みちのくの風の旅人 [ 愛と義の街(上杉の城下町)から情報を発信中 ]

米沢・山形・東北の自然や文化・風土を季節の便りとして届けています。HP[新・天空の流れ雲]と合わせてご覧ください。

東日本大震災から7年 ~ その7 震災から3年後 ~

2018-03-29 16:03:22 | 東日本大震災に寄せる想い

 東日本大震災から3年後の2014(H26)年3月は、定年退職を間近にして、慌しい毎日だった。特に11日は毎年公立高校入試の翌日で、採点業務などもあり、神経を張り詰めている時期でもある。

  ※ 当時のブログをそのまま掲載することにします。

       ↓     ↓ 



  東日本大震災から3年  2014-03-11 20:42:37 | 東日本大震災に寄せる想い

 季節はずれの寒さが連日続いている。ちょうど3年前、仕事中に大きくて長い揺れを経験した。米沢では震度5強、立っているのがやっとだった。

 震災の特集番組を見るに付け、心が痛くなる。仮設住宅での慣れない暮らし、家族が離ればなれの生活、未だに行方不明の人達、身元不明の引き取り手のない遺骨など、時計は14時46分で止まったままの状態が今なお続いている。さらに、福島では深刻な原発事故の後遺症が3年経ってもまだまだ収まっていない。

Cimg4365 定年退職の日まであと20日。平凡な日々の幸せに感謝するのみである。1年2ヶ月を過ぎた孫娘は先月末からようやく歩くようになり、今では10歩以上歩く様になった。

 来年の3月11日は、被災地で迎えたいと思う。

 [ 注:写真は、前日の投稿の画像です。 ]

 


 ※ 現在のの「Gooブログ」では、文字の色をあまり沢山使っていないが、震災から3年後の頃は「OCNブログ」を利用していたので、文字の色が簡単に変えることが出来た。

 また、季節毎の年中行事や風景の画像テンプレートなども、使用し易く良かったのだが、ブロバイダーの都合で今の「Gooブログ」に、過去の記事を全て移行せざるを得なかった。残念ながら、現在見ている過去記事は、オリジナルの姿の70%ぐらいしか反映されていない。

    ~ 

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東日本大震災から7年 ~ その6 震災から1年後 ~

2018-03-27 16:24:12 | 東日本大震災に寄せる想い

 大震災から1年後の2012年には、被災地から遠く離れた米沢では、普通の暮らしが出来る様になっていた。しかしながら、津波と原発事故の被災地では、まだまだ瓦礫の山に覆われて、住む場所を失った人達が県内外に避難したり、仮設住宅に移ったりと、大変な状況が続いていた。

  ※ 下のブログは、大震災からちょうど1年後にUPした記事です。

     ↓      ↓



  東日本大震災から1年  2012-03-11 23:47:10 | 東日本大震災に寄せる想い

   東日本大震災から1年。辛い記憶が甦る。山形県公立高校の入学試験が前日無事終わり、採点を朝から学校でしていた時だった。午後2時46分いきなり大きな揺れが2~3分続いた。子供の頃に経験した昭和39年の新潟地震と同程度かそれ以上だった。このブログを始めたのも、震災をきっかけにしたものだった。いつの間にか季節は1回りした。
 
  薄日差す平穏な寒い朝を迎えた。現在山形県には県外から全国で最も多い13,730人が避難している。3/4は原発による放射能の不安による自主避難者だという。福島市から車で1時間、米沢市には福島県の避難者が特に多い。現在積雪約90cm避難者には大変過酷な冬だった。

 東日本大震災1周年追悼式をTVで見ながら、2時46分に黙祷した。手術後の健康不安を抱えた天皇陛下の言葉には、深い悲しみと被災者に寄せる温かな想いがにじみ出ていた。被災県を代表して追悼の言葉を述べた人達の話には身に詰まされるものがある。

 書きたいことは沢山あるが、被災者の悲惨な心の状況はまだまだ癒されていない。がれきの山を見て心が痛む。被災地がれき受け入れ自治体&マップ[URL参照]を見ると、被災地に寄せる県民性が分かる。西日本ばかりではないが、遠く外国で起こっている事の様に考えている人が多いのか?山形県は福島・宮城に隣接し、いち早く昨年8月には受け入れを、県内の多くの自治体で始めた。山形県民として誇りに思う。  

 写真は2枚。一つは山形県産米のつやの玄米を、コイン精米機で精米している時のもの。バックには斜平山(なでらやま)の峰々、愛宕山と羽山が小さく見える。2~3ヶ月に一度、20年ぐらい前から30kg玄米の精米をしている。この様な平凡な営みを続けることが出来ることに、感謝。

 写真の2枚目は、ネットからダウンロードしたものです。

   ボランティア活動に汗を流す高校生 ..     http://bit.ly/zRHBXO

Cimg0671prs7_1228091

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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東日本大震災から7年 ~ その5 震災直後の相次ぐ余震 ~

2018-03-25 12:32:17 | 東日本大震災に寄せる想い
 2011.3.11の大地震以降、その直後の深刻なガソリンと共に、相次ぐ大きな余震で不安な状態が続いていた。
 大震災をきっかけに始めたばかりのブログに、当時の様子や心境が書かれています。原文のまま、再掲載します。
 


 

未だ余震収まらず   <米沢から>  2011-03-22 21:01:29 | 東日本大震災に寄せる想い

 米沢市内の勤務先の2階で、体感では震度4に近い大きな余震(TVでは3)がPM6時18分頃発生した。46分頃にも震度2か3程度の余震があり、まだまだ予断を許せない。
 昨日までの3連休でガソリン不足もだいぶ落ち着き、今日は米沢市内では1時間、中には30分以内で給油出来る所もあると聞いた。山形市近郊ではまだ1時間あるいは2時間以上と聞いた。さらに県内ではそれ以上のところもあり、昨晩からの給油待ちによってCO中毒なり重体となった人がいる。
 

 
 今日の夕方も米沢で震度3の地震が発生した。勤務時間が終了し、帰宅の準備をしている頃でした。連日大きな余震が続き、市営体育館に福島県から避難してきている500名以上の人たちは、大変不安を募らせているものと思われます。
  午後3時過ぎからは、大粒の雪が降りました。真冬並の厳しい冬がまだ続いています。現在積雪40~50cmあります。米沢は雪が多い所ですが、いつもの年ならもう平地の雪は消えている頃です。
 津波の爪跡の悲惨さが連日報道されています。死者と行方不明者を合わせて3万人を越えるのではないかと思われます。東京電力福島第一原発の事故も心配です。命がけで頑張っている人がいるので、放射能の数値にあわてふためくことなく、冷静に対応したいものだと感じています。
 
 「たった65年年前」という、ブログの記事があった。(次のURL)この記事の内容に同感します。広島や長崎では、今でも多くの人たちが原爆による放射能の後遺症で苦しんでいます。彼らの浴びた放射能は、現在TVで大騒ぎしているレベルをはるかに超えた数百倍、数千倍のものでした。今のところ、健康上問題ないと言われている人たちも同じだと思われます。広島県民や、長崎県民は今回のことに大変心を痛めているのではないかと思われます。
 

 

未だ余震収まらず(3)  2011-03-29 22:01:21 | 東日本大震災に寄せる想い

 午後7時54分、家族で夕食の団らん中に震度3の余震がありました。
 米沢を含む山形県南部の置賜地方は、地震の被害はほとんどありませんでした。川西町(米沢市の北に隣接)で小屋が壊れ、一時国道をふざいで片側通行となる事故がありましたが、直ぐ回復し大きな問題にはなりませんでした。米沢は、地震の時も停電になりませんでしたが、長井、山形など県内全域で12日の夕方まで丸1日停電になりました。一酸化炭素中毒による、二次的な被害がありました。
 ガソリンの供給も、平時の8割に回復し、今日は近くのGSで満タン(20分待ち)にすることが出来ました。
 一番の打撃は、山形新幹線が不通になっていることです。福島以北の新庄までは4月上旬に回復しそうですが、福島県内は下旬になりそうなので、東京方面からのアクセスが出来ません。観光客が激減しています。恒例の5月3日の上杉祭りも秋に延期がきまりました。
 
 

未だ余震収まらず(5)  2011-04-09 22:18:18 | 東日本大震災に寄せる想い

 【山形新聞】 つばさ、12日に東京までの直通運転を再開

 7日(木)の深夜11時32分、3.11大地震後最大の余震がありました。山形市では震度5、米沢では震度4あり、県内各地で再び停電になりました。山形市近辺、置賜では長井市や南陽市など、前回と同様の所で停電しましたが、幸い米沢では今回も停電に至らず、改めて「米沢は災害の強い町だ」と、実感したところです。置賜管内の多くの企業も停電により、臨時休業になったところがあります。 
 8日(金)奥羽本線、山形新幹線、米坂線、フラワー長井線も運休になりました。午後に復旧したものもありますが、ようやく本日、平常時に戻りました。                          
  9日(土)、また18時42分米沢で震度2の余震がありました。当時小雨の中、新潟県内の日本海東北自動車道を北進中のため、地震に気付きませんでした。                           
  米沢の田んぼには、まだ10~20cmの積雪があります。

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東日本大震災から7年 ~ その4 震災直後の季節外れの大雪 ~

2018-03-21 20:48:23 | 東日本大震災に寄せる想い

 今日は彼岸(春分の日)、それにもかかわらず季節外れの寒さになった。最高気温は4℃、風も強く肌寒かった。米沢は雪が降らなかった(気付き難い程の、風花があった)が、東京都心では雪が降っていた。雪が舞う中、咲き始めた桜の並木道を歩く家族連れの動画が、ヤフーニュースに流れていた。

 

 話を本題に戻すとにします

 震災直後の記事を、新たに思い出して書くことよりは、当時の記事をそのまま掲載した方が説得力があります。

 そこで、震災から約2週間後のブログ記事をそのまま掲載しています。当時の不安な状況が思い起こされます。



   ※ 震災から約2週間後のブログ記事

    ↓  タイトルをクリックしてみて下さい。7年前のグログ記事の原文にリンクしています。

 季節はずれのなごり大雪

2011-03-27 12:06:51 | 東日本大震災に寄せる想い

 Cimg4431 Cimg4432  

  [ 米沢市役所と道路の向かい側にある市営体育館(10時頃撮影) ]

  米沢はなごり雪というより、なごり大雪となった。約15cmの新雪が積もったので、除雪機を久しぶりにフル稼働した。地震後も何度か季節はずれの大雪があったが、ガソリン不足から、スノーダンプでしのいできたが、今日は除雪機に頼らざるを得なかった。この時期の大雪は、長い北国の暮らしの中でも初めてのことである。

 それでも、日中は日も差してきたので、寒さは和らぎつつあります。  避難所となっている体育館にある福島ナンバーの車には、雪の帽子が乗っていました。一日も早く、ふるさとに元気に帰れる日が訪れることを願っています。

 


 

  ※ 次回のブログでは、震災直後から度々襲った余震について、過去の記事を探して掲載予定です。

 

 

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東日本大震災から7年 ~ その3 震災直後の福島訪問 ~

2018-03-19 22:46:16 | 東日本大震災に寄せる想い

 震災直後は深刻なガソリンの状態が続き、行き付けのガソリンスタンドにも朝6時前から並んでも、10リットルしか入れることが出来なかった。ようやく4月に入り、落ち着いて来たので遠出が可能となり、2日に相馬市と南相馬市を訪問した。前回(3/12投稿のブログ)に、陸に上がった漁船の写真もその時のものです。6号線をさらに南下しようとしましたが、原発から30kmの所で国道6号線が封鎖されていて、いわき方面には行けませんでした。

Cimg4489

 そこで、約2週間後の17日にいわき市に行くことにしました。郡山からいわきに行く途中、三春の滝さくらを見学しました。大震災をものともせず、しっかりと大地に根を下ろし見事な花を咲かせていました。

 いわき市に着いてからは、市街地から北へ遠く離れた塩屋崎灯台を目指して進みました。かつて、部活動の春休みの合宿で2回ほど訪問したことがあったからです。7年ほど前に宿泊した民宿は丈夫な造りだったのか、外舘は残っていましたが、建物の中は津波でめちゃくちゃに壊れていました。周辺の木造家屋は全壊し瓦礫の山となっていて、目を覆いたくなるような惨状でした。

Cimg4540

Cimg4533

 

 

 

 

 

 

 Cimg4522

 民宿(えびすや)から、北へ約2km進むと、塩屋崎灯台の北側に出ます。そこには、美空ひばりの「みだれ髪」の歌碑が建っています。

 灯台のある岬の南と北では津波の被害がまるで違っていました。海抜5m前後と南北変わらないのに、北側の歌碑の付近はほとんど被害を受けていない様でした。

 

 

 

 3度目の福島訪問は、4月2日と同様相馬市と南相馬市でした。震災から100日頃のことです。

  ※ ほぼ原文のまま、当時のブログ記事を抜粋し以下に記しました。

      ↓       ↓


 

東日本大震災から100日(その2)  011-06-18 20:40:09 | 東日本大震災に寄せる想い

Cimg4961

Cimg4966 3度目の福島訪問は、2度の訪問[4月2日(土)・4月17日(日)]から1月半を過ぎた6月5日(日)、右足の痛みが治まりつつあったのでようやく実現しました。今度は南相馬市役所を目指しました。日曜日にもかかわらず、市民が数名訪れ、市役所の窓口もこの緊急事態のため休み無く開かれているいる様子でした。北の相馬市の賑わいと異なり、原発から30km圏内にあることから、原町付近は県内外への避難者が多いせいか、昼近くながら街はひっそりとしていました。市役所(写真)ロビーの、ハワイからの応援旗(写真)が被災者を力強く応援していました。海岸に向かうと、土台だけを残して、街並みは津波で全てを流されていました。国道6号線に戻り北上すると、漁船が打ち上げられ、水田の海水も引かず異様な臭いもまだ残っていました。至る所震災から3ヶ月近くなっても、傷跡はまだ癒されていないこと心を痛めました。
  南相馬市のホームページ     http://www.city.minamisoma.lg.jp/  

  ☆ 南相馬市は平成18年1月1日、旧小高町、旧鹿島町、旧原町市の1市2町が合併して誕生しました。

 相馬市のホームページ  http://www.city.soma.fukushima.jp/

 

 

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東日本大震災から7年 ~ その2 震災直後の新聞電子速報版 ~

2018-03-14 06:47:50 | 東日本大震災に寄せる想い

 日本大震災(2011-3-11)直後の混乱した状況の中で、停電が各地で発生した。幸い米沢市内は停電しなかったが、山形市や長井市、南陽市でも停電が発生した。ガソリン不足、物流の混乱による食料品や生活用品の不足。

 今振り返っても、かつてない異常事態だった。頻発する大きな余震、一日中テレビから流れる大津波の爪痕、東京電力福島第一原子力発電所一刻を争う緊急事態。

 

東日本大震災 特別紙面 (震災翌日の12日発行)  ↓ 詳細は下のURLをクリックしてみて下さい。

     http://yamagata-np.jp/sokuho/data/pdf/2011031201.pdf

 

 東日本大震災 電子速報版  ↓ 詳細は下のURLをクリックしてみて下さい。

 http://yamagata-np.jp/sokuho/data/pdf/2011031202.pdf 

 

 

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東日本大震災から7年 ~ その1 震災直後の記事と写真 ~

2018-03-12 14:39:40 | 東日本大震災に寄せる想い

 日本大震災直後の混乱した状況の中から、私のブログがスタートしました。7年前東日本大震災が無かったら、ブログは生まれてこなかったかも知れません。また、福島県の浜通りや宮城県と岩手県南部に出掛けることも殆ど無かったかも知れません。

 

 ※ 震災直後の、ブログを始めたばかり頃の記事です。今年と同様、7年前も雪が多く寒い年でした。

    ↓     ↓



春の彼岸 大震災から10日経ちました。

2011-03-21 10:12:18 | 米沢の自然と文化

 涙雨かな。米沢の町はとても静かです。昨日夜7時頃、いつも賑やかなスーパーが、閑散としていました。

 早朝5時ごろ米沢で震度3の地震がありました。ちょうど夜が明けて明るくなりかけた頃でした。外は霧雨が降っています。米沢は5年振りの大雪で積雪がまだ60cm程度あります。


 未だ余震収まらず   <米沢から>

2011-03-22 21:01:29 | 東日本大震災に寄せる想い

  米沢市内の勤務先の2階で、体感では震度4に近い大きな余震(TVでは3)がPM6時18分頃発生した。46分頃にも震度2か3程度の余震があり、まだまだ予断を許せない。

 昨日までの3連休でガソリン不足もだいぶ落ち着き、今日は米沢市内では1時間、中には30分以内で給油出来る所もあると聞いた。山形市近郊ではまだ1時間あるいは2時間以上と聞いた。さらに県内ではそれ以上のところもあり、昨晩からの給油待ちによってCO中毒なり重体となった人がいる。
 
 


  この7年間を振り返り、震災後被災地を訪れて撮影した写真の中から、いくつかを数回に分けてグログに再掲載をしたいと思っています。

 次の3枚の写真は、ようやくガソリン不足が解消しつつあった震災直後の4月2日、相馬市と南相馬市を訪問した時に目の当たりにした光景です。

 

Cimg4993

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     Cimg5020

 

 

 

 

 

 
 

 

 福島県相馬市南部の、海岸近くの住宅街跡地の写真です。郵便局の門票が刻まれたコンクリートの門柱が、無残に倒れていました。震災から2年後の春のことです。

   ↓         ↓

  

 



 

 ※ 大震災から5年を迎えたちょうど2年前、震災当時を振り返った特集記事をブログに掲載しました。

  下の5つのタイトルをクリックしてみて下さい。

  既に7年が経ちましたが、ブログを読み返すと当時の様子が蘇って来ます。

 東日本大震災から5年 [2016年]

 ① 前触れの地震2011年3月9日 
 ② 大地震2011年3月11日
 ③ ブログを始めたきっかけ:2011年3月20日
 ⑤ 季節外れの名残り大雪 2011-03-27
 ⑦ 未だ余震収まらず(5) 2011-04-09

 

 

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ピョンチャンオリンピック 山形県ゆかりのある選手(2) 加藤条治君ほか

2018-03-09 11:39:16 | スポーツ

  スピードスケートの女子選手の大活躍の陰に隠れて、あまり注目されなかったが、本県出身の加藤選手(2010年バンクーバー五輪銅メダリスト)の頑張りは大変見事なものだった。 

  ピョンチャンオリンピック、スピードスケート500m第6位おめでとう。 

 

   今日からいよいよパラリンピックが開催される。


 

    山形新聞電子速報版  2010年2月16日   ※ 8年前の記事です。

 http://yamagata-np.jp/sokuho/data/pdf/20100216.pdf

 

 

 

 

 

 

 

 

 かとう・じょうじ 山形市滝山小、山形六中、
山形中央高を経て日本電産サンキョー入り。4人
兄弟の末っ子として6歳からスケートを始め、高
校時代にインターハイ500㍍3連覇を果たすなど、早くから「天才肌」の選手として注目されていた。2005年、当時の世界新記録34秒30でW杯(ソルトレークシティー大会)初優勝。トリノ五輪は6位。02年、山新3P賞の進歩賞を受賞。165㌢、65㌔。1985年2月6日生まれ、25歳。山形市出身。

 

 

 

 

 



 山形新聞ニュースオンライン     ※ こちらは最新の記事です。

http://yamagata-np.jp/news/201802/20/kj_2018022000472.php?keyword=%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%9D%A1%E6%B2%BB

 【平昌五輪】ぶつけた、条治の4年間 Sスケート男子500で6位

  2018年02月20日 10:30
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 【平昌=報道部・五十嵐聡】スピードスケート男子500メートルが行われ、2010年バンクーバー五輪銅メダルの加藤条治(博慈会・山形中央高出)が34秒831の記録で6位に入った。加藤は4大会連続の入賞。山中大地(電算)は34秒78で5位、長谷川翼(日本電産サンキョー)は35秒08で14位だった。ホーバル・ロレンセン(ノルウェー)が34秒41の五輪新で優勝した。

【焦点】バランス崩すも充実の挑戦
 「悔しいが、すがすがしさもある」。加藤条治(博慈会・山形中央高出)はすっきりとした顔つきで取材エリアに現れた。前回五輪後の4年間は雌伏の時期もあった。それでも再び「世界のトップが見えるところに戻ってくることができた」。周囲のサポートに感謝し、充実した挑戦だったと総括した。

 スタートはフライング。2回目は冷静に「合図を聞いてから」飛び出した。100メートルは自身も納得の9秒53をマークしたが、直後に落とし穴が。第1カーブの中盤過ぎで「左足が思い切り抜けてしまった」とバランスを崩した。

 「トップスピードに到達するための大事なポイント」で痛いミス。今季の課題だった終盤も懸命に腕を振り同走者に食らい付いたものの「ミスの影響が大きかった。うまく回れないのが今の自分」。34秒831での結果を受け入れた。

 ただ33歳に後悔の色はない。この4年間に納得しているからだ。前回のソチ冬季五輪(5位)の後は1シーズン、体づくりに専念した。両膝の痛みにも悩まされた。1人で練習することが多い男が所属先の意向で監督を兼ねたことも。心身の苦労を重ねた。

 達した境地が「1シーズンに何度か爆発できればいい」との戦い方。大事なレースに向け、経験や感覚を頼りに自分で練習メニューを決め、段階を踏んで体と技術のレベルを擦り合わせていく。想定と違えばタイムが速かろうと不満を口にした。五輪本番の直前には調整で追い込んだ体が狙い通りに回復。「メダル圏内」と確信を持って臨んだ。

 気になる今後は、「自分の一存では決められない」としながらも、「スケートが好き。上にいくチャンスと力はある。続けられるなら続けたい」。なお尽きない意欲をのぞかせ、加藤の4度目の五輪が幕を閉じた。

山形新聞ニュースオンライン

http://yamagata-np.jp/news/201802/10/kj_2018021000214.php?keyword=%E5%B9%B3%E9%87%8E%E6%AD%A9%E5%A4%A2

【平昌五輪】頑張れ!ぼくらの星 6選手が出場、期待感高まる

    2018年02月10日 08:00
 
JR山形駅近くのすずらん街には加藤条治選手を応援するのぼりがずらりと並んだ=山形市
 9日に開幕した平昌冬季五輪には、冬季五輪で過去最多となる6人の本県関係選手が出場し、県内でも応援ムードが高まってきた。山形市内には選手を応援するのぼりが立ち並び、スケート場には代表4選手の写真パネルも。県内在住の韓国出身者は五輪を通じた日韓交流の深まりにも期待する。各選手の競技に合わせたパブリックビューイングも企画されている。

 山形市のJR山形駅近くにあるすずらん街には、スピードスケート男子で4大会連続出場の加藤条治選手(博慈会・山形中央高出)を応援する真っ赤なのぼり約20本が立ち並び、通行人らの目を引いている。

 支援組織「励ます会」(佐藤稔会長)が五輪のたびに設置し、今回は山形市の中心部や地元滝山地区に計
 
800本を用意。当初は500本の予定だったが足りずに追加発注した。佐藤会長(81)は「商店街などの協力がありがたい」と高まる期待を感じ取っていた。
 
JR山形駅近くのすずらん街には加藤条治選手を応援するのぼりがずらりと並んだ=山形市


平昌冬季五輪に出場するスピードスケートの本県関係4選手を紹介する写真パネル=山形市総合スポーツセンタースケート場
 
 山形市総合スポーツセンタースケート場には、スピードスケート男子で五輪に出る山形中央高出身4選手を写した大型の写真パネルが飾られ、競技に取り組む地元の子どもを勇気づけている。

 写真はいずれも山形新聞に掲載されたもので、昨年末の代表選考会で、加藤条治(博慈会)ウイリアムソン師円(日本電産サンキョー)小田卓朗(開発計画研究所)一戸誠太郎(信州大)の4選手が滑る勇姿をとらえている。山形スケートスポーツ少年団の鈴木藍成(らんぜ)君(12)=山形市千歳小6年=は「ここで練習している自分もうれしい。五輪で活躍し、もっと山形を有名にしてほしい」と話した。
◇ 本県ゆかりの選手の活躍も楽しみだ。スノーボード男子ハーフパイプで2大会連続のメダル獲得が懸かる平野歩夢(木下グループ)=新潟県村上市出身=は、小国町の横根スキー場に通い技を磨いた。スキー場を管理する高橋恒行さん(66)=小国町小国小坂町=は「運動神経が良く、小学生になるころには『五輪に行くのでは』と思わせる滑りだった」。15歳で銀メダルに輝いたソチ冬季五輪後も練習に訪れたといい、高橋さんは「金メダルを狙っているだろうが、けがに気を付けて楽しんで」と激励した。

◇ 一方、韓国出身者からも熱い声が聞かれた。山形大や東北文教大などで韓国語を教える講師の権純縣さん(58)=山形市桜田東2丁目=は「韓国選手の応援には力が入る。第二の祖国日本、特に山形の選手にも同じ思い入れがある」と熱戦を期待。一方、北朝鮮が五輪参加を決めたことで政治色が濃くなった面もあるとし、「選手を主役に据えたスポーツと平和の祭典であることを忘れないで」とくぎを刺した。平昌、東京とアジアでの五輪が続くことを好機と捉え、「両国の信頼関係を醸成し、草の根レベルの交流をさらに進めてほしい」、そして韓国語で「ハナエ マウムロ(心を一つに)平昌!」と願った。

◇ 県内のパブリックビューイング予定(時間は競技開始時刻)
【スピードスケート】
(会場=山形市・霞城セントラル)
▽11日午後4時=男子5000メートル
 一戸誠太郎、ウイリアムソン師円
▽19日午後8時53分=男子500メートル
 加藤条治
▽21日午後8時22分=男子団体追い抜き決勝など
 ウイリアムソン師円、一戸誠太郎
▽23日午後7時=男子1000メートル
 小田卓朗
▽24日午後8時45分=男子マススタート予選・決勝
 ウイリアムソン師円

【フリースタイルスキー】
(会場=長井市・タスパークホテル)
▽19日午前10時=女子ハーフパイプ予選
 鈴木沙織
▽20日午前10時半=同決勝
 鈴木沙織

【スノーボード】
(会場=山形市・山形南高)
▽22日午後0時27分=男子パラレル大回転予選
 斯波正樹
▽24日午後0時15分=同決勝
 斯波正樹
 
 
 

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ピョンチャンオリンピック 山形県ゆかりのある選手(1) 平野歩君

2018-03-07 21:00:00 | スポーツ

 ピョンチャンオリンピックで活躍した、山形県ゆかりのある選手の記事をまとめてみた。

スノーボードハーフパイプの、2大会連続の銀メダリスト平野歩選手と、スピードスケート500m第6位の(2010年バンクーバー五輪銅メダリスト)加藤条治選手である。

 2月末、平野選手が練習を積んでいた小国町の横根スキー場に出掛けた。道の駅白い森に隣接したスキー場である。

    ↓ リフトの左側が一般のゲレンデ、右がハーフパイプのある所。  

 

 

 平日と言うこともあり、スキー客も少なく、ましてハーフパイプで時々滑っているのは、ひとりだけのようだった。

 この頃、日本選手団が帰国したばかりで、平野選手も2大会連続の銀メダリストとして、1日中テレビに映っていた。

 と言う訳で、写真に写っているのは、平野選手本人ではない。

 後日、チャンスがあれば本人の滑っている所を、撮ってみたいと思っている。

 

 

 



  河北新報ONLINENEWS

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201802/20180209_53014.html

<平昌五輪>スノボ平野選手 技磨いたスキー場の高橋さん「金メダルも夢じゃない」躍進願う

横根スキー場で平野選手(左)と写真に納まる高橋さん。平野選手の成長が何より励みになっていた

 平昌冬季五輪で2大会連続のメダル獲得が有力視されるスノーボード男子ハーフパイプ(HP)の平野歩夢選手(19)=木下グループ=は4歳ごろから、新潟県村上市の自宅から山形県小国町の横根スキー場に通って技を磨いた。同スキー場のHP責任者高橋恒行(つねゆき)さん(66)は平野選手の歩みとともに、試行錯誤を重ねながらコース整備の技術を高めてきた。平昌で躍動する平野選手の姿に、高橋さんが心を躍らせている。

 「まだおむつをしていてねぇ。お兄ちゃんを慕ってた。とにかく運動神経がよくて、あれよあれよという間に上達していった」
 高橋さんは、3歳上の兄英樹さんと一緒に横根スキー場に通い始めた平野選手を鮮明に覚えている。
 初・中級者向けのゲレンデが主体の横根スキー場にHPコースが常設されたのは1991年1月。全国でもまだ本格的なコースは珍しかった。
 当時、整備を担当していたのは高橋さんの兄。自身はスキー場勤務の傍らスキーのスポーツ少年団を指導しており、まだマナーの悪さも目立っていたスノーボーダーたちが、どうも好きになれなかったという。
 ところが、その兄が突然体調を崩し、高橋さんにHP整備の仕事が回ってきた。日本のメダルラッシュに沸いた長野冬季五輪から1年後の99年のことだ。
 作業に必要な重機を動かせる従業員が他にいなかったためで、技術的な知識はほとんどなかった。各方面から情報を集め、手探りでコース造りを始めた。滑らかな曲面に仕上げようと、ショベルカーのバケットの形状や先端の爪の角度を細かく指定して特注したこともあった。
 「歩夢はやがて世界を転戦するトップ選手になっていった。歩夢に合ったコース作りを常に心掛け、アドバイスを受けながら、レベルの高いものを目指してきた」と高橋さん。
 HPの壁面はコンクリート仕様。長さ100メートル、幅15メートルで、両サイドの高さは約4メートル、傾斜は16度。現在国内にあるHPでは平均的なサイズだが、高橋さんの技術は選手の間では有名で、多くのスノーボーダーから「恒さん」と呼ばれ、親しまれている。
 高橋さんは「歩夢は幼い頃から人一倍、練習熱心だった。ここまで成長したのは驚きだけど、そのくらい頑張っていた。今回は金メダルも夢じゃない」と期待する。
 横根スキー場前にある道の駅「白い森おぐに」では13、14日、平野選手を応援するパブリックビューイングが行われる。高橋さんも大きな声援を送るつもりだ。


 山形新聞ニュースオンライン

http://yamagata-np.jp/news/201802/15/kj_2018021500336.php?keyword=%E5%B9%B3%E9%87%8E%E6%AD%A9%E5%A4%A2

平野選手連続の銀、小国の仲間見守った スノボ男子HP・PV実施、惜しみない拍手

平野歩夢選手を幼いころから知る鈴木孝明さん(左)と高橋恒行さんが銀メダルの獲得を喜んだ=小国町・道の駅「白い森おぐに」
2018年02月15日 09:47
 
 スノーボード男子ハーフパイプ決勝が行われた14日、平野歩夢選手(19)が技を磨いた小国町の横根スキー場に隣接する道の駅「白い森おぐに」で、パブリックビューイングが行われ、2大会連続の銀メダル獲得を大きな拍手でたたえた。

 町民ら約30人が集まった。決勝の1本目は着地に失敗し35.25点で終ったが、2本目で武器とするダブルコーク1440(DC14)の連続技を決め、95.25点で暫定1位に。「よし」「いいぞ」と大きな歓声が上がり、金メダルへの期待が一気に高まった。

 
平野歩夢選手を幼いころから知る鈴木孝明さん(左)と高橋恒行さんが銀メダルの獲得を喜んだ=小国町・道の駅「白い森おぐに」
 しかし、最後の3本目でショーン・ホワイト選手(米国)が97.75の高得点を叩き出し、土壇場で逆転された。会場からは落胆の声も漏れたが、堂々の銀メダルに惜しみない拍手を送った。

  平野選手を幼い頃から見てきた同スキー場の管理人の高橋恒行さん(66)=同町小国小坂町=は「歩夢はショーンを目標にしてきた。最後に彼が控えていたことがプレッシャーになったのでは」とし、「けがなく終えられたことは良かった。本人は相当悔しいと思うし、なんと言葉を掛けたらいいか」と気遣った。

 平野選手が4歳の時から一緒に同スキー場で滑ってきたという同町出身の会社員鈴木孝明さん(32)=米沢市下花沢3丁目=は「金メダルおめでとうのメールを準備していたが、送れなくて残念。背負ってきたものを思うと、お疲れさまと伝えたい」と話した。

 熱戦の後、同スキー場のハーフパイプでは、早速滑りを楽しむ姿も見られた。小学5年の坂上水都さん(10)=新潟県聖籠町=は「週に4、5回練習している。平野選手の演技はすごかった。私も練習してできるようになりたい」と、平野選手をまねるように技に挑戦していた。
 

 
  4年前の山形新聞電子速報版   ↓  2014-2-12
 
 
 
 
 
 
 

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