居へ行く。
津軽海峡を越えて地上に降りる。
真夏をかき分けて、私は母宅のドアをあけた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます