みちのくの風の旅人

米沢・山形・東北の自然や文化を季節の便りとして届けています。

原発事故と大震災・福島双葉地区の今;⑧エピローグ~沈黙の悲しみ~

2024-11-30 10:48:02 | 東日本大震災に寄せる想い

福島県浜通り、特に原発に近い双葉郡の印象には、物言わぬ沈黙の悲しみが満ちていた。

あの日から13年間、時計が止まり続けている帰還困難区域や、数百人もの命を奪った集落跡の広大な更地。

少しずつ新たな一歩が始まっていた。これからも、現地を訪れて、見守り続けたいと考えています。

ところで、NHK仙台放送局制作、毎週土曜日の朝の『被災地からの声つぎの一歩』を、13年前からほとんど欠かさずに観ています。9日双葉郡に出掛けた日の朝は、偶然にも双葉町の人達がTVに出ていました。

酒田出身の歌手、白崎映美さんの「更地のうた」を、ふと思い出しました。

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◆ 前回のブログ記事の続き、浪江町から米沢の自宅に戻るまでを、以下書き記しました。◆

 

11日の正午頃、請戸小学校を出発して、浪江町の中心部にある、道の駅なみえに15分ぐらいで到着した。

店内で土産物を買った後、昼食を済ませた。

道の駅の奥には、子供たちが遊べる公園があった。令和2年12月にオープンしたラッキー公園である。浪江町 マスコットキャラクターピカリの大きな構造物があった。

道の駅全景 小春日和の陽射しが眩しかった。

国道6号線そばの道の駅なみえを後にして、走ること約40分、道の駅南相馬に立ち寄った。

浪江町の大半は、第一原子力発電所から20km圏内にあることから、立入りが制限されていたので、今回が初めての道の駅訪問となった。一方、道の駅南相馬は、20km圏外にあり、13年前から数えると5回以上は訪ねた様な気がする。

道の駅南相馬を後にして、走ること約30分、相馬市東日本大震災磯部地区慰霊碑の駐車場に到着した。

月曜日の午後2時前、訪問者は自分一人だけだった。13年前に約300名の尊い命が、津波に飲まれた。

かつて集落があった所は、太陽光発電のパネルで埋まっていた。慰霊碑から歩いて3分、沈黙の海がどこまでも遠く、広がっていた。

磯部海岸の堤防から、慰霊碑のある駐車場に再び戻り、一路米沢へと向かった、

東北中央道の道の駅伊達の郷りょうぜんに、午後3時頃に着いた。15分ほど休憩してから、再び東北中央道に上がった。米沢の玄関口の八幡原ICで下りて、西部地区にある自宅に到着したのは、約1時間後だった。

ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー 

 参考資料として、以下の通り示します。

 3.11直後の放射能汚染図

     下の図表は、10日の午前中に見学した、東日本大震災・原子力災害伝承館の研修用テキストの抜粋です。

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かつて原発から20km圏内が、立入禁止だった頃、浜通りの北は相馬市方面から、南はいわき市方面から、幾度か出掛けて、ブログに掲載している。後日、整理して紹介したいと考えています。

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原発事故と大震災・福島双葉地区の今;⑦前田の大杉と震災遺構浪江町立請戸小学校

2024-11-29 09:44:00 | 東日本大震災に寄せる想い

11月11日の朝、散歩の帰りにおおくまーとに立ち寄り、朝食用の食べ物を買って、ほっと大熊の部屋に戻った。

9時半頃にチェックアウト、浪江町の請戸(うけど)小学校に行く途中、双葉町の観光スポット、前田の大杉【福島県天然記念物】の見学に立ち寄った。 

帰還困難区域の道路を走ること約20分、大通りから外れた所の稲荷神社に到着した。  

太平洋の海から2・3kmの距離にあり、津波の痕跡だ至る所に残っていた。

家が解体されたのか、津波に飲まれたのか、土台だけがむき出しの所もあった。

原発事故直後から全ての住民が全国各地に避難し、その時から13年、時計が止まったままの悲惨な光景だった。壊れた家が放置された姿が、あっちこっちに点在していた。行き交う住民は誰一人いない。

工事関係者のトラックを見かけるだけだった。

上の地図のピンク色の部分が帰還困難区域です。浪江町と双葉町、大熊町に大きく広がっています。

13年前の原発事故で、放射能に汚染された土地の除染が済んでいない地域です。

そこに隣接する緑の斜線の所が、特定復興再生拠点区域です。除染が終了し、人が住めるようになった地域です。

前田の大杉を後にして、JA常磐線、国道6号線に指し掛かると、住民の早期帰還を目指し優先的に除染が進められた、特定復興再生拠点区域になっている。6・7分もすると、前日の10日に見学した、伝承館の所に指しかかった。 500m先は海なので、13年前は巨大な津波が襲った地域です。

海岸沿いの道路を北上し、双葉町から浪江町の請戸地区に入った。広大な何もない平地が広がり、遠くに請戸小学校が見えた。

1km以上続く真っ直ぐな道路の脇に、祈念碑があったので車を停めた。15mを超える巨大な津波で両竹集落が飲み込まれたと、刻まれていた。

11時頃、震災遺構の請戸小学校に到着した。私と同じ様に見学に来ている人の車が、5・6台停まっていた。

 

パンフレットの画像を表示しました。見学の際に受け取ったものです。

校内を見学順路に従い進んで行きました。津波の脅威が至る所に残っていました。

見学の終盤に、ボランティア団体の方がいたので、当時の事などをお聞きした。

巨大地震の大きな揺れが収まった時、全校生徒が大平山に避難し、津波の犠牲者は出なかったそうです。

下の写真の水色の線が避難経路で、当日も30分位で避難を完了したそうです。

その後、大津波が襲い、小学校周辺と北側の大きな集落は、跡形もなく飲み込まれてしまったそうです。

展示パネルの前で、ガイドの方にシャッターを切ってもらいました。

ところで、ちょうど2年前、宮城県気仙沼市の震災遺構遺構の高校を見学したことを、ふと思い出した。

 

請戸小学校の詳しい情報は、こちらのホームページをご覧ください。

リンクを貼っています。 震災遺構浪江町立請戸小学校

一時間程度の滞在後、道の駅なみえを目指して再び車を走らせた。

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次回は、米沢の自宅への帰路に立ち寄った、相馬市の磯辺地区の事や、今回の二泊三日の総まとめをしたいと考えています。

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原発事故と大震災・福島双葉地区の今;⑥大熊町の復興拠点

2024-11-28 09:53:38 | 東日本大震災に寄せる想い

11月11日(月)福島県双葉郡で、2度目の朝を迎えた。特に、大熊町と双葉町・浪江町は、原発事故現場に近く、8年間の空白を経て令和の時代に入り、ようやく限られた場所だけに帰還が許され、新しい街づくりが進んでいた。  

避難指示区域について、福島県のホームページの画像を掲載しました。

詳しくは、こちらにアクセスして下さい。

 避難区域の変遷について-解説- - ふくしま復興情報ポータルサイト - 福島県ホームページ

 

 双葉郡8町村の、昨年4月現在の避難指示区域の概念図を上に示してあります。

東京電力福島第一原子力発電所のある大熊町と双葉町、その北にある浪江町には、ピンクの領域で示された、帰宅困難区域が大きく広がっている、

下の図は、大熊町の今年2月時点の詳しい区分図です。

大熊町の国道6号線の東側は、ほとんどが中間貯蔵施設区域となり、かつては街はずれの大河原地区(常磐道の西側の一角)が、復興拠点となり整備されていた。

 交流施設 linkる大熊 ↓

 その反対側には、商業施設おおくまーとがあり、それらに隣接して宿泊温泉施設ほっと大熊がある。

おおくまーとには、飲食店、居酒屋、理容店、コンビニ、コインランドリー、郵便局が入っていた。

宿泊したほっと大熊では、食事が提供されないので、コンビニがとても重宝した。 

ほっと大熊の東側の一帯には、大河原災害公営住宅が、約100棟建てられていた。

11日の朝食前に、ほっと大熊周辺を散歩しながら、いろいろな写真を撮った。

   ↓

西側には、大熊町役場がある。役場前の道路は7時半頃から朝のラッシュアワーで、車が急に増え始めた。

車は西の山側から東の海側に走る台数が多く、ゆるい下り坂のため、時速50・60kmは出ているのではないかと思う。

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次回は、浪江(ナミエ)町の震災遺構の請戸(ウケド)小学校について、掲載予定です。途中、前田の大杉も見たので、写真載せます。

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原発事故と大震災・福島双葉地区の今;⑤楢葉町から大熊町へ

2024-11-27 06:16:04 | 東日本大震災に寄せる想い

11月10日昼前に平和集会の全日程が終了し、Jビレッジで解散した。その後、車で10分程走り道の駅ならはに到着した。

昼食後、北側の日帰り温泉施設の2階の休憩スペースで、ゆっくりと休んだ。 

ホームページ → 道の駅ならは|温泉・グルメ・日帰り入浴

原発事故により、8年間休業を余儀なくされたが、2019年(令和元年)再開された。

 

道の駅を後にして、今度は天神岬スポーツ公園(地図の右上にある)に向かった。大変眺めのいい所だった。

ホームページ → 施設案内 – 天神岬スポーツ公園

キャンプ場や広場もあり、家族連れなどで賑わっていた。

下の写真の奥にある煙突は、広野火力発電所のある所である。

天神岬から車で約30分、大熊町の大河原地区の復興拠点にある、駐車場に到着した。

参考 ホームページ →  ほっと大熊 - 大熊町交流ZONE

午後4時前に到着したばかりの頃は、プロレスイベントの後片付けの最中で、沢山の人で賑わっていたが、30分ぐらい後にはひっそりと静まり返っていた。

 夜はイルミネーションが輝いていた。

地元の日帰りの温泉客を時々見かけたが、宿泊客は少なく、私の他は一人か二人だけだった。

ツインの部屋に一人でゆっくりと過ごすことが出来た。

参考 ホームページ →  町内の避難指示区域について - 大熊町公式ホームページ

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次回は、大熊町の復興拠点の大川原地区の現況を掲載予定です。

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原発事故と大震災・福島双葉地区の今;④ 伝承館見学

2024-11-25 08:18:21 | 東日本大震災に寄せる想い

11月10日、フィールドワークの最後に「東日本大震災・原子力災害伝承館」を見学した。

下の名称にリンクを貼っています。クリックしてみて下さい。ホームページににアクセスできます。

東日本大震災・原子力災害伝承館

最初に約20分程度、語り部による災害直後の実体験に基づく話を、40人程度が入れそうな研修室で聞いた。若い世代の語り部だった。震災時小学6年生だったそうです。

伝承館のパンフレット ↓

その後、円形の大きなシアターで、様々な映像を10分ぐらい見てから、展示室をゆっくりと見学した。その際に、写真も沢山撮ったが、ほとんどがホームページに載っているものと、類似しているので、ブログには一部の写真のみ掲載しました。

 見学ルートの写真

2年後の写真 東北六魂祭

原発事故前に双葉町にあった、通りをまたぐ大きな看板。

伝承館を見学後、常磐線の双葉駅で数名が下車し、大半の人はJビレッジホテルまで戻った。伝承館からJビレッジまでは、約25kmぐらいの距離である。これで、平和集会の全日程が終了した。

 伝承館 ↓

(海側の堤防から、西側の山々をバックに撮影した)

伝承館から直近の双葉駅

常磐道の大熊IC(常磐双葉ICだったかも?)から約20km南下した。

その途中、高速道路の端には4・5km間隔で放射線の線量計が設置されている。

0.5μSv(マイクロシーベルト)を示している。

広野ICで一般道に入り、数分で再び出発地のJビレッジホテル前に到着した。11時過ぎ、全国の仲間達と別れた。

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次回は、平和集会の公式日程が終了後、個人的にさらに双葉地区に滞在し、見聞きしたことを掲載予定です。主に、東京電力福島第一原子力発電所のある、大熊町中心です。

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原発事故と大震災・福島双葉地区の今;③平和集会フィールドワーク

2024-11-23 21:49:55 | 東日本大震災に寄せる想い

 タイトルの一部を、福島県浜通りから福島双葉地区に変更しました。浜通りは福島県の太平洋側全部を言い表します。相双地区はいわき市を除いた部分で、北は新地町を含む相馬地区と、双葉郡8町村の双葉地区を併せた総称です。東京電力福島第一原子力発電所の20km圏内に、双葉地区のほとんどが収まります。

 上の地図上で、楢葉町(ならはまち)の広野町との境界線近くに、Jビレッジはあります。

また、福島第一原子力発電所は、双葉町と大熊町の海岸付近にあります。

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  相双地区の観光サイト → https://sou-sou-fukushima.jp/

  ガイドブックはこちら →  https://sou-sou-fukushima.jp/guide

  双葉郡ぐるりんガイド 2023年度版 次の福島県HPにアクセスして、

  PDFファイルをダウンロードしてください。→ https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/11110a/gururin-

  

 10日の朝は慌しく始まりました。7時頃に朝食、部屋の荷物を片付けてから、チェックアウトし、ほとんどの荷物は自分の車に置いて、身の回りの筆記用具等のみ持参し、バスに乗車した。Jビレッジを午前8時に、3台に分乗し出発しました。  

Jビレッジホテルを、午前8時に出発 ↓

私は3号車に乗っていたので、かさ上げされた復興道路のカーブに指しかかった時、車内から前の2台を写真に収めた。

かつて豊かな水田地帯が広がっていた所は、太陽光発電のパネルで埋め尽くされていた。

海岸近くは、津波に飲まれて住宅の姿は、跡形もなくなっていた。

以上の写真は、全てスマートフォンで、バスの車内から撮ったものです。

原発から10km圏内を中心に、かつて双葉郡の小学校勤務していた教員に、ガイドしていただきながらのフィールドワーク前半の部だった。約1時間過ぎて、東日本大震災・原子力災害伝承館で一旦、バスを降りた。伝承館は原発から約4kmの所にある。

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次回は、伝承館の見学内容を掲載予定です。伝承館は4年前の令和2年に開館した、福島県の施設です。

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原発事故と大震災・福島県浜通りの今;② 平和集会(全大会と分科会)

2024-11-22 21:06:12 | 東日本大震災に寄せる想い

 10月上旬、山形県の退職者の協議会から、Jビレッジで開催予定の日教組平和集会への参加要請があり、心が動いた。7・8年前に国道6号線の放射線量の数値が下がり、3km園内を通れるようになった時に、南のいわき市から一気に北の南相馬市に走り抜けたことがあった。20km圏内の道路の両側は、関係者以外立ち入り禁止のバリケードだらけだった。後日、当時のブログ記事に詳細をupしているので、紹介します。

 11月9日(土)11時半頃米沢をマイカーで出発した。約180km、途中休憩を入れても14時少し前に、Jビレッジホテルに到着した。13年前なら4時間以上を要していたはずである。

 北は北海道、南は沖縄県まで、全国から200人ぐらいが参加し、15時から全体会が開催された。3階のコべンションホールは超満員だった。東北からの参加者の席は30人ぐらいあった。

 参議院議員の古賀千景さんが、スケジュールを調整し急遽参加してご挨拶された。翌日のフィールドワークまでの全日程を参加された。分科会・フィールドワークのバスまで、偶然一緒になった。大変バイタリティ溢れる方だった。

 16時頃から4つの分科会が約2時間、同時開催された。私は第2分科会「核兵器廃絶、脱原発など核と人権に関する問題」に参加した。

 レポート1 住民の分断と静かに時が流れている寿都町(すっつちょう)・神恵内村(かもえないむら)の現在

 レポート2 原爆被爆二世の救援を求める集団訴訟について

  以上について、詳細について書くには紙面が足りません。関係者には機会があれば直接お話しさせてください。

 19時から、ビレッジホールで交流会が開催された。大変熱気の満ちた2時間を過ごすことが出来た。ほとんどの参加者は現職の教員でしたが、私の様な退職者も7・8人に一人程度いた様である。大変有意義な1日目となった。

 

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 翌日は、朝8時にフィールドワークのバスが出発することになっているので、早めに寝ようとしたが、ビール、ワイン、日本酒と少々飲み過ぎて、寝たのは11時過ぎだったような気がする。

 Jリーグのサッカー選手なども利用するホテルとあって、ゆったりとしたシングルルームで大変良かった。

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次回は、11月10日(日)のフィールドワーク記事を掲載予定です。

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原発事故と大震災・福島県浜通りの今;① プロローグ

2024-11-20 23:06:38 | 東日本大震災に寄せる想い

11月9日~11日、二泊三日で福島県双葉郡に出掛けた。東京電力福島第一原子力発電所のある地域です。

初めの一泊二日の部分は、日教組平和集会(会場:楢葉町にあるJビレッジ)に参加した部分です。プラス1日は、せっかくの機会に恵まれたので、個人的に自由に行動した部分です。

写真や資料が沢山あるので、5・6回に分けてグログに掲載したいと考えております。

※ このブログは、スマートフォンでも見ることが出来ますが、写真画像が小さく見ずらいかも知れません。是非,PCかタブレット端末でご覧ください。

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2023.3.11未曾有の大事故が起きた福島第一原子力発電所から、約4kmの所にある伝承館の、パンフレットです。

見学の詳細については、後日順を追って掲載します。

約20km圏内の拡大地図 ↓

下の地図の後半(南側)を拡大したのが、前の写真です。

平和集会冊子

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被災地訪問2024 ~ 名取市閖上 震災メモリアル公園 ~

2024-04-25 06:25:34 | 東日本大震災に寄せる想い

 東日本大震災からちょうど13年と1ヶ月、節目の4月11日、名取市の閖上(ゆりあげ)の被災地を訪問した。大震災以降、遠くの石巻や気仙沼、岩手県の陸前高田など泊りがけで3・4回訪問したが、比較的近くの名取は通過するだけで、つい後回しになってしまった。

 ところで、当日のドライブの一番の目的は、日本さくらの会から「さくら名所百選の地」に認定されている、満開を迎えた『一目千本桜』を見ることだった。ついでに、名取市の閖上を経由してみようと考えて、東北中央道の八幡原ICから相馬ICへ、常磐道を北上、鳥の海PAで小休止、名取icを下り、閖上の港に向かった。

 港の手前の広場に記念碑の様なものが見えたので、駐車場に車を停めた。震災メモリアル公園だった。7・8人のグループが慰霊に訪れていた。

 

皇太子同妃両殿下行啓(平成29年11月1日)記念碑
歌碑に刻まれているのは
皇太子さまが詠んだ「復興の住宅に移りし人々の語るを聞きつつ幸を祈れり」
皇太子妃雅子さまの「あたらしき住まひに入りて閖上の人ら語れる希望のうれし」の2首

メモリアル公園隣の日和山 ↓

メモリアル公園の十字路のお地蔵さん ↓

震災復興伝承館も見たかったが、時間に余裕がなく次回に廻すことにした。


メモリアル公園を後にして、国道4号線を白石方面に南下した。柴田町の桜の名所、船岡城址公園に最初上ろうとしたら、大渋滞に巻き込まれてしまった。夕方4時までに米沢に戻りたかったので、あきらめて再び4号線を車の中から、満開の一目千本桜を眺めながら白石ICに向かった。 ※ 一目千本桜には大河原町観光協会のリンクを貼っています。

東北道に上がり、途中国見SAで休憩、米沢にはほぼ予定の時間に戻ることが出来た。

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東日本大震災から13年 ~ エピローグ 7年目の特集はさらに・・ ~

2024-04-05 06:31:10 | 東日本大震災に寄せる想い

 今年正月の能登地震、2日前朝の台湾地震、『災害は忘れた頃にやって来る』。

 東日本大震災からちょうど13年、その中間の7年目に、被災地訪問などを特集した記事を、10回に分けて書きました。既に6回分が終了し、残り4回になりました。このまま続けると長引きそうなので、一気に掲載しました(本文は沢山省略しています)。

 なお、2年前の夏から今年2月まで、ブログ開設以来最大のスランプに陥り、長い空白期間が出来てしまいました。その間にも三陸地方の南部を旅しましたので、大震災から復興した姿を、後日書きたいと考えています。       

 当時の元記事の全文をご覧になるには、下のタイトルをクリックして下さい。

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東日本大震災から7年 ~ その7 震災から3年後 ~

2018-03-29 16:03:22 | 東日本大震災に寄せる想い

 東日本大震災から3年後の2014(H26)年3月は、定年退職を間近にして、慌しい毎日だった。特に11日は毎年公立高校入試の翌日で、採点業務などもあり、神経を張り詰めている時期でもある。       ↓     ↓ 


  東日本大震災から3年  2014-03-11 20:42:37 | 東日本大震災に寄せる想い

 季節はずれの寒さが連日続いている。ちょうど3年前、仕事中に大きくて長い揺れを経験した。米沢では震度5強、立っているのがやっとだった。

東日本大震災から7年 ~ その8 被災地への旅 (宮城県・岩手県)~

2018-04-02 00:44:29 | 東日本大震災に寄せる想い 

※ 上の見出し画像は、陸前高田の奇跡の一本松です。

 東日本大震災からの3年間は、日帰りドライブで福島県の浜通り地区(福島原発から30km圏外)を主に訪問をした。一度だけ福島県ではなく、宮城県の奥松島を訪問した。ちょうど震災から1年半の時である。その時の写真の幾つかは、次の通りです。

Cimg1659          Cimg1672_2

東日本大震災から7年 ~ その9 南三陸ひとり旅[番外編]~

2018-04-08 21:00:22 | 東日本大震災に寄せる想い

 大震災から3年後の秋、2014(H26)年11月5日~8日、3泊4日で南三陸を巡る旅に出掛けた。前回のブログで、当時のブログ記事のタイトルを紹介しました。今回は、そこで紹介しきれなかった、[番外編]の記事と写真を紹介します。

 次のブログタイトルをクリックしてみて下さい。

 全ブログ記事を、当時のままご覧いただけます。

南三陸ひとり旅[番外編]~ A:石ノ森章太郎漫画館

南三陸ひとり旅[番外編]~ B:道の駅

南三陸ひとり旅[番外編]~ C:今も残る仮設住宅

南三陸ひとり旅[番外編]~ D:3泊4日の旅を振返って

  ↓  陸前高田の道の駅は、津波に建物の中がめちゃくちゃに破壊されていました。

  ↓ 宮城県南三陸町の住宅街は、人気のない荒れ地となっていた。

東日本大震災から7年 ~ その10 被災地への旅 (北茨城・福島県)~

2018-04-12 21:12:16 | 東日本大震災に寄せる想い

 大震災から4年後の秋11月3日、2泊3日のドライブに出掛けた。いわき・南相馬間の国道6号線の交通止めが解除になったからである。南三陸の旅から1年後のことだった。

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