みちのくの風の旅人

米沢・山形・東北の自然や文化を季節の便りとして届けています。

夏から秋へ ~ 長井あやめ公園周辺散歩:3 ~

2015-08-31 09:40:01 | まち歩き

 今日は8月最後の日となった。今日も霧雨の朝を迎えた。

 3回シリーズ最後のブログとなった。ブログはきのうからの続きである


  長井工業高校の校門から東へ100m少々歩くと、あやめ公園駅に着く。この駅はフラワー長井線の駅の中で最も新しい駅である。

   

 

 

 あやめ公園駅から線路沿いに小道を進み、あやめ公園南口に向かった。あやめ祭り期間中(約1ヶ月)を除くと、南口も含めて全ての入り口から、自由に出入りが出来る。

 途中、テニスコートのフェンスの金網には朝顔が咲いていた。

 ※ フラワー長井線やあやめ公園駅について興味のある方は、以下の名称をクリックして下さい。リンクを貼り付けています。

   山形鉄道株式会社  あやめ公園駅


  先週の23日、以下の番組が放送された。フラワー長井線の赤湯駅、古い駅舎の西大塚駅など、懐かしいシーンを沢山見ることが出来た。

 六角精児の呑(の)み鉄本線日本旅「夏・山形鉄道を呑(の)む!」

    ↑ ↑ クリックしてみて下さい。ホームページにリンクしています。

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夏から秋へ ~ 長井あやめ公園周辺散歩:2 ~

2015-08-30 07:34:59 | まち歩き

 

 今朝もきのうと同じく、秋雨が降っていた。

 今日のブログは、昨日からの続きである。

 


 

 人気のほとんどないあやめ公園を後にして、駐車場付近から野川右岸堤防の散策路に上がった。平日の昼近かったので、歩いている人は見かけなかった。フラワー長井線の鉄橋の下を潜り抜け、西側の上流に向かって歩いた。

 ※ 1枚目の写真:後ろを振り返り撮影したフラワー長井線の鉄橋
   3枚目の写真:1枚目と同じ場所で撮影した上流側の写真 野川河川敷の向こうに見えるのは谷地橋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 堤防を下りて、長井市民グランド長井工業高校の境界付近を東に進み、校門のところから左折して、フラワー長井線の  あやめ公園駅に向かった。

 

 

 既に夏休みが終わり、授業は始まっていたが学校は意外に落ち着いて静かな感じがした。

 長井工業高校の旧校舎、そして現在の新校舎共に様々な思い出がある。

 何時の日か、まとめて書き残したいと考えている。1年先か5年先かになるかは、今のところは分からないが・・・・。

 

 今日のブログに記載した場所は、上の地図の左側半分のところです。

 次回は、あやめ公園駅を中心に書く予定です。

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夏から秋へ ~ 長井あやめ公園周辺散歩:1 ~

2015-08-29 08:05:13 | まち歩き

 今朝の米沢は冷たい秋雨が降り、斜平山の中腹まで雲が低く垂れ下がっていた。2日前の27日(木)長井市内に出掛けた時は、今朝よりは天気が良く雨も降っていなかったが、上空800mぐらいの所には雲がかかり、西山(朝日連峰に連なる1000m前後の山々の通称)の稜線は見えなかった。

 あやめ祭り期間中の6月中旬から7月上旬にかけて、大勢の人で賑わっていたあやめ公園は、人気がほとんど無くとても静かだった。あやめの植え替えの作業をしている人がひとり、他には自転車で公園に入りあづまやのベンチで休憩している人がひとりいるだけだった。

  

 まつり期間中のみ営業するあやめ会館は、ひっそりとしていた。「昭和あやめ商店」は食堂と売店を兼ねたような店である。
 萩の花がきれいに咲き始め、季節は秋に移り始めていることを感じさせられた。

 

 

   

  ← あやめ公園案内図    クリックすると大きな画像になります。  

 ※ 今回のブログの続きは、今後2回に分けて記事をUPする予定です。

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戦後70年関連のブログのまとめ一覧表です

2015-08-28 08:24:18 | 日記・エッセイ・コラム

 

 昨年は、戦後70年節目の年の1年前に当たっていた。今年以上に、昨年の8月に戦争に関わる記事をいろいろと書いた。今振り返って見ても、その時に考えた想いは変わっていない事に気付かされた。

 そこで、1年前の旧ブログからの移管記事(ocn→gooブログ)を再編集、再構成して数回に分けて再掲載することにした。
       
 8月25が、その最後の記事となった。  

 以上の通り、今年になってから再UPした記事も含めて、この1年間の戦後70年関連のグログは、以下の一覧表の通りです。

 

  戦後70年の年を前に(6):1年前の想い '14-8-18 戦後70年の年を前に(6):1年前の想い '14-8-18  戦後70年の年を前に(6):1年前の想い '14-8-18 

 ※ この様な一覧表を、グログからコピーをしてまとめたのは、ブログをご覧頂いている方のためと言うよりは、自分のための様なものです。

Cimg3255

 

 東日本大震災直後に始めたブログも4年半近くになり、これまでに約400の記事を掲載しました。自分自身でも時々整理整頓をしないと、全体を把握しきれない状態になっているのが実情です。

 

 平成25年5月福島県相馬市を訪問の時に撮影した写真の一つです。 → →

   相馬市訪問~大震災の予震に遭遇~ 2013-05-18 22:10:00 

   ↑ 上のオリジナルブログ記事には、
     他にも様々な写真を掲載しています。
     是非、クリックしてみて下さい。


   1年間の戦後70年関連のグログ一覧表

     ~ 

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38回目の24時間テレビ「愛は地球を救う」

2015-08-26 06:28:23 | テレビ番組・ラジオ番組

 3日前の23日、今年で38回目の24時間テレビが終わった。最近ではあまり見なくなった様な気がしているが、それでもオープニングやフィナーレなどは何となく見ている。

 第1回目の放送があった頃の事をふと思い出した。

 当時は社会人に成り立ての頃で、JR中央線武蔵小金井駅から、歩いて30分弱の所に住んでいた。小金井街道沿いには武蔵野の面影が残る雑木林なども点在していた。

 通勤途中にコンビニセブンイレブンがあった。当時午後7時過ぎに開いている店はほとんど無かったので、時々立ち寄ることもあった。店の名の通り、午前7時から午後11時まで営業していた。

     ↓ ↓  セブンイレブンの昔のロゴマーク

セブンイレブン

  約20年前には、初めて米沢にも全国チェーンのコンビニが誕生し、2000年ごろからは24時間の深夜営業も始まっていた様な気がする。一時期我が家から500m圏内に、4軒のコンビニが雨後の筍の様にオープンした事があった。10年ほど前に2軒は美容院やラーメン店に変わったが、数年ほどでまた似たような別の店に衣替えしている。散歩の途中そばを通る度に、今度の店は長続きして欲しいと願っている。

 現在では米沢市内の至る所にコンビニはあるが、このコンビニの急速な拡大と、携帯電話の爆発的な普及にはとても似た側面がある。

                                         現在のロゴマーク →

 

 


  24時間テレビの意義 ← 番組のホームページの文章から引用      ↓   ↓ 

 1978年(昭和53年)、日本テレビ開局25周年を記念し、テレビの持つメディアとしての特性を最大限に活用し、高齢者や障害者、さらには途上国の福祉の実情を視聴者に知らせるとともに、広く募金を集め、思いやりのあふれた世の中を作るために活用する、との企画意図で始まりました。この募金の趣旨に沿った福祉活動を実施するため、非営利の任意団体「24時間テレビ」チャリティー委員会が組織され、現在では公益社団法人に移行し、国内外での活動を行っています。今「24時間テレビ」は、福祉・環境・災害の三本柱を援助の対象に掲げています。


  違和感を感じるチャリティーマラソン

  チャリティーマラソンが始まった頃はさほど感じなかったが、最近2000年ごろから以降のランナーには、どうしても違和感を感じてしまう。 

 年齢的にも無理を感じる人達として、丸山和也(2005年59歳)、萩本欽一(2007年66歳)、徳光和夫(2011年70歳)がいた。2年前の第36回(2013年33歳)大島美幸(森三中)は、体形的にマラソンには向いていない。

 痛め止めの注射を打ちながらの無理なマラソンには、ヤラセに近い違和感を覚えてしまう。

 タレントではなく、元気良く走ることの出来るスポーツ選手を充てるべきだと思う。

 今年のDAIGOもまだ30代と若いが、無理をして体を酷使している様にしか見えない。 


  今朝は冷たい雨が降り止まなかった。きのうも肌寒かった(最高気温が21度以下、最低気温は17度前後)が、今日も似た感じがする。日本海を北上する台風15号の影響なのか?

台風画像  きのうの朝午前6時頃熊本県に上陸した台風15号は、昼過ぎ日本海に抜けたが、九州各地や山口県、遠くは近畿地方まで大きな被害をもたらした。夕方まで新幹線や飛行機などの交通機関は軒並みストップしていた。

 台風進路図と以下の記事は「YAHOO! 天気・災害」の
ページから転用したものです。

 2015年8月25日19時30分発表 台風第15号は、25日18時には出雲市の北西約120kmにあって、北北東へ毎時35kmで進んでいます。中心気圧は970hPa、中心付近の最大風速は30m/sです。この台風は、この後日本海を北へ進むでしょう。27日15時までには温帯低気圧に変わり、中国東北区に達する見込みです。台風の進路にあたる地域は、暴風や大雨に厳重な警戒が必要です。台風周辺海域および進路にあたる海域は、シケ~大シケとなるため厳重な警戒が必要です。

    ~ 

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戦後70年の年を前に(6):1年前の想い '14-8-18

2015-08-25 06:00:48 | 日記・エッセイ・コラム

上杉家御廟所

 

 朝散歩していると、半袖・短パンでは肌寒くなった。今年の秋は訪れが早い様である。最高気温が25度以下、最低気温も15度以下と、きょうの天気予報は9月半ばから下旬並みである。


 上杉家御廟所には歴代藩主の墓があり、300年以上前からゆっくりと時間が流れている。   

 戦後70年の年月も長いようで、まだ短いと言えるかもしれない。

 昨年は、戦後70年節目の年の1年前に当たっていた。今年以上に、昨年の8月に戦争に関わる記事をいろいろと書いた。

 今振り返って見ても、その時に考えた想いは変わっていない事に気付かされた。

  そこで、今回1年前の旧ブログからの移管記事(ocn→gooブログ)を再編集、再構成して数回に分けて再掲載することにした。 
            今回が、その最後の記事となった。 


  終戦の日を過ぎて(3:黙して語らぬ偉人  2014-08-18 06:12:19 | テレビ番組

 8月10日の夜、テレビ番組の「ありえへん∞世界」スペシャルで故「工藤俊作」氏の戦時中の話が取り上げられていた。本人は死ぬまで家族にさえ、敵兵の救出劇の事を話さなかったという。当時救出された英国人の自叙伝で明るみになり、日本の武士道精神を称えていたという。命の恩人の墓参りをどうしても生きている間にしたいと、日英の外務省の支援も受けて2008年12月、2度目の来日(当時89歳)でようやく実現できた。

Cimg5936 

 日本海軍の軍人としてというよりは、一人の日本人として称賛に値する人物である。山形県人として、また母校の先輩としてもこの様な人がいたことを、大変誇りに思える。

 番組終了後twitter上でも、若い世代の人達から感動のつぶやきが多く見られた。Web上で検索して出て来た中で、比較的自分にも共感できるブログがあったので、Wikipediaの記事の次に掲載することにした。

 ただ、Web上ではブログなどで愛国者気取りの人たちが、取り上げていることが多かったのは残念なことだと思う。工藤艦長が黙して語らなかったのは、この様な事を危惧していたのかも知れない。


Cimg6012

 

 誇り高き日本人がいたことは事実だが、その他多くの日本人は、海外の戦場で戦争と言う名の下で、他国の人々の多くを苦しめた事実は消え去ることは出来ない。従軍慰安婦問題も同様であり、日本軍が強制的に連れて行ったか否かが、さも大きな問題として取り上げられがちだが、従軍慰安婦が存在した事実は消えない。

 近隣諸国の多くの人々の声なき声に謙虚に耳を傾ける、器量の大きな政治家が活躍できる日本であって欲しい。

 形容詞の使い方に違和感を感じる、積極的平和主義という言葉、自分だけだろうか?

※ 1枚目の写真は新潟県新発田市で、2枚目は福井県永平寺で
  撮影したものである。

 

 

    Wikipedia より +++++++++++++++

  工藤 俊作(くどう しゅんさく、1901年(明治34年)1月7日 ? 1979年(昭和54年)1月12日)は、日本の海軍軍人、最終階級は海軍中佐。1942年3月、駆逐艦「雷(いかずち)」 艦長時、スラバヤ沖海戦で撃沈された英国艦船の漂流乗組員422名の救助を命じ実行させた人物である。

 山形県東置賜郡屋代村(現高畠町)で、農家の工藤七郎兵衛、きんの次男として生まれる。山形県立米沢中学校を経て、1920年海軍兵学校に入学(第51期)。1940年陸上勤務となり、海軍砲術学校教官、横須賀鎮守府軍法会議判士を務めた。同年11月、駆逐艦「雷」艦長となり太平洋戦争を迎えた。

 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 大津秀一 オフィシャルブログ(下記のURL)に詳細の記述があります。参考にして下さい。 

 見出し;昔はすごい人がいたもんだ 工藤俊作艦長の話

 黙して語らなかった偉人     http://ameblo.jp/setakan/entry-11392943467.html

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戦後70年の年を前に(5):1年前の想い '14-8-17

2015-08-24 06:27:55 | 日記・エッセイ・コラム

  昨晩、今年で38回目の24時間テレビが終わった。

 夏の終わりを告げるイベントとして定着している。都会ではまだ夏休みの学校も多いが、山形県内のほとんどの小中学校では、既に2学期の始業式は先週末に終わっている。

 ※ 後日24時間テレビに関する記事をブログに載せたいと考えている。

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Cimg8023

 

Cimg8019

 

 

 

 

 

 

 

 

    ↑  昨年、上杉神社周辺でお盆の頃に撮影した写真である。 ↑


     終戦の日を過ぎて(2:盆踊り ) 2014-08-17 05:30:00 | 日記・エッセイ・コラム

Cimg6017 終戦の日の15日と16日さらに20日の三日間、近くの熊野神社で盆踊り大会が40年以上前から毎年行われている。全国各地には様々な盆踊りがあり、されぞれ何百年以上前から続いているものもあるらしい。今は亡き先祖の霊に、今生きている人たちが元気で幸せに過ごしていることを歌と踊で伝え、慰めるのが盆踊りの起源となっているらしい。Cimg8035

 きのうの16日は送り盆、朝から昼過ぎまで断続的に強い雨が降った。しかし、夕方からはピタリと雨が止み、盆踊り2日目も賑やかに行われた。

 

 


Cimg8037 子供の頃、16日の夜は暗くなる頃に送り火を焚いた、13日に迎えた先祖の霊を再びお墓に帰すための儀式だった。13日の迎え盆から16日の送り盆まで、物心が付いた頃から大人になるまで、少しも変わらなかった。

Cimg8043  昭和40年代の高度経済成長の時代、急速に車が増え交通事故で毎年亡くなる人が、全国で1万人以上を越え、現在の2倍以上の人達が命を落としていた。当時交通戦争と形容されていた時代である。その様な時代背景の中で、熊野神社交通安全祈願盆踊り大会がスタートし、今年で46回目を迎えた。江戸時代やそれ以前に始まった盆踊りとは異なったいきさつで始まった盆踊りであるが、昔から米沢や置賜地域全般で踊られていた、盆踊りそのものである。

 

 

 Cimg8039 Cimg8054

 

 

 

 

 

 

 

 

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戦後70年の年を前に(4):1年前の想い '14-8-16

2015-08-23 07:27:23 | 日記・エッセイ・コラム

  熊野神社の盆踊り大会のやぐらに、「戦後70年平和の祈り」の看板が掛けられ、夜になると綺麗に輝いていた。

 10年前や20年前にも、この様な戦後60年や50年の看板があったかどうかは定かではない。どうも無かった様な気がする。

 ところで、20日で終わった盆踊りには、開催期間中に天候に恵まれたこともあり、例年にない多くの人出を記録したと、地元の主催者の一人が話していた。その数1000名を越えた。

  きょうの午前中、やぐらの解体作業が神社の氏子達によって行われる。例年、盆踊り最終日直後の日曜日にすることになっている。やぐらの柱の1本1本に目印の文字が書いてあり、組み立てる時も、解体する時も、1年間保管する時も。手際良く作業が進むように配慮されている。 

 ※ 下の写真は今朝の6時過ぎに撮影したものである。きのうの朝と同じく、霧雨が降っていた。
    ↓              ↓                   ↓

 


  終戦の日を過ぎて(1:無益な戦争 ) 2014-08-16 13:15:47 | 日記・エッセイ・コラム

 日本の人口の80%以上が戦後生まれの人達になっている。自分自身も戦争時代の事は知らない。まして自分の子供達や孫は殆ど戦争の事に関心が無い。子供にはまだ生きている祖父母がいるいれば、貴重な話を聞くことが出来る。残された時間は少ない。
Cimg6015  シベリア抑留から帰国した伯父は90歳を超えたが、夫婦で元気に農作業をしている。捕虜になった当時、所属した日本の所属部隊のまとまりが良かったことと、ソ連軍の関係した部隊の運に恵まれて酷い扱いをあまり受けなかったという。多くの抑留者が過酷な労働と飢餓で再び故郷の土を踏むことが出来ず、6万人以上命を落とした。伯父にも辛い記憶があったはずだが、あまり語りたがらない。40年以上前に内臓の大手術をしているが、20代の頃の戦場やシベリアでの生活が、少なからず影響しているものと思う。

Cimg6014  無益な戦争を起こさないためには、アジアの周辺国である中国や韓国、北朝鮮、さらにロシアとの関係を良好に保つ以外の道は無い。一番大切なのは外交力であって、軍事力ではない。日本の政治家は、一部の声高な声に乗せられることなく、冷静に将来の日本のために行動してもらいたい。

 尖閣諸島の国有化の問題は、明らかな外交上の失敗に近いものである。中国の横暴さにも目に余るものが有るが、石原慎太郎元東京都知事の中国をいたずらに刺激する言論や行動によって、その後の中国国内の暴動で失われた損失は、計り知れない。その責任を政治家として何も取ろうとしない身勝手さには呆れるばかりである。

 都民の中には石原氏の支援者が沢山いるのだろう。日本の首都にそのような人たちが沢山いることが心配だが、こんな思いを抱くのは自分だけではないだろうと思う。

 ※ この数日のブログには、本文と無関係の写真を載せている。これらは6月末から7月初めにかけて訪れた、東尋坊永平寺の写真である。ちなみに今日と明日は永平寺で撮影したもので、終戦の前の日のものは東尋坊である。

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終戦の日に寄せて:1年前の想い '14-8-15

2015-08-22 06:18:37 | 日記・エッセイ・コラム

 今朝は涙雨の1日で始まった。きのうとは違い、天気予報では今日は蒸し暑い(最高気温が30度)1日になりそうだの事だった。
 きのうは最高気温が25度を下回り、9月半ばの様な涼しさだった。

 

 昨年は、戦後70年の節目の年の1年前に当たっていた。今年以上に、昨年の8月には戦争に関わる記事をいろいろと書いた。

 今振り返って見ても、その時に考えた想いは少しも変わっていない。

 今日の記事は、昨年の終戦の日に書いたものである。ただし、旧ブログからの移管記事(ocn→gooブログ)のために、読みやすいように再編集、再構成して掲載している。 

 



   終戦の日 ~戦争と平和~ 2014-08-15 16:04:13 | 日記・エッセイ・コラム

 69年前日本の無条件降伏によって太平洋戦争は終結した。多くの軍人のみならず、沖縄での激しい戦いによる一般人、東京はじめ日本各地の空襲での犠牲者、広島と長崎の原爆の犠牲者、尊い命が失われた。2度と戦争をしてはならないと誓い69年、こらからも平和な日本を世界に発信続けなければならないと思う。

 そのためには、戦争の被害者としてばかりではなく、加害者としての側面を併せ持っていることを忘れてはならない。このことを履き違えると、近隣諸国に誤解と更なる反感を招きかねない。

 昨晩遅く、NHKスペシャル「少女たちの戦争」を見た(詳細は以下の記事の通り)。当時小学生だった人たちの、生の声にはとても説得力があった。子供たちの心に忍び寄る戦争の影。二度と戦争はしてはならない。

 ***** NHKスペシャルの記事を引用 **************************

  少女たちの戦争   ~197枚の学級絵日誌~

     http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20140814 (← 新URLに変更しています) 
                                   2014年8月14日(木) 午後10時00分~10時49

Thum_01

  滋賀県大津市に、太平洋戦争末期の1年間小学5年生の少女たちが書き続けた絵日誌が残っている。この絵日誌が今、銃後の戦争を知る貴重な資料として、海外の大学の研究者から注目を集めている。日誌が描かれ始めたのは昭和19年4月。「感じたことをそのまま書きなさい」と若いImg_01女性教師の指導の下、日々の学校生活や友人関係、家族のことが瑞々しく綴られた。 ところが秋を過ぎると、少女たちは感じたことを書けなくなっていく。町に次々と届く戦死者の報せ、出没する米軍機。他人の前では感情を押し殺し矛盾した行動を繰り返す大人たちの不可解な姿。ヒタヒタと迫ってくる戦争の影は、農村の小学校の1学級も覆っていく。
Img_02 

 今80歳を超える元少女たちは、日誌を書き始めて70年となる今年、改めて当時の自分たちの心の変化や大人たちの不可解な行動、そして教師が何故日誌を書かせたのか、関係者を辿って振り返ろうとしている。「自分たちの体験した戦争とは何だったのか」。彼女たちの戦争を見つめ直す軌跡に同行しながら、当時多くの地域が経験した戦争の実感・心の移ろいを見つめる。

 
 



   戦争は当時の子供たちにも大きな影響を与えていた。

  今年に入ってからも、沖縄で最後まで戦い続けようとしていた少年兵の証言や、YBCテレビの夕方6時の戦争体験者の特集を見て、改めて戦争の悲惨さと理不尽さを考えさせられた。

  ~ 

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戦後70年の年を前に(3):1年前の想い ’14-08-14+

2015-08-21 06:17:10 | 日記・エッセイ・コラム

 昨晩は5軒の夜店も開かれて、熊野神社の盆踊りは大変盛況だった。今年は現在のところ、お盆過ぎになってからは寝苦しい夜も無く、朝夕は平年並みの涼しさとなり大変過ごし易くなった。

 


    終戦の日を前にして(2:伯父たちの戦死 )     2014-08-14 20:41:36 | 日記・エッセイ・コラム

Cimg5984 私が生まれる8年前には、まだ戦争中だった。物心の付いた昭和30年代の前半は、まだまだ貧しい時代だった様に記憶している。ラジオが有っただけで、文明の利器と呼ばれる物は何も無かった。当時子供の頃、両親や祖母、伯父や伯母から戦争の事や、戦死した伯父の話を聞いた。祖父は戦死した息子の悲しみを抱きつつ、私が生まれる2年前に亡くなった。伯母達の夫も戦死している。不幸な戦争が無ければ伯父たちと会えたと思うと、運命Cimg5989を恨むしかない。

  36・37年前伯母がよく行く浦和の氷川神社に、朝の散歩に一緒に出掛けたのを、今でもよく覚えている。伯母は戦死した夫の慰霊のために毎日の様に訪れていた。

  自分の子供たちは、昭和から平成に変わる時代に生まれ、戦争の事は殆ど知らない。戦争の理不尽さを知らない人がますます多くなり、反戦・平和の運動も下火になりつつあり、若者は殆ど関心を示さない。今から40年以上前の高校生の頃「戦争を知らない子供たち」と言うフォークソングが流行した。今でもよく覚えている。

  ※ 以下、Googleの検索記事を引用した。

 


   戦争を知らない子供たち(ジローズ)の歌詞

 戦争が終わって 僕らは生まれた 戦争を知らずに 僕らは育った おとなになって 歩きはじめる 平和の歌を くちずさみながら 僕らの名前を 覚えてほしい 戦争を知らない 子供たちさ 若すぎるからと 許されな...

 
1970年に発表されたジローズ(第二次)のヒット曲。作詞は北山修、作曲は杉田二郎。 1971年2月5日にレコードが発売されるとオリコンチャート最高11位、196,000枚を売り上げるヒット曲となった。

    ~ 

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