11月11日の朝、散歩の帰りにおおくまーとに立ち寄り、朝食用の食べ物を買って、ほっと大熊の部屋に戻った。
9時半頃にチェックアウト、浪江町の請戸(うけど)小学校に行く途中、双葉町の観光スポット、前田の大杉【福島県天然記念物】の見学に立ち寄った。
帰還困難区域の道路を走ること約20分、大通りから外れた所の稲荷神社に到着した。
太平洋の海から2・3kmの距離にあり、津波の痕跡だ至る所に残っていた。
家が解体されたのか、津波に飲まれたのか、土台だけがむき出しの所もあった。
原発事故直後から全ての住民が全国各地に避難し、その時から13年、時計が止まったままの悲惨な光景だった。壊れた家が放置された姿が、あっちこっちに点在していた。行き交う住民は誰一人いない。
工事関係者のトラックを見かけるだけだった。
上の地図のピンク色の部分が帰還困難区域です。浪江町と双葉町、大熊町に大きく広がっています。
13年前の原発事故で、放射能に汚染された土地の除染が済んでいない地域です。
そこに隣接する緑の斜線の所が、特定復興再生拠点区域です。除染が終了し、人が住めるようになった地域です。
前田の大杉を後にして、JA常磐線、国道6号線に指し掛かると、住民の早期帰還を目指し優先的に除染が進められた、特定復興再生拠点区域になっている。6・7分もすると、前日の10日に見学した、伝承館の所に指しかかった。 500m先は海なので、13年前は巨大な津波が襲った地域です。
海岸沿いの道路を北上し、双葉町から浪江町の請戸地区に入った。広大な何もない平地が広がり、遠くに請戸小学校が見えた。
1km以上続く真っ直ぐな道路の脇に、祈念碑があったので車を停めた。15mを超える巨大な津波で両竹集落が飲み込まれたと、刻まれていた。
11時頃、震災遺構の請戸小学校に到着した。私と同じ様に見学に来ている人の車が、5・6台停まっていた。
パンフレットの画像を表示しました。見学の際に受け取ったものです。
校内を見学順路に従い進んで行きました。津波の脅威が至る所に残っていました。
見学の終盤に、ボランティア団体の方がいたので、当時の事などをお聞きした。
巨大地震の大きな揺れが収まった時、全校生徒が大平山に避難し、津波の犠牲者は出なかったそうです。
下の写真の水色の線が避難経路で、当日も30分位で避難を完了したそうです。
その後、大津波が襲い、小学校周辺と北側の大きな集落は、跡形もなく飲み込まれてしまったそうです。
展示パネルの前で、ガイドの方にシャッターを切ってもらいました。
ところで、ちょうど2年前、宮城県気仙沼市の震災遺構遺構の高校を見学したことを、ふと思い出した。
請戸小学校の詳しい情報は、こちらのホームページをご覧ください。
リンクを貼っています。 震災遺構浪江町立請戸小学校
一時間程度の滞在後、道の駅なみえを目指して再び車を走らせた。
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次回は、米沢の自宅への帰路に立ち寄った、相馬市の磯辺地区の事や、今回の二泊三日の総まとめをしたいと考えています。
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