みちのくの風の旅人

米沢・山形・東北の自然や文化を季節の便りとして届けています。

梅雨の様な空模様が連日続く ; 異常気象?

2017-08-17 15:22:32 | 日記・エッセイ・コラム

 台風5号が去ってから、愚図付き気味の天候がずっと続いている。  盆の16日も終わり、孫たちの保育園が始まった。今日は珍しく時々青空も出たが、天空の7・8割は雲で覆われている。このところ連日雨降りの日が多く、きのうは最高気温が25度にもならず、強い雨も降り9月下旬の様な天候だった。

 東京は、8月に入ってから毎日雨が降っているとのことだった。40年振りだと言う。都内のプールや、海水浴場はお客さんが激減し大変な様子である。

 米沢はそれほどひどくはないが、ともかく真夏と言うのに暑い日差しがほとんど降り注がない。最近めったに最高気温が30度を越えることもない。

 気象庁のホームページを開き、データを集めてみた。

 気象庁

 「気象庁各種データ資料」の選択画面

 URL → http://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html

 

 

 

     米沢の昨年8月のデータのURL ↓

http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/daily_a1.php?prec_no=35&block_no=0279&year=2016&month=08&day=14&view=p1

  昨年8月のデータ。 ↓ ↓ ↓   連日30度越の真夏日が続き、晴れの日が多く日照時間も長かった。 

 

  今年8月前半の米沢の天候データ。 ↓ ↓ ↓ 

 


 

 なお、参考までに以下の選択画面からは、過去の気象データのダウンロードも出来ます。エクセル形式の表です。

  ホーム > 各種データ・資料 > 過去の気象データ・ダウンロード

    http://www.data.jma.go.jp/gmd/risk/obsdl/index.php#

 

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6月のなみだ雨

2017-06-30 22:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

 3年ほど前からは、毎日朝5時頃には起きている。 今朝もいつもの様に新聞の訃報欄を見ていると、仕事上の知り合いの名があった。4年前、生徒を連れて会社の始業前に訪問した時は、既に出勤していた。毎朝7時半頃には出社しているとのことだった。当時は、ばりばりと仕事をしている姿しか想像できない。60歳、若過ぎる死である。合掌

 1週間前には、近所の同い年の人の訃報が舞い込んで来た。亡くなる1週間前には、一緒に朝の交通安全の立哨をしたばかりだった。2日前にも電話で話していたので、耳を疑ってしまう様なことだった。合掌

 さらに、白つつじがちょうど見頃を迎えていた5月半ば、30年以上前、同じ職場で机を並べて仕事をした後輩の告別式に出席した。5月13日の夜、突然の悲報を聞き言葉を失った。昨年還暦を迎えたばかりだった。  合掌

 ところで、最近、自分とほぼ同年代や少し若い人の訃報を時々聞くようになった。1日1日平穏無事に過ごし、60年以上元気で過ごせるのは、奇跡に近い事かもしれないとつくづく考えてしまう。

  今を大切に生きよう  1日を大切に生きよう 一生を大切に生きよう

  昨年の6月、窪田の千眼寺(せんげんじ)を訪問した。その時頂いた大きなマッチ箱に上の様な言葉が書いてあった。

 


 下の写真は、昨年の6月20日頃に撮影した、上杉家御廟所のアジサイ。今年は6月が低温気味だったせいで、30日現在まだ小さな花しか咲いていない。

 

   ↓  5月半ば長井で撮影。

  ↓    昨年、長井のあやめ公園で撮影。

 

 

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名残りの雪 2017 米坂線と小学校の校庭

2017-04-17 13:22:39 | 日記・エッセイ・コラム

  今月4日の夕方、穏やかな日だったので、近くをくるりと散歩した。米坂線の線路の回りの畑や田んぼにはまだ雪が残っていた。

  矢来踏切から撮影  ↓

 

 入学式が間近に迫っていたが、まだ西部小学校の校庭には所どころ雪が残っていた。

 7日の午後学校の近くでは、真新しいランドセルを背負った小学生の親子連れを見かけた。この日になっても、校庭の端には雪が残っていた。

  ↓ 杉の林は上杉家御廟所の森  次の写真:校庭の向こうの山並は斜平山(なでらやま

 

  いずれの写真も4日の午後4時過ぎに撮影したものです。

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2017年 年のはじめ  in 米沢

2017-01-05 21:21:11 | 日記・エッセイ・コラム

 新しい年になってから、もう5日が過ぎようとしている。三が日は雨やみぞれのあいにくの天候だった。昨年末からの暖冬がまだ続いている。きのうも3月上旬の様な気温でみぞれ交じりの雨が降った。

 今朝になって少し乾いた雪が3・4cm積もった。

 

  

  上杉家の御廟所が、大みそかの夕方から三が日期間中、昼夜を問わず無料開放となった。

 玄関の松飾(1枚目)

 上限の月と宵の明星(2枚目の写真上部) 

 ※ 2枚目以降の写真は全て、上杉家の御廟所で撮影したものである。

 

 

 

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戦後71年 ~ 戦争や平和について聞くインタビュー ~

2016-08-18 05:55:57 | 日記・エッセイ・コラム

 2年程前からNHKラジオ深夜便を聴くようになった。今はリオデジャネイロオリンピック期間中なので、早朝に目を覚ますことが度々ある。しかし、普段はよく聞き逃すことがあるので、昨年末に録音予約機能の付いたラジオを購入して聴くようになった。

 8月は先の大戦の話題が多くなる。4日の明日へのことば「戦争の犠牲者に敵も味方もない」という、森重昭さんのインタビューには特に感銘を受けた。 


  ラジオ深夜便番組HP


「戦争や平和について聞くインタビュー」4日(木) 森重昭さん(広島原爆民間歴史研究家)
5日(金) 広島大学名誉教授 葉佐井博巳さん
6日(土) 山崎恭弘さん(広島での被爆体験を伝える語り部)
7日(日) 岡村幸宣さん(原爆の図丸木美術館学芸員)

 

  ↓ ラジオ深夜便ブログ記事より    URL: http://www.nhk.or.jp/r1-blog/shinyabin/249881.html

 戦争や平和について聞くインタビュー

  投稿日時:2016年7月28日木曜日 午前10時53分  
  投稿者:深夜便スタッフ

▼8月4日(木)午前4時台 明日へのことば「戦争犠牲者に敵も味方もない
出演:森重昭さん(広島原爆民間歴史研究家)

 広島で被爆死したアメリカ兵捕虜12人の最期を調査し、原爆被爆者名簿への登録を実現させた森重昭さん。
ことし5月27日、オバマ大統領の広島訪問の式典で抱擁を交わしたときの思い、自らの被爆体験、続けてきた米兵調査などについてお話しいただきます。

 


▼8月5(金)午前4時台 明日へのことば「被爆体験 どう語り継ぐ」
出演:広島大学名誉教授 葉佐井博巳さん

shinyabin_1600805-header.jpg

 

原爆投下の翌日に広島に入り被爆した「入市被爆者」の葉佐井博巳さんは、「科学者は常に中立であるべき」との信条から、勤めていた大学を退くまでは自らの被爆体験を語らなかったといいます。大学を退任後、語り始めた葉佐井さんに、語り継ぐ人材の育成やご自身の体験などをお話しいただきます。

 

 


▼8月6(土)午前1時台 人ありて、街は生き「爆心地にたおれた弟よ、姉よ、友よ」
出演:山崎恭弘さん(広島での被爆体験を伝える語り部)

shinyabin_1600806-header.jpg

 

姉と弟2人を広島の原爆で亡くした山崎恭弘さん。入市被爆した体験を、戦後、結婚し移り住んだ兵庫県川西市の小学生に語っています。
また、爆心地近くにあり、多くが消息不明になった母校・本川小学校の同級生名簿を復元する活動も進めています。
これらの活動を思い立ったきっかけを伺うとともに、5月のオバマ大統領広島訪問をどう見たのかについてもお話しいただきます。

 

 


▼8月7(日)午前4時台 明日へのことば「小さな美術館発 平和への願い」
出演:岡村幸宣さん(原爆の図丸木美術館学芸員)

shinyabin_1600807-header.jpg

 

岡村幸宣さんは画家の丸木位里・俊夫妻が描き続けた「原爆の図」を展示している美術館の学芸員です。去年アメリカで行った巡回展の反響や、来館者の変化、小さな美術館だからこそ発信出来ると考える、平和へのメッセージなどをお話しいただきました。

 

  

 

 

 

 


 

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戦後71年 ~ NHKスペシャル 昭和天皇 模索の歳月 ~ 

2016-08-17 06:30:35 | 日記・エッセイ・コラム

 昨年は戦後70年の節目の年だった。あれから1年、今年も戦争に関わる過去のドキュメンタリーなどが放送され、印象深い物も沢山あった。

 「NHKスペシャル 昭和天皇 模索の歳月」が放送された8月8日は、午後3時から陛下自らが国民に向けて、天皇の生前退位の意向を示すビデオメッセージ(約11分)が放送された日でもあった。

 


 

  ※ 番組ホームヘージの記事をそのまま掲載しています。

    URL; http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160808

  象徴天皇 模索の歳月

初回放送  総合 2016年8月8日(月)
午後8時00分~8時55分 総合

関連ジャンル  社会

 

 

 

 

 

 

きょう、ビデオメッセージの形で、国民に向けてご自身のお気持ちを表された天皇陛下。おことばは、天皇の位を皇太子さまに譲る“生前退位”の意向がにじむものだった。日本国憲法で「日本国民統合の象徴」と定められ、歴史上初めて“象徴天皇”として即位された天皇陛下が、なぜ“象徴天皇”の位を退く意向を示されたのか。NHKの独自取材から、天皇陛下の考えられる「象徴のあるべき姿」をめぐって、皇居のなかで緊迫したやりとりが行われていたことが明らかになってきた。天皇陛下のおことばの背景には何があるのか。そして、私たちはおことばをどう受け止めればよいのか。天皇陛下の“模索の歳月”を振り返りながら、考えていく。

 


 

天皇陛下、「深い反省」再度表明=終戦記念日

時事通信 8月15日(月)12時21分配信

 天皇陛下は15日の全国戦没者追悼式で、昨年に続き「深い反省」との表現をお言葉に盛り込まれた。

  追悼式のお言葉は陛下が自ら執筆しており、例年ほぼ同じ表現が続いていた。しかし、戦後70年の昨年は、「さきの大戦に対する深い反省」を中心に新たな文言が盛り込まれた。

 今年は全体的に一昨年までの文章に戻す一方で、「過去を顧み、深い反省とともに」と述べ、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願うと続けた。

 陛下は1992年に中国を訪れた際や、94年に韓国の大統領を迎えた際の晩さん会のお言葉で、「深い反省」の文言を使ったことがある。

 天皇、皇后両陛下は昨年のパラオでの慰霊に続き、今年1月にフィリピンを訪れ、日比双方の戦没者を慰霊している。 


 

    記事掲載のページ →  URL; http://www.jiji.com/jc/v4?id=201608okimochi0001

 天皇陛下「お気持ち」表明   

 天皇陛下は8日、「象徴としてのお務め」について、自身のお気持ちをビデオメッセージの形で国民に向けて発表された。生前退位の意向を示している陛下は、82歳と高齢になったことを踏まえ、今後の身の処し方に触れ、「次第に進む身体の衰えを考慮する時、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」と述べた。

 「象徴としてのお務めについて」の天皇陛下のお言葉全文は以下の通り。

 戦後七十年という大きな節目を過ぎ、二年後には、平成三十年を迎えます。

 私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。

 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

 そのような中、何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

 私が天皇の位についてから、ほぼ二十八年、この間(かん)私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ヶ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、一年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

 始めにも述べましたように、憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。

 国民の理解を得られることを、切に願っています。


 

  ※ 最近印象に残った番組の録画リスト。

 

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戦後71年 ~ 終戦スペシャルドラマ「百合子さんの絵本・・・・」 ~ 

2016-08-16 16:46:43 | 日記・エッセイ・コラム

 昨年は戦後70年の節目の年だった。あれから1年、今年も戦争に関わる過去のドキュメンタリードラマなどが放送された。

 その中で、終戦スペシャルドラマ「百合子さんの絵本 ~陸軍武官小野寺夫婦の戦争~」は大変印象的だった。

 


※ 番組ホームヘージの記事をそのまま掲載しています。

  URL; http://www4.nhk.or.jp/yurikosan/ 

     『ムーミン』など児童文学の翻訳者として知られる小野寺百合子。
     絵本をこよなく愛し、平和を求め続けた彼女の原点には、知られ
     ざる過酷な戦争体験があった。
     北欧スウェーデンを舞台に繰り広げられる、命がけの情報争奪戦。
     駐在武官の夫・信とともに諜報の最前線を生きた女性の姿を通し、
     
夫婦の愛と絆を描く、スペシャルドラマ。 

 二次大戦中のヨーロッパで、日本の運命を変えるべく懸命に生きた夫婦の感動実話。陸軍武官の小野寺信(香川照之)と妻・百合子(薬師丸ひろ子)の知られざる諜報戦争。

 第二次大戦中のヨーロッパで、諜報の最前線を生きた夫婦がいた。小野寺百合子(薬師丸ひろ子)の夫は「諜報の神様」と言われた陸軍武官・小野寺信(香川照之)。百合子は、信が入手した極秘情報を暗号化し、日本へ送り続ける。だが、参謀本部らの返信は来ない。子供の命が狙われる不安と緊張の日々。夫婦の情報はついにいかされず、原爆が投下され、敗戦を迎える。戦争を止めようと懸命に生きた、知られざる夫婦の感動実話。

番組紹介

昭和16 年―
小野寺百合子(薬師丸ひろ子) は、陸軍武官としてストックホルムに駐在していた夫・信(香川照之) がいるスウェーデンに旅立った。到着したその日から、百合子は夫が入手した極秘情報を暗号化し日本の参謀本部に送る毎日を過ごす事となる。夫婦共同で諜報作業にあたり、機密を守るためだった。
外出の時には必ず見張りがつき、子供の命が危険にさらされる緊張の日々が続いた。百合子は母としての悲痛な気持ちを押し殺し電文を送った。そんなある日、信はヤルタ会談で交わされた連合国の密約の存在を知る。それは「ソ連ガ対日参戦ヲ決メタ」というもの。日本の敗戦を決定づける極秘情報だった。
百合子は、この情報を本国が受け取ればきっと和平に動くと信じ打電し続けた。しかし、小野寺夫婦の情報はついに活かされる事なく、原爆が投下され、日本は敗戦を迎える…。

戦後、百合子は『ムーミンパパの思い出』など児童文学の翻訳に携わる。一方、信は戦時中の事には堅く口を閉ざし、無念の思いで日々を過ごしていた。夫にかつての誇りを取り戻して欲しいと願う百合子は、自分たちはもう1度、過去と向き合うべきだと語る。信は、消えた電文の行方を探る決意をする。
戦争の最前線を生きた稀有な女性の姿を通して描く、夫婦の愛の物語。

【 作 】池端俊策
【原  案】岡部 伸「消えたヤルタ密約緊急電」
【音  楽】千住 明
【出  演】薬師丸ひろ子  香川照之
              イヴォ・ウッキヴィ  千葉哲也  利重剛  戸田昌宏  加藤剛
              小林勝也  山本龍二  菅田俊  三田村周三  小倉一郎  金田明夫  佐野史郎  吉田鋼太郎  ほか
  


登場人物

小野寺百合子(薬師丸ひろ子)
Onodera Yuriko

小野寺百合子(薬師丸ひろ子)

 

明治39年(1906)陸軍大将の祖父がいる軍人の家に生まれる。ストックホルムでは、夫の諜報活動を手伝い、暗号電文の作成および解読の作業を受け持った。「銃後」ではなく「最前線」で戦争に参加した女性である。絵本が好きで、子供たちに読み聞かせてやるのが無上の喜びの一つ。戦後は、ムーミンシリーズなどの翻訳家として活躍した。

 

 

 

 

 

 

小野寺 信(香川照之)
Onodera Makoto

小野寺 信(香川照之)

 

明治30年(1897)生まれ。陸軍の参謀本部ロシア課に所属した情報士官。ロシア語とドイツ語に堪能。誠実な人柄から各国のスパイに信頼され、貴重な情報を得る事が出来たという。「諜報の神様」といわれヨーロッパにおける日本のインテリジェンスオフィサーの中心として活躍。その動向は、イギリスの情報局やアメリカのOSS(CIAの前身)も注視した。

 

 

 

 

 

 

 

ペーター・イワノフ(イヴォ・ウッキヴィ)
Peter Ivanov

元々はポーランド軍NO.1の情報将校。祖国がドイツに占領された後、スウェーデンに逃げこんだのを小野寺がかくまい武官室の事務員として雇っていた。小野寺の人間性に惚れ心から信頼していた。「ヤルタ密約」をはじめ、数々の貴重な情報をもたらす事になる。

 

佐佐木信綱(加藤 剛)
Sasaki Nobutsuna

歌人、国文学者。短歌結社「竹柏会」を主宰し、多くの歌人を育成した。百合子にとっては、若いころからの歌の師。歌を通じて百合子の人生に影響を与える。

 

原島 浩(吉田鋼太郎)
Harashima Hiroshi

駐ドイツ大使。ドイツ語に堪能で日独伊三国同盟を推進した中心人物。ヒトラー信奉者で、実際にヒトラーからの信任も非常に厚い。小野寺夫婦に対して、ドイツに有利な情報を流すように圧力をかける。

 

戦時中のスウェーデンは…

西の隣国ノルウェーはドイツに占領され、東のフィンランドはソ連の侵攻を受けていたが、スウェーデンは中立を保っていた。そのため、欧州の中では情報戦に最も力を入れており、首都ストックホルムには、欧州の最前線情報が集まっていた。

スウェーデン地図
 

 

制作者コメント

百合子さんの絵本メモ    作 : 池端俊策

絵本、童話が好きでムーミンの翻訳まで手がけた小野寺百合子さんは、第二次世界大戦の最中、スウェーデンの駐在武官であった陸軍軍人の夫の下でスパイ活動に協力していた。その事実だけで十分ドラマの主人公たり得ますが、本当に興味深いのは、百合子さんが太平洋戦争になだれ込んだ日本という国の危うさ、無責任な為政者達の実態を、外地から言わば俯瞰で見ていたということ、その不幸な国家の有様とどういう心情で向き合い、軍人の夫とどう折り合って生きたのか、その内面の葛藤が今も我々の胸を打つということです。童話という夢の世界と、戦争という現実世界を同時に抱えて生きた百合子さんの人生は、現代にも様々な暗示を与えてくれると思いました。

届かなかった言葉    制作統括 : 訓覇 圭

小野寺夫婦の物語を知った時、二つのことが強く心に響きました。一つは、夫婦が命がけで集めた情報が誰にも届かなかったこと。送れども送れども、本国からの返信は来ない。その一方通行の「届かない」絶望が切なく、やるせなく。もう一つは、晩年、そんな自らの過去を子供たちに語る決意をしたこと。墓場まで持っていくはずの過去を、何故語ったのか?絶望を経てなお、何を未来に届けようとしたのか?そのことを知りたいと強く思いました。戦争という題材は重い荷物です。共に背負って頂いた薬師丸さん、香川さんに感謝の気持ちでいっぱいです。大好きなお二人の芝居を通して、見て頂いた方に小野寺夫婦の何かが「届けば」これ以上の幸せはありません。

 

鈍色の空が晴れる日    演出 : 柳川 強

昨年9月、ストックホルムでの撮影初日、北欧特有の濃霧が発生し、近くにいる人間も判別出来ない状態で「撮影は出来るのか?」とヤキモキ待った事を昨日のように思い出します。待つこと1時間、空は嘘のように快晴となり撮影は無事スタートしたのですが、私はハタと考えました。このドラマの主人公―小野寺信・百合子夫妻の人生の霧は晴れたのか?快晴の空はあったのだろうか、と。日本の戦争の帰趨を決する情報を送ったにも関わらず、本国がその情報を活かした形跡はなく、何十万もの無駄な命が奪われた。夫妻にとっての戦後は、きっと無念の日々の連続に違いなく、その眼に映る空は常に鈍色(にびいろ)だったのではあるまいか、と。“いつか、鈍色の空が晴れる日が来て欲しい” 夫妻の思いと今を生きる私達の願いを重ね合わせました…。とくとご覧ください。

 


 

   ※ 最近印象に残った番組の録画リスト。

 

 

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戦後71年 ~ 原爆の悲劇いまだ癒えず ~

2016-08-14 17:39:36 | 日記・エッセイ・コラム

 71年前、8月6日の朝は広島へ、9日の昼は長崎に原爆が投下された。その悲劇いまだ癒えていない。

  非人道的な大量破壊兵器による、一般市民を巻き込んだ悲惨な

被害の実態。戦後も続いた被爆者への差別。

 大戦後も大量に作られた原爆が、世界中に拡散して、地上から

廃絶される日がいつ来るのか、まるで見通しが立っていない。

  NHKスペシャル「決断なき原爆投下 ~米大統領 

71年目の真実~」は、とても印象的だった。

   ↓  ※ 一部記事を抜粋しました。

「原爆投下は戦争を早く終わらせ、数百万の米兵の命を救うため、2発が必要だとしてトルーマンが決断した」。
アメリカでは原爆投下は、大統領が明確な意思のもとに決断した“意義ある作戦だった”という捉え方が今も一般的だ。その定説が今、歴史家たちによって見直されようとしている。

[ 参考まで番組のホームヘージ全文を後ろに掲載しています。 ]

 

 http://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/0/5/500x400/img_0516008ad23d1c15cb35d49add764c97279985.jpg

 

http://cdn.mainichi.jp/vol1/2016/08/06/20160806hpj00m040008000q/9.jpg?1

 

     http://www.sankei.com/photo/images/news/160809/sty1608090018-p1.jpg

  上記の3枚の写真は、WEB上で「広島市 平和式典」「長崎市 平和式典」と検索して出来た写真を借用しています。 

 


 

   NHKスペシャル  URL:http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160806

         決断なき原爆投下           ~米大統領 71年目の真実~

初回放送

総合 2016年8月6日(土)   午後9時00分~9時54分 総合

関連ジャンル

  • 歴史・紀行  国際

「原爆投下は戦争を早く終わらせ、数百万の米兵の命を救うため、2発が必要だとしてトルーマンが決断した」。
アメリカでは原爆投下は、大統領が明確な意思のもとに決断した“意義ある作戦だった”という捉え方が今も一般的だ。その定説が今、歴史家たちによって見直されようとしている。
アメリカではこれまで軍の責任を問うような研究は、退役軍人らの反発を受けるため、歴史家たちが避けてきたが、多くが世を去る中、検証が不十分だった軍内部の資料や、政権との親書が解析され、意思決定をめぐる新事実が次々と明らかになっている。
最新の研究からは、原爆投下を巡る決断は、終始、軍の主導で進められ、トルーマン大統領は、それに追随していく他なかったこと、そして、広島・長崎の「市街地」への投下には気付いていなかった可能性が浮かび上がっている。それにも関わらず大統領は、戦後しばらくたってから、原爆投下を「必要だと考え自らが指示した」とアナウンスしていたのだ。
今回、NHKでは投下作戦に加わった10人を超える元軍人の証言、原爆開発の指揮官・陸軍グローブズ将軍らの肉声を録音したテープを相次いで発見した。そして、証言を裏付けるため、軍の内部資料や、各地に散逸していた政権中枢の極秘文書を読み解いた。
「トルーマン大統領は、実は何も決断していなかった…」
アメリカを代表する歴史家の多くがいま口を揃えて声にし始めた新事実。71年目の夏、その検証と共に独自取材によって21万人の命を奪い去った原爆投下の知られざる真実に迫る。

 


     最近録画したビデオリストの抜粋  ↓

 

     ← 参考までに7月末から8月初めの録画リストを掲載しました。

                     画像をクリックすると大きな画像に替わります。

 

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納涼会2016:上杉記念館(旧上杉伯爵邸)にて

2016-07-28 20:20:59 | 日記・エッセイ・コラム

 昨晩、上杉記念館で開催された納涼会に参加した。天候が不安定のために、中庭ではなく部屋の中で開催された。 

← ホームページ天空の流れ雲更新しました。松が岬公園のはすの花をUPしています。

   ↑ 市内の主要な観光スポットにこの様な案内標識が設置されている。昨年度から今年の春にかけて、

     看板の内容が一新された。以前の標識には、英語の説明文が書いていなかった。

 上の三枚の写真と、下の門の写真は今朝撮影したものです。

 

 

 

  有機ELの行灯と宴会場の天井の柔らかな照明

 

  上杉記念館での会食は4・5年振りかも知れない。

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思いがけない高い買い物 ~ 三和シャッター小物部品調達 ~

2016-07-27 06:45:00 | 日記・エッセイ・コラム

 インターネットショッピングは大変便利である。楽天やアマゾンなど、3・4年まえから時々利用する様になった。

 今回も、車庫のシャッターの上げ下げにの時に指を入れる引き手(プラスチック部品)が、1年以上前から壊れていたので、ネットで調べて安易に2個注文してしまった。

 ところで、翌日地元の三和シャッターの営業所に問い合わせたところ、1個400円(消費税抜き)とのことだった。いずれ、他のシャッターもいつ壊れても不思議でないので、購入することにした。しかし、ネットでの注文は確定していたので、残念ながらキャンセルは出来なかった。

 ネットは便利なのでつい注文してしまったが、値段も比べてみるとメーカーの2倍、さらに送料もプラスされたので、およそ1個当たり3倍近いの値段の買い物となってしまった。

 今後同じミスをしないように注意すべく、ブログに記録を留めておきたい。

 

 

 

 


 

 ※ 以下の記事は、上のブログタイトルの記事とは無関係ですが、ついでに書きました。

 最近はLEDの省エネ型電球が普及している。しかし、15年ぐらい前は蛍光管を白熱電球と同じような大きさにしたのが主流だった。かつて使用していた物が寿命になったので、新しい物に交換した。最近の製品は、見栄えも良くなり、電球状のガラス球が蛍光管を優しく包んでいる。

 

 

 

 

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