色んな予定上、本当は土曜日移動のはずだった。
「居」から「居」へ行くには、それなりの荷物があって、重いしかさばって雨傘なんて持つわけないじゃん。
濡れてもいい服と髪型とサンダルと、モゾモゾチャプチャプ雨の中歩いて20分歩いて、駅付近のカレー屋さんで腹ごしらえ。
そこには、テレビがあるのよ、日本語の! (オーダーとそのTV以外は、多分・・・ネワーリーな小鳥がすべるような言語)
それで、私は辛目のエビカレーとナンとビールを頼んだわけ。カレーはいつもより辛かった。そしたらば、目的地付近の高速道路で崖崩れが起こったと👀!
ビールをお代わりするのやめて、、、二杯目はジンジャーエールにした。
😨、、、今度は、恐ろしい土石流の熱海。
熱海には従姉のミニアチュール・チューダー調の別荘があっ「た」。不幸のど真ん中のママをそこで伯母と居てもらっていた時期もあっ「た」。その後も日吉に住んでいた伯母は、とうに80才を越えていたのに妹(ママ)のために始発に乗って、逗子の午前8時にママ宅玄関の窓をたたいた♪
そして、伯母は別荘の町で北海道出身のスタッフの居るホームへ移った。熱海の猫祭りの頃、私たちは何県も電車でまたいで伯母に会いに行って・・・ママを残して、私と娘は従姉の別荘へ遊びに行った。迎えにきた従姉の車は、耳がキーンとするほど山のぐるぐる道を走って、やっと別荘に着いたのよ。途中で日本一美味しいってたい焼きを1ダース買ってもらったり、何でも買ってあげたいっていう従姉に、少しサービスでキャンディーの缶やお寿司を買ってもらった。庭は、渾身の従姉のイングリッシュガーデンで、ミモザの株が揺れてイチジクの木があって・・・中は、従姉が大好きだった亡き義従兄の世界中の街のスケッチが飾られて、椅子やソファが重そうなチェストやタイル製のハート型の浴槽やチークの便座や、少し蜜蝋と桃の種が混じった花の匂いがしていた。。。窓から、恐ろしいほど大きな富士山が見えたよ。
伯母が亡くなって、従姉は熱海の別荘売ってを別荘を伊豆にした。それ以来従姉の別荘には行ってない・・・
ぁぁ・・・1ヶ月分の雨季が二日で集中したという・・・電車も・・・止まった
と、いう土曜日明けに・・・乗れる電車を乗り継いで、「ママ居」へ行きつけた。
京急は、時速45キロで走った。片側崖道は、少し怖かった。